武谷三男ほど賞賛されたり、けなされたりの反応の激しい人はあまり知らない。
三段階論にしてもそれを自分の方法論として使おうとされるような人がいる一方で、またこれは単なる思いつきだとか歴史性がないだとか批判をする人も多い。
だが、私が思うのは、批判をする人が、他の優れたアイディアを提出したのかというとそうではない。一般に批判することはちょっと頭の鋭い人なら、すぐにその欠点を見つけることができるものである。だが、新しいことを考えついてそれを提唱できるというのは誰にでもできることではない。それがたとえまだ不十分なものであったとしても。
だから、「技術とは労働手段の体系だ」という説以外に「生産的実践における客観的法則の意識的適用だ」という説が武谷から提唱されたということは議論が進むという意味ではその定義が提唱される前よりも人間の認識が広がったのだといえる。
この二つの説についてどちらが正しいとかいう判定はそれぞれの派がひいきにしている説に対して論陣をはる以外に、中立的な人がそれを公正に判断するということがどれくらい行われて来たのだろうか。