若い人にはある種の社会民主的な思想が足らないというか、ないところが不満である。
そういうことを言ったら、若い人から反撃を食らいそうだが、どうもそこが思想の奥深さを感じられない理由なのだろうか。
いまの時代だから戦後すぐの若者がもっていたような国家に反権力的なところがない、または少ないのはしかたがない。それでもそういうある程度左翼的な思想がバックグランウンドとしてあるかないかはその人の思想の深みを与えているような気がする。
これは、今はいかにアメリカ全盛の時代であり、global化とは実はアメリカ化のことではあってもそうであろう。
一昔前なら、情報科学や情報工学とかそれに近い分野での学者で興味深いアイディアを出すアメリカの学者は生まれとか育ちがヨーロッパである人が多かった。そういう人たちにはなんというかいわゆるヨーロッパ的な感性というか教養が感じられた。
さすがに最近ではそういうことも少なくなったが、20年くらい前まではなんだかヨーロッパ文化の奥深さを感じさせられることが多かった。
哲学者の鶴見俊輔さんはマルクス主義の学者ではまったくないが、それでもその周辺を十分に理解された上で、ご自分の考えをもった方でやはりある種のバックグランドはお持ちだと思っている。
要するにまったく違った考えの人との交差というか交流があるかないかではなかろうかと考えている。