社会の閉塞感は厳しい。それを政治が打破できるかというとどうもそうは行かないのではないか。私たちは成治にすぐ幻滅を感じるが、政治に期待するのはそもそも間違っているのではないか。
政治がどうであれ、経済は経済として動いているようだ。そうだとすると政治が経済を導けるというのは幻想なのではないか。1929年の世界大恐慌の後にアメリカで試みられたニューディール政策が有名であるが、こういうことで過去はいざ知らず現在では成果を上げることはできないのではないか。
子ども頃にTVAというダムはこのニューディール政策の結果としてできたと図書館の本で読んだ覚えがある。また、数学者を雇用するために数表の作成が行われたともこれは大学に勤めるようになって何かで読んだ。もっとも数表は対数表にしても三角関数表にしてもその他の数表にしても関数電卓やコンピューターの普及で必要がなくなってしまった。
アメリカのオバマ大統領も懸命に働いているが、アメリカで雇用が改善したとは言われていない。これは日本でも同様であろう。非正規労働者とか非正規雇用者という言葉が一般的になっている。
このところ、新聞等で無料塾(タダゼミ)とかが家庭があまり裕福でない高校受験生の中学生のために開かれていると報じられている。私もそのことを直接的に意図したわけではないが、医療生協活動の一環として無料塾を松山でも企画して2度ほど行った。が、まだほとんど知られていない。
こういうものが必要でない社会であればいいが、残念ながら本当は必要とされているのだろう。だが、世間的に周知されていないので、松山での広がりはいまのところない。
無料塾とは別にフリースクールという活動が考えられるが、これもインターネットで検索したところでは全国では結構活動がされている。しかし、これも松山ではインターネットに載っているような情報はない。フリースクールの場合には何かを教えるということよりも学校への登校ができなくなった生徒や児童をどういう風に一日そこで過ごさせるかということが重点があるようである。
だから、フリースクールで何かを教えるというよりは社会にどうなじんで行けるようにするかということに重点がある。だから、世話好きでなにか行事を計画するのが好な数人の世話役がいないとフリースクールは成り立たない。
また、教育の内容がまだ教科書や指導要領、また校長や教育委員会等の統制によって、必ずしも合理的でなかったりするが、この点については私なりの意見があるが、いまのところその意見を実現したりする環境にはない。