wie zu Hause(ヴィ ツ ハウゼ)とはドイツ語で「家にいるみたいに気楽」というような意味である。
先日のミニ外国語教育学会で英語を聞いてその話の大意はわかったつもりだが、どうもその学会のこと以外でのドイツ人との話でドイツ語を聞くとまるでwie zu Hauseなのである。
これは私がなんでもドイツ語で言えるという訳ではない。むしろ私は話そうとするときに言葉に詰まってしまってうまく話せないことが多い。
それにもかかわらずなのである。普通の会話ではそんなに難しいテーマを話すわけではないからということもあるのだろうが、それでもそう感じてしまう。
英語とドイツ語の聞く時間を比べると私には英語を聞く時間よりもドイツ語を聞いてきた時間の方がずっと長いということを示しているのであろう。
ドイツ語で論文を読んだりとか本を読んだりとかはほとんどしていない。K"allenというスウェ―デン人が書いた量子電気力学のテクストの購読をしてもらったくらいで、ドイツ語の本を読んだ経験はない(注)。
だから私のドイツ語の知識はほとんど耳から入ったドイツ語であり、いわゆる書物から得たものではない。そこらあたりが私の特色かもしれない。
(注) K"allenのドイツ語は外国人のドイツ語であり、ドイツ語に対しての外国人の私たちにはとてもわかりやすいものである。
これをドイツ語のnative speakerである、Pauliの書いた量子力学のテキストなどと比べれば、そこでは書き言葉としてのドイツ語の特色である、冠飾句などがたくさん使われており、やはりこういうのがnative speakerのドイツ語なのだと知らされる。