物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

デジタルデータの脆弱性

2018-05-01 12:22:26 | 科学・技術

というタイトルが正しいかどうかはわからないが、デジタルデータの保存期間が以外と短いということが朝日新聞(2018.4.30)に出ていた。

これは個人的にも自分のつくった数学エッセイをUSBメモリに保存しているが、これは無限に長い期間保存できるわけではないということをずっと以前に友人と話したことがあった。

このことはこの友人も彼が勤めていた大学の定年退職前に同僚と話し合ったことがあったと聞いた。それによると墨で書いた文書の保存期間がかなり長いことをお互いに確認したという話であった。それと意外なことには鉛筆での記録が意外と長い保存に耐えるのではないかということであった。

万年筆とかはあまり長期間の文書の保存が期待できないとかいうことであった。パソコンを使って文書などを保存しているときでもそのハードディスクとかメモリーにいつまでも保存できるわけではないと知らされる。

国会図書館は書籍等を電子データにかなり移行しているがそれはときどき更新しなければ、永久保存などは望むべくもないとか。

最近の省庁とか官庁の大きな話題は記録文書の廃棄の問題であった。これは文書が残っていたら、現在の政府にとって都合がわるいとかいうこともあって記録はないとか言われたりしたが、それも後からよく探せば、出てきたりしている。

これは比較的短期期間の話なのでまだ失われていないほうが、ほんとうであろうが、ないことにしたいという省庁の判断が大きいと思われる。だが、長期間の記録だとデジタルデータは保存しておかなければならないものにも長期間の保存がきかないというのが本当であろう。

特に私の本のように少部数しか発行されてない場合にはこれをなんとか保存しておく方法を考えておかなければならない。


量子力学の名著

2018-05-01 10:57:56 | 物理学

量子力学の名著といえば、Diracの『量子力学』、Pauliの『波動力学』と朝永の『量子力学』の3つだといわれる。

その中で一番読んだことがあるのは朝永の『量子力学』であるが、それでも第1巻だけであり、第2巻はちょっとは読んだが、あまり全体を読んではいない。

Diracの『量子力学』は日本語訳を大学院の講義で数年はじめの数章を学生に読ませて解説をしたことがある。一番読んだことがないのはPauliの『波動力学』である。

量子電気力学としてセミナーを大学院時代にしてもらった、Handbuch der Physik 叢書のK"allenの"Quantenelektordynamik"(Springer)の前の書がまさにこのPauliの『波動力学』であった。

もっとも、それはその書を何十年も以前にPauliが書いて同じSpringer社の古い版のHandbuch der Physik 叢書に収録されたのだが、再度、新版のHandbuch der Physik 叢書に再録するにあたり、その文章をPauliが見直したそうだが、ほとんど修正しなくてよかったという。

これを私の、大学での先生であった、Oさんは大学時代に何回か読んだと聞いた。これは多分単独で読んだのだと思う。これは名古屋大学でのOさんの先生である、坂田昌一先生がこのPauliの『波動力学』にもとづいて講義をされていたためかもしれない。

そういえば、Oさんはエリー・カルタンの『スピノール理論』をフランス語と知らないで読もうしたら、読めなかったが、それがフランス語だと友人に教わって急遽『フランス語3週間』でフランス語を学び、『スピーノル理論』を読んだとも聞いた。

そのことを聞いたので、数学科の図書室に出かけて、このエリー・カルタンの『スピノール理論』の講義録をコピーして、いまでももっているが、実際にこれを読んだことはない。

今では、この講義録の英訳がDoverから出ている、それで英訳の方も購入して持っているが、どちらもあまり読んだことはない。これは小著『四元数の発見』(海鳴社)を書くときに四元数と2行2列の行列の対応させるというところだけ参照したことはあるけれども。

Pauliの『波動力学』の本はベクトルを表すのに字の上に矢印をつけるという私などから見たら、古めかしい記述法であるので、すくなくとも、ここは太字でベクトルを表すように変更すべきだと思っている。

Pauliの『波動力学』は今では日本語訳も英訳もでているが、そのベクトルの表記が変更されているのかどうかは覚えていない。

(2021.10.29付記:残念ながら日本語訳がそれほど普及したとは思えない。もっともその訳は貴重なのではないかと思う。この訳はほとんど私と同年代の堀節子、川口教男夫妻が訳をされているが、その訳書はもっていない)

と、ここまで書いて英訳を見に行ったが、ベクトルは字の上の矢印で表されており、太字は演算子を表しているようである。演算子の表し方を別に考えて、太字はベクトルを表すことに譲るべきであろう。

いまでもときどき字の上に矢印でベクトルを表す人がときどきいるが、これは私にとっては耐えがたい。「絶対に」ベクトル表記を太字に変えるべきだと思っている。

(2018.5.3付記)  どうもベクトルを字の上に矢印をつける方法で表すことは好きになれない。高校生のころにはベクトルなど数学のテクストに出てこなかったが、物理のテクストには出ていたと思う。

小著『四元数の発見』(海鳴社)では最小限だが、字の上に矢印をつけた箇所が2,3カ所ある。これはしかたがなかった。『数学・物理通信』での投稿で字の上に矢印でベクトルを表した論文が投稿されたときには、すべて太字に変えてもらったことがある。


(2021.10.29付記)村上雅人『なるほどベクトル解析』(海鳴社)が太字の上に矢印をつけた記号でベクトルを表している。

これは太字(ゴチック)のベクトル記号に代えるべきだと思うのだが、学生時代にベクトル記号で苦しんだことのある、村上さんの苦心の工夫らしい。しかし、この記号はいただけないと個人的には思っている。

もっともこれはベクトルの表記の問題だけで、その内容は他のベクトル解析の本と比べてぐっとわかりやすい。ひそかな名著だと思うが、多くの方はどう感じられているのだろうか。

わたしを離さないで(Never let me go)

2018-05-01 10:30:39 | 日記

とはカズオ・イシグロの小説である。その小説を先日から読み始めた。これはとても偶然である。

実は妻がやっている、生協病院の活動と関係している。そういう関係から妻の知人が自分のもっていた本を無料で提供してくれたらしい。その中に『わたしを離さないで』があった。彼は昨年のノーベル文学賞を受賞したので、それでこの小説を買って読んだ人がいたらしい。

先日の日曜から読み始めたのだが、ようやく半分くらいを読んだ。この小説はテレビでも紹介されていたが、未来の話ともいえるかもしれないが、クローン人間たちの学園の話であり、このクローンの子どもたちは自分の臓器を外部の人たちに提供するために生まれた人たちである。

そのいきさつはおよそ半分のいままで読んだところではでて来ているが、はじめは出てこない。そのクラスにいたある子どもキャシーの31歳のときの記述である。話がどういうふうにこれから進展していくのかまだわからない。

ただ、昨夜はその異常な状況のことを考えてしばらく寝付けなかった。もっとも現実の世界ではクローン人間をつくって、その臓器をクローンではない人間に提供を義務付けるなどということは実際には道徳的にも許されないであろうから、これは仮想的な未来小説ともいえる。

カズオ・イシグロさんはミステリとかSFとかのジャンルにとらわれないで小説を書きたいという気持ちをもたれている作家である。これは昨年のNHKのテレビで言っていた。これは前にも日本に彼が来たときにもEテレでその講演の放送があったので、一度見たことがあったが、ノーベル賞の受賞でその再放送をまた見たことがあったと思う。

大体、わたし小説を読まないことにしている。それは私自身が文学を嫌いだからでなく、小説を読みだすと数学だとか物理だとかのよほど努力を要することを勉強しないだろうと思うからである。だからあえて好きなものを封印しないと数学とか物理とかをすることが私にはできないだろう。そう思って若いときに高校生くらいのときに、そちらの可能性をわざと閉じた。それがよかったのか悪かったのかは私にはわからない。