物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

きっかけ

2017-07-19 21:28:15 | 日記

妻の知人が村上春樹の小説を数冊貸してくれた。だが、妻は「ねじまき鳥クロニクル」という小説がなかなか読み進めないという。

ところが昨日 N 市に親戚の葬儀に出かけたが、その K M さんのご両親は戦争終了時に満州の牡丹江というところで、すくなくとも父親は亡くなったということがわかっている。そういう話を葬儀で聞いた妻はたったそれだけのことで読み続ける動機づけができたという。

満州がどうのこうとか主人公が井戸の中にこもるとかいう話でうんざりしていたらしいが、牡丹江で KM さんの両親が亡くなったらしいという話で、いろいろ仮想的な話だったのが、そうではなくて、現実味を帯びた話になったという。

作家はちょっとした知識から、想像を膨らましたり、人の心理を推し量ったりするので、いろいろと話を拡張できるが、普通の私たちにはそのリアリティが乏しいと感じると退屈になる。ところが、知っている人がそれらのことに関係があるかもしれないとなるとがぜん関心がわいてくる。

いつも、温厚でゆったりした人柄の KM さんだったが、そういった悲しい過去があったということに気がついた。そういったことを KM さんが自分で話すことはほとんどなかったが、それでもやはり親戚だから、少しは漏れ伺っていた。

 


グラフの平行移動

2017-07-19 12:32:30 | 数学

について『語りかける中学数学』『語りかける高校数学』(ベレ出版)を書いている高橋一雄さんがどう書いているかということで、『語りかける高校数学』数I編を開いてみた。私が昔書いた「研究と実践」の書き方とは違っていたが、それなりに納得できるものであった。高橋さんはグラフの平行移動の代わりに座標軸の移動に帰着させている。

なかなかこのグラフの平行移動の処方を理解することは難しい。座標軸の平行移動は一つのやり方だが、理解の仕方はそれだけではないであろう(注)。

私は志賀浩二さんの中学高校数学のシリーズテキストとか武藤徹先生のテキストとかを購入して持っているが、それでもすべての私の疑問にそれらが解決をしてくれるわけではない。

なかなかそういう点では初等数学と言えども難しい点がある。意外と初等的な点が難しかったりする。円の一部の「扇形の面積がその中心角に比例する」というほとんど自明の事実をどう納得するかで苦労して、その説明のエッセイを書いたことがある。これはやはり高校数学の学習参考書に出ていた方法でやっと理解したのだが、後で考えてみるとそれほど難しく考えなくてもよかったのにということがわかった。

だが、一度ある程度フォーマルな理解の段階を通らないと、簡単で直截的な説明には私は到達できなかった。だから、私の理解の仕方がちょっとこれは順序が逆なのではないかという気がした。

もっとも普通の人は私が一番最後にたどり着いた簡単で直截的な考えに先に到達しているのだとしたら私の思考構造がちょっといびつなのかもしれない。

 (注)愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」第103号(2009.12)17-22であるが、これは普通の人がこの文献に到達することはなかなか難しいであろう。

グラフの平行移動のときに使われる概念に「流通座標」がある。これはどういうことなのか。数学の先生から詳しく説明を受けたことは一度もないが、その説明を上のエッセイには含んでいる。もっともこれは私の我流の解釈であり、それが正しいかどうかはわからない。

この言葉の説明が数教協の編纂した本の中にあるかどうかをいまちょっと調べたがないようである。