『エントロピーのめがね』を読み終わって。
ちょっと読後にしばらく味わったことのない気分を味わった。なんといったらいいのだろうか。戸田盛和『エントロピーのめがね』(岩波書店)は基本的にはその当時流行したエントロピーという用語をテーマとした本である。
ところが最後の章の「文明とエントロピー」のところに著者の戸田先生のいろいろの思いというか、思索がつまった感じがしていろいろと考える機会となったからである。この書は必ずしも科学書ではない感じがしたものである。文明批評というモノかともいえるし、ある種の哲学だといってもいいかもしれない。
やはり、最高の知能の一人の物理学者の書いたある種のエッセイという感じもした。戸田先生は大学ではあの朝永振一郎先生とも長い間同僚であった方である。
それに東京教育大学が筑波に移転して筑波大学となったときにも一緒に移転はしなくて、横浜国立大学などに勤めた方である。彼からは別に筑波大学移転への批判は語られたことはなかった。
その話とはちがって、これは武谷三男とかも生物の進化との関連で述べられたことのある、力学の時間反転性の不変性と関連したこともちょっと触れられている。そういう意識がすこしはあるのだということがうかがわれた。
久しぶりに余韻のある本を読んだ。
私はなんでも徹底して理解したいと思っており、自分の書く数学教育的なエッセイでも透徹した論理で書くのを目標にしている。それがいつでもできているとは思わないけれども。
しかし、その場合には読後感としての余韻はまったく残らない。だから、もちろん、結論として自分になにか決定的に言えることがないとしても、ああも考えられるとかこうも考えられるとかという、ある種のふり幅の大きさが読後に与える大きさがあるのだという感じをもった。