祝日でも日曜日以外は休まないのだが、昨日は N 市に遠い親戚の KM さんの葬儀に出かけた。高校の物理の教師を長年されていた方である。N 高専にも非常勤講師として勤められた。
遠い親戚とはいうが、数年に一度行っていた「いとこ会」には毎回出席されていた。幼少時には朝鮮(今の韓国)で育った。それでもそのお父さんはその後、朝鮮から、さらに満州(現在の中国東北部)の小学校の先生として赴任されており、敗戦時にそこでなくなったという。K さんのお母さんも兄弟もそこから消息がわからなくなった。
日中友好条約が締結された後で、中国残留孤児が日本に帰還したケースもあったが、K さんの兄弟の消息は結局わからなかった。そういういきさつをもった方であった。もう時代は K さんの孫の時代にまで移って来たが、95歳で亡くなった K さんは戦争の影響を大きく受けた世代であった。
K さんはご自分では数学はそれほどできなかったと言われていたが、物理実験の名手との評判が高かった。N 市の工業高校に長年お勤めだったが、退職まじかには N 市の進学校として有名な西高に務められていた。昨日、末子の M さんから聞いた話では本当は技術者になりたかったそうだ。だが、なれなくて一生を物理の教師として生涯を終えられたが、物理の実験の器具等も自作しておられたと聞いた。これは私などの一つ上の世代の日本の物理屋のする典型的なことであった。
姪が私の出身地の I 市の西高校で K 先生より物理を学んだと聞いている。