4年目にしてはじめてゴールドスタイン「古典力学」下(吉岡書店)の印税を昨年の年末にもらった。源泉徴収されているから一人当たり10万円を切った。
それまでその本が売れているのかどうかも知らなかったし、いつになったら印税をくれるかとも聞いたこともなかった。
上巻が出版されたのが2006年6月で下巻は2009年3月に出版されたので、以前にテキストとして採用をしてくれていた、少数の大学でもこの3版をテキストとしてなかなか使ってもらえなかった。
一昨日、市役所から吉岡書店からの印税を市民税・県民税として課税するための資料として申告せよとの知らせが届いた。
これには私は3月に毎年確定申告をしているので、ちょっと不満であったが、それでもよくわからないから確定申告のコピーをもって、新たに申告をする必要がないのではないかと市役所に申し出た。
その異議申し立てが効をそうして申告はしなくていいということになったが、「申告してあった内容がわからなかったからです」というのが市役所の言い分であった。
翻訳書を出すには3人が分担して訳をしたが、その訳を3人で回し読みしてわかりにくいところや硬い表現が容赦なく指摘された。
場合によってはこれではなんだかわからないと他人から指摘された箇所などは原文の意味の取り違えであることに気がついたりしたこともあった。幸いにしてこれは1ヵ所にすぎなかったけれども。
えんえんとしてそういう作業がいつ終わるともなく繰り返される。そしてその訳が完成してもその校正刷ができるとやはり同じことの繰り返しである。それに校正刷は出版社と印刷所の都合で検討の時間も限られてくる。
ということを繰り返して、へとへとになる。だから、文学書の翻訳は知らないが、翻訳が労力に見合ってペイするという感覚は到底もてない。多分その労力は印税の何倍分もであるだろう。
共訳者の方々もこの仕事をアルバイトとして考えている人はいなくて、お金のことには恬淡とした方ばかりであるのは助かった。翻訳はある種の名誉かもしれないが、利益追求の方には引き合わない仕事であろう。
なぜこれほどの労力かというと、今ではlatexのシステムが普及しているので、数式の入力までも翻訳者の仕事となっているからである。
2版を瀬川先生の責任で翻訳をしたときにはまだ原稿用紙に訳文を書いた。式と図は原書のものが訳書にそのまま取り込まれたので、労力はそれでも大変ではあったが、3版のときほどではなかった。