日大のアメリカン・フットボール部のルールに違反した不正タックル事件で、日本中がコーチとか監督に憤激したのはまだ記憶に新しい。
だが、ドイツ人である R 氏のものの見方はまったく違っていて、これはヨーロッパと日本の文化の差を感じさせられた。彼は言う。ラグビーとかサッカーでは地域ごとにチームが編成されており、その地方ごとに「相手をやっつけろ」とかの激越な言葉が常に、コーチや監督からは発せられるのだという。
ただ、違うのはそういうふうに監督とかコーチからけしかけられてもルール違反の不正な攻撃をすれば、選手個人がその違反の責任を問われるということは確実なので、どういうふうに激越な言葉をきいても、自己の責任において、ルールに従った攻撃をするのだという。
その辺が個人としての自己がしっかり確立しているヨーロッパでは個人の責任を自覚している。また小さいときからそういうふうに育てられている。日本ではそういうふうに育つとちょっと取り扱いが難しい、こどもという評価がその子に定着してしまってあまりすなおないい子だとは判断されないかもしれない。
そこら辺がまったく子どもも育ち方がちがうし、社会からの個人としての期待のされかたというか、教育のされ方が異なっている。
このことを知ってなるほどやはり社会がちがうと、考え方がまったく違うのだなと思った。これは日本でのコーチや監督のバッシングが悪いということだととると、これはまちがっているだろう。それは個人の確立を厳しく要求されるヨーロッパとそこまでは厳しく要求されてはいないし、むしろ目上の人とか、コーチや監督のいうことを素直に守ることが期待される日本社会との違いである。
選手もコーチや監督に対等な立場で意見を言える雰囲気ができなくてはいけないということだろうが、そういう時代がいつ日本にやってくるのだろうか。パワハラだとかセクハラだとか言われる雰囲気は日本ではなかなかなくなりそうにはない。