物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

飽き足らなさ

2013-09-27 16:53:58 | 日記・エッセイ・コラム

若い人にはある種の社会民主的な思想が足らないというか、ないところが不満である。

そういうことを言ったら、若い人から反撃を食らいそうだが、どうもそこが思想の奥深さを感じられない理由なのだろうか。

いまの時代だから戦後すぐの若者がもっていたような国家に反権力的なところがない、または少ないのはしかたがない。それでもそういうある程度左翼的な思想がバックグランウンドとしてあるかないかはその人の思想の深みを与えているような気がする。

これは、今はいかにアメリカ全盛の時代であり、global化とは実はアメリカ化のことではあってもそうであろう。

一昔前なら、情報科学や情報工学とかそれに近い分野での学者で興味深いアイディアを出すアメリカの学者は生まれとか育ちがヨーロッパである人が多かった。そういう人たちにはなんというかいわゆるヨーロッパ的な感性というか教養が感じられた。

さすがに最近ではそういうことも少なくなったが、20年くらい前まではなんだかヨーロッパ文化の奥深さを感じさせられることが多かった。

哲学者の鶴見俊輔さんはマルクス主義の学者ではまったくないが、それでもその周辺を十分に理解された上で、ご自分の考えをもった方でやはりある種のバックグランドはお持ちだと思っている。

要するにまったく違った考えの人との交差というか交流があるかないかではなかろうかと考えている。


cobaye かguinea-pigか

2013-09-27 16:28:12 | インポート

cobaye (コバュ)もguinea-pigもどちらもモルモットを意味する。cobayeはフランス語でguinea-pigは英語である。

日本語ではモルモットというので、これを日本語辞典で引いてみたら、marmotとあり、これをもう一度英和辞典で引いてみて、もしモルモットとあれば、首尾一貫していることになるが、marmotはマーモットと訳がついている。

マーモットは日本語のモルモットの語源になったのであろうが、いわゆるモルモットとは違うらしい。

いま広辞苑を調べてみたら、マーモットはリス科の小動物らしい。地下の穴に住んでいるとか。

日本語のモルモットはもちろん実験動物のネズミも意味するが、同じように実験台にされる人間も意味すると辞書にある。これはしかし日本語だけではなく、英語でもフランス語でも同じようである。


Tous cobayes ?

2013-09-27 15:15:14 | 映画

Tous cobayes ?(トゥ コバュ ?:意味は「みんなモルモット?」)という映画を今朝見た。もちろん映画館でみたのである。

妻が朝食後、この映画のチラシを見て、cobayesにミスプリを見つけたと喜んでいた。チラシにcoboyesとあったと思ったのだろう。スマホのgoogleでcobayesであることを知った。

ちょっとそのチラシを見たときに、フランス語かスペイン語がわからなかったが、フランス語の辞書を引いてみたら、モルモットとあったので、フランス語だと分かった。

それで11時から始まる上映に向けて夫婦で出かけた。映画は遺伝子組み換えと原発の恐ろしさやその共通点を指摘するドキュメンタリー映画であった。

原発大国のフランスの映画としてこの映画がつくられているのは皮肉ではあったが、日本の福島の原発事故に翻弄される福島の人々の取材もあり、また遺伝子組み換え食品を2年にわたって食物として与えられたラットの腫瘍とかのできる数の増加を、あるフランスの大学の研究者が動物実験して見せているのが特に印象に残った。

ちなみに遺伝子組み換えトウモロコシ等の種子をつくっている、企業のモンサントは動物に3か月しか与えて検査をしていないそうである。そして、ラットの腫瘍が増えてくるのは実はこの3か月を過ぎた後だという。モンサントはこの3か月の検査で動物実験で無害を主張しているらしい。

モンサントというカナダかアメリカの企業が遺伝子組み換えトウモロコシの種子と雑草が生えないように農薬を合わせて売っており、それをフランスとかアフリカの国に売って莫大な利益を得ている。

そして、そのことで人間はまさにモルモットとしてガンとかの病気にさらされている。自分の国でそのような穀物を生産していなくても国が、企業がその農産品を輸入していれば、その搬入の港で働いている労働者はそれらの農産品に散布されたり、輸送の途中で散布された農薬の粉じんを吸い込んでガンになった人のインタビューもあった。

その人は子どもが成人したときにはこの事実を子どもに伝えてほしいと言っていた。そして映画のサブタイトルでこのインタビューの3か月後にインタビューされた方は亡くなったと出ていた。

今回の上映は今日で終わりであったが、結構多くの人が見に来ていた。私はこの映画を見たから、すぐに遺伝子組み換え食品がなくなったり、原発が廃止されたりすると考えるほどには楽観的ではない。が、それでもこういう映画がつくられ、それが少しでも多くの人に見てもらえることは遺伝子組み換え食品や原発の拡大への抑止力として最小限にしかすぎないが、機能するのではないかと思った。