物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

時計の好きな人、地図の好きな人

2018-05-08 14:37:26 | 日記

私の妻は時計が大好きである。家の中に置時計がやたらとある。もっともそれが高価だとかいうわけではないが。電池で動く、それほど高価ではないものである。私たちの寝室にも私用の小さな置時計と妻用の置き時計がある。

もっともそれらの置時計をすべて動かすには、電池の電圧に常に気をつけていないといけない。そのため、なかなかすべての時計が動いているわけでもない。

私などは大学に勤めていたときには職業上から腕時計が必須であったが、最近は腕時計は使わなくなって久しい。

あるとき、年下の友人と話していたときに、携帯をもっていないのはともかく、さすがに腕時計を使っていないというとびっくりされた。その後、ガラ携はもつようになって、最近はガラ携のデジタル表示の時刻を見ることもあるが、それすらあまりない。

あるとき、仕事場で月1回開く雑談会でレポートを頼んだ知人は自分で「地図が大好きなんです」と言われて、そのレポートをするときに世界地図のカラー・コピーを渡してくれた。彼の自宅には至る所に地図がおいてあるのだという。

彼は合気道を若いときではなくて、ある程度の年齢になってから習った人であり、合気道の縁で、あるドイツ人夫婦と家族ぐるみのつき合いであり、その夫婦が松山にやってきた時には彼の家に泊まるのだという。

たまたま、このドイツ人夫婦を私も知っているが、知っているという程度で向こうは私のことなど覚えてはいないだろう。

私たちが若いときに子どもが生まれて、お祝いをいくらか友人からもらったときに、あまり高価ではないが、地球儀を買った。子どもが将来、世界的な視野をもてるようになればいいがと思ったから。

その子どもに、子どもができたときに私と同じように子どものために、小さい地球儀を買っているのを見て、「親というものは、同じようなことを考えるのだな」とおかしかった。


耐用年数

2018-05-08 13:38:50 | 日記

製品にはなんでも耐用年数というのがある。

私が今使っている、パソコンでもそうだし、乗っている車だってそうだ。もう、来年には80歳の大台に年齢がなるので、車に乗るのをやめようかと思って、そう妻に漏らしたら、車の床が抜けて乗れなくなるまで乗った方がいいのではないかと言われた。妻の従弟が営業用に乗っていた車は最後に車の床が抜けて乗れなくなったとか。

私自身よりも、車そのものとか私という人間を信頼しているらしいことがうかがわれた。私は自分では無茶な運転はしないように心がけているし、あわててどこかに出かけないようにしている。もし時間の約束をしたとしてもその約束の幅を広くとってもらうようにしている。

あわてて、時間に間に合わせようとしたりするのが一番にいけない。ゆっくりと時間をとって慎重にすれば、あまり事故を起こすことはない。事故を起こしたことは皆無ではないが、起こしたときには決まってなにかあわてていあるときだ。幸いなことにあまり大きな人身事故は起こしたことはない。

そうだった。耐用年数について書くつもりだった。パソコンは大学に勤めているときに耐用年数が5年とか聞いている。確かに運がよければ、5年も6年も使えるパソコンもあれば、早々に故障して使い物にならなくなったパソコンもあった。これはやはり私の研究室で、自分か使うパソコンだけではなく、学生が使う専用のも何台か購入した。その数を数えたことはないが、たぶん10台は越えるであろう。パソコンが出始めた、最初のころは大分当たり外れがあった。そのうちに製品が安定してきてなかなか故障を起こさなくなった。

ただ、5年を過ぎるといつ故障して使えなくなるか誰も保証ができなくなる。パソコンの製造会社も適当にパソコンが壊れてくれないと、商売が上がったりなのだろう。そして、乞われたパソコンを修理することもできるとしても、その修理代がけっこう高くてそれなら、新しいパソコンを購入した方が得だと思わせられることが多かった。車なら車の型が古くなって燃費がわるくなっても、多分10年くらいは乗ることができるが、パソコンは車ほどの価格ではないのではやく故障して使えなくなる。

私のゼミに来た、昔の学生が、パナソニックかソニーの電気製品のどちらだったかは忘れたが、デザインはいいのだが、数年経つと壊れてしまうとこぼしていた。

いま使っているラジカセはソニー製だがラジオの機能はまだ大丈夫である。カセットの機能はいま使っていないので、まだ機能するかどうかはわからないが、CDプレヤーの部分が一番早く使用不能になった。とはいっても購入してから10年くらいはCDプレヤーとして使ったと思うが、やはり製品はどこか脆弱の部分がどうしてもある。

資源の節約のためには修理をした方がいいとは思うのだが、修理の値段が意外に高くて、新しい製品を購入するという決断をする機会の方が多い。資本主義社会の欠点なのだろう。