物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

地震の予知はなぜ難しい?

2013-09-04 10:54:28 | 科学・技術

地震の予知はなぜ難しい?

このことを非専門家である私が理解したいと先の徳島科学史研究会の総会で発言したら、出席者の中から「地震の発生はマルコフ過程だから無理だ」とか、「地震の起こる地盤は複雑系だから地震の予知は難しい」と発言があった。

多分それらの発言は間違ってはいないのだろうが、地震の予知が難しいことを自分の実感としてわかるようになりたいというのが非専門家である私の発言の意図であった。

第一、マルコフ過程とはなんだか知らなかった。それで昨夜就寝前にマルコフ過程とは何かが気になって、『現代数学教育事典』(明治図書)を探してみたら、わかりやすい説明があった。

その数日前に『理化学辞典』(岩波)を引いてみたら、説明が載っていたが、私には理解できなかった。

いま、、『現代数学教育事典』によって私の理解したところではマルコフ過程とはその事象の起こる確率がその前の事象にのみ依存しているような過程であるということである。

『理化学英和辞典』(研究社)によれば、つぎの事象の確率が現在の状況だけで定まる確率過程とある。

これは視点を未来に起きる、次の事象の起こる確率とするか、または現在の事象の起こる確率がそれ以前の状況によって決まるかという時点をどこにとるかの違いだけである。

それだと現在の状況が詳しくわかれば、つぎの地震の予知ができてもいいことになる。だが、まだ現在の地震学の知識ではまだとらえきれていない情報があるのだろう。それが何かということがわかれば、地震の予知ができてもいいことになるが果たしてどうなのであろうか。

地震の発生はマルコフ過程だから予知ができないという、理由はあまり明確ではないが、複雑系だから予知ができないという方はどうだろうか。これは十分に理由があるようだが、やはり何が地震を生起させる根本となっているのかがその複雑系でもわかればいいような気がする(注)。

しかし、地震を起こす地盤等の系が複雑であるために何が肝心な要素かということが現在のところ特定できないというのであろう。それにしてもそのうちに地震が予知できそうな状況にはまだなさそうである。

では地震学に国費をつぎ込むのは税金の無駄遣いでその費用を負担するだけ無駄かというとそういうわけでは決してない。地震に対する被害を最小にするための方策を考えることには地震学によって地震の実態がもっと深く掘り下げられれば地震学は役に立つはずである。要はその知識の使い方を知ることであろう。

(注) ちょうど物性の話で秩序パラメータ(order parameter)の変化で物性の変化が記述されるような、そういうパラメータ(物理量)が何かということを見つけるという以前の段階に地震学があるのではないかという気がするが、これは素人の考えだから見当違いも甚だしいかもしれない。

地震の専門家のロバート・ゲラーさんによる(『週刊エコノミスト』9月10日号)と小さな地震は常に地下で起こっており、それが大部分の場合には大地震を引き起こすことがないが、たまに大地震になるのだという。その大地震になるのかそうでないかの分岐点が何なのかがまだ現在の地震学ではわかっていないということであろうか。

ちなみにゲラーさんによると「地震の前兆現象があるのか」とか「大地震は周期的に起きる」とかの説は学問的にはまだ確認をされていないので、これらの考えについては彼は現在のところ否定的である。


地震の予知

2013-09-04 10:19:27 | 科学・技術

地震の予知は実はとても難しいらしいということが言われるようになってきた。

これはなかなか地震の予知などができないという現実をちゃんと見つめるということができるようになったからであろう。

もう50年くらい前には天気予報もそうであった。しかし、いまでは天気予報はよく当たるようになった。昨日も夜のテニスのコートの予約をキャンセルをしたときにお知らせチャンネルの雨雲の予想図を見てから電話をしたら、現地でももう雨が降り出していて、比較的簡単にコートのキャンセルができた。

18時30分頃から雨が降り出して、19時ころにはザアザア降りになっていた。ぴたりと雨雲の動きが予想された通りに雨が降った。

天気予報はその基礎方程式がわかっているそうだが、地震予知の方は実はまだその基礎方程式さえも不明なのだと最近雑誌で読んだ。真偽のほどはわからないが、専門家がそういうのなら、そうなのであろう。

そういえば、先日の徳島科学史研究会と日本科学史学会四国支部総会の合同の総会でもそれに関連した講演があった。これはアメリカの『アメリカの「地震予知と公共政策」』という題での香川大学の学生の講演であった。

そしてアメリカでは地震予知は0%とも100%とも思っていなくて、ある程度は信用できるものだとの見解で公共政策がなされているとの話であった。

講演をした学生の意見では学者の地震予知は自由に制限なくさせ、警報を出すという公共政策とは区別すべきではないかとの結論であった。

もっとも質問に警報と予知とはどう区別するのかという質問があった。そこらあたりは実に難しいところである。

最近、イタリアで地震学者が地震はないと言って一般の住民を安心させていたところ実際には地震が起こり、多くの人が亡くなったというので、裁判が起こされ有罪判決がその地震がないと言明した学者等を含めて有罪の判決があった。

これは最終的にこの判決が確定したかどうかは知らないが、「もの言えば唇寒し秋の風」とならねばいいが。

「人心を収める」ということと「実際に人命を失う」という被害のはざまに研究者もいるということを示している。