私の妻は時計が大好きである。家の中に置時計がやたらとある。もっともそれが高価だとかいうわけではないが。電池で動く、それほど高価ではないものである。私たちの寝室にも私用の小さな置時計と妻用の置き時計がある。
もっともそれらの置時計をすべて動かすには、電池の電圧に常に気をつけていないといけない。そのため、なかなかすべての時計が動いているわけでもない。
私などは大学に勤めていたときには職業上から腕時計が必須であったが、最近は腕時計は使わなくなって久しい。
あるとき、年下の友人と話していたときに、携帯をもっていないのはともかく、さすがに腕時計を使っていないというとびっくりされた。その後、ガラ携はもつようになって、最近はガラ携のデジタル表示の時刻を見ることもあるが、それすらあまりない。
あるとき、仕事場で月1回開く雑談会でレポートを頼んだ知人は自分で「地図が大好きなんです」と言われて、そのレポートをするときに世界地図のカラー・コピーを渡してくれた。彼の自宅には至る所に地図がおいてあるのだという。
彼は合気道を若いときではなくて、ある程度の年齢になってから習った人であり、合気道の縁で、あるドイツ人夫婦と家族ぐるみのつき合いであり、その夫婦が松山にやってきた時には彼の家に泊まるのだという。
たまたま、このドイツ人夫婦を私も知っているが、知っているという程度で向こうは私のことなど覚えてはいないだろう。
私たちが若いときに子どもが生まれて、お祝いをいくらか友人からもらったときに、あまり高価ではないが、地球儀を買った。子どもが将来、世界的な視野をもてるようになればいいがと思ったから。
その子どもに、子どもができたときに私と同じように子どものために、小さい地球儀を買っているのを見て、「親というものは、同じようなことを考えるのだな」とおかしかった。