物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

漱石の『猫』とホートン

2012-10-02 13:44:16 | 本と雑誌

岩波のPR誌「図書」10月号に表記の題でエッセイを書いている、筒井泉氏は松山出身の物理学者である。

いつだったか、愛媛大学にもよばれて講義に来たことがあった。そのときに本人から工学部のO教授は実は自分の兄の松山東高時代の友人であることを知らされた。

O教授は情報工学科の教授であったが(もう定年で退職されたのか、いまでも教授でおられるかどうかは知らない)、NTTの研究所か何かに長年勤められた方であり、情報工学科ができたときに着任された方である。そして、このOさんはいまも私の家の近くに住んでおられるはずである。

筒井泉さんのことについて話すつもりが、まったくわき道に外れてしまった。ホートンのことを述べるのが、彼のエッセイの主眼であろうが、なかなか優れたエッセイである。物理学者としての筒井さんはなかなか独特な才能の方だと思っていたが、それにとどまらず、優れたエッセイの書き手でもあることを発見した。

筒井さんのエッセイで教えられたことは地質学が今ごろの感じとは違って19世紀の中ごろには世界の最先端の学問であったということである。これは地質学が地震とかまたは現在の原子炉の放射性廃棄物の廃棄場所探しとの関係から、再度脚光を浴びているのとは違った意味で、興味深い。

大学の教育学部で理科専攻だった、長兄の友人たちにも地学専攻の方が多かったが、このごろは地震により地すべりとか災害とかの観点から地質学とか土木工学とかが脚光を浴びているのは地球温暖化とか何とかが原因で気候が過激化して、いままであまりひどい集中豪雨を経験していなかったのに、それが日常茶飯事になったこととも関係があろう。

またまた主題からはずれてしまった。ホートンはなぜ漱石の小説「猫」と関係があるかというと、この小説の中に出てくる、「首つりの力学」の論文の著者であり、実はその小説中にも首つりの紐の張力についての連立方程式まででてくるからである。(もっともこの方程式がどういうものであったか私の記憶は定かではない)。昔、家にあった漱石全集で一度その式を見た記憶がある。

首つりの力学のおもしろいところはその導入部というか背景説明がなかなか好奇心をそそるからだという。それは漱石の所説の中味にかなり忠実に反映されているらしい。この好奇心をそそる部分は漱石の創作ではなくて原論文から来ているという。

首つり処刑を何人かを並べて行ったために、連立方程式になっていたのであろう。そして首つり力学など論じるということはきわめて残忍な感じをいまの人はもつだろうが、むしろあまり苦しまずに処刑ができるという人道的な観点から議論がされたのだという。

フランス革命で有名になった、ギロチンなどもいまではその残忍さが問題となるが、もともとはできるだけ処刑を受ける人が苦しまないようにとの配慮から考えられたものだという。

ちなみに、このギロチンはこの処刑を考案した人の名前であって、フランス語ではギヨタンと発音される。いまフランス語の辞書を引いてみたが、なかなか綴りがうろ覚えで見つからない。仕方がないので、広辞苑を引くと出ており、それから再度仏和辞典を調べるとちゃんと出ていることを確かめた。綴りはguillotineギィオティヌであり、発明した人はGuillotinギヨタンであった。

1930年代に物理学を学んだ方には量子論とかの他に流体力学が花形の学問であり、それに魅惑されたその当時の若者は多い。それと同様にホートンの時代には地質学が花形の学問であったのか。

武田楠雄さんの岩波新書「明治維新と科学(?)」だったかには徳川時代末期に西洋の科学や技術が押し寄せたときに、科学を学ぶ要求は主として航海術から来ていたと書いてあった。または国内の戦争の必要から砲術を学ぶことも重要であったと思われる。

私たちはそういう情報から、その時代時代に要求されたことを断片的に知ることができる。