「約数の求め方」というエッセイを書いている。昨夜遅くに付録の部分を書いて寝たのだが、朝方の自意識的にはまだ眼が醒めていないときにこの付録の部分が不十分であると思っていた。そして最小公倍数の部分について書き直しをしなければとうつらうつらしながら考えていたらしい。
こういう頭の働きは自分自身で意識的にしているわけではないので、私のもっている無意識が私の頭をそうさせている。こういう頭の働きは誰にでもあることなのだろうと思うが、私自身もずっと以前からそういう風な頭の働きをしている。
怠け者の私だが、一面で几帳面なところがあって、頭が勝手に働いているらしい。もっともこんなことをいうと、嫌味に思う人もいるだろう。
日本、いや、世界的な数学者だった小平邦彦さんが「僕は算数しかできなかった」(ダイアモンド社)とか「怠け数学者の記」(岩波書店)とかいうような本を書いたのを知った、私の知り合いの数学者Yさんが「嫌味ですね」と言っているのを聞いたことがある。
Yさんは率直ないい方なので、彼が小平さんの本の書名を嫌味に感じたというのもある意味でうなずけるが、私はだからといってこの本の書名をあまり嫌味には感じないのである。その点がこの敬愛する数学者Yさんと私の感覚の違いである。
別に小平さんが勤勉な方でないとは思わない。多分、人一倍勤勉でないと世界的な数学者になることは単に頭のよさだけでは難しいだろう。だから、客観的には確かにこの小平さんの本の書名はうそ、いつわりだということになる。それはある人々には嫌味ととられるかもしれないが、それでもいいのではないかと思うのである。