月曜日に新しいパソコンを手に入れて、少し馴染むためにいろいろ触っている。今朝からlatexのソフトをDVDから入れたりしているが、なかなかなじめない。どうしてもどこに何があるのかがまだ見当がつかない。
それであちこちと探しているのだが、まごまごしているばかりである。ところが前につくった原稿が字化けをしてしまった。これの対策をマニュアルにはちゃんと書いてあるのだが、そのツールがどこにあるのかわからない。
しばらく、こういうことで仕事にはならない。
月曜日に新しいパソコンを手に入れて、少し馴染むためにいろいろ触っている。今朝からlatexのソフトをDVDから入れたりしているが、なかなかなじめない。どうしてもどこに何があるのかがまだ見当がつかない。
それであちこちと探しているのだが、まごまごしているばかりである。ところが前につくった原稿が字化けをしてしまった。これの対策をマニュアルにはちゃんと書いてあるのだが、そのツールがどこにあるのかわからない。
しばらく、こういうことで仕事にはならない。
先日の日曜の朝日新聞Be欄に「あしたのジョーの泪橋」という記事を書いていた、近藤記者はひょんなことからの知り合いである。もっともネットを通じた知り合いだから面識があるわけではない。
近藤さんと知り合った理由は「数学・物理通信」にときど寄稿してくださる、武藤徹先生のかつての教え子ということからである。いつだったか武藤先生がご自身の5冊だったか6冊だったかのシリーズの数学の本を出されたことはまだ記憶に新しいが、これに関係して近藤記者が武藤先生の所へメールを寄せられたことがあり、それを参考のために私のところへ転送されたことがあった。
それでそのメールの内容が興味深かったので、「数学・物理通信」に転載をお願いして許可をもらった。それ以来の知り合いである。近藤記者は東京生まれであるにもかかわらず、長崎だったかの支局を志願して地方に転属になり、そこでアロハシャツを着て農業をしたというので、半年に一回くらいの割合でその経験を記事に書かれていた。
そのうちに長崎から大分の日田市に昨年ここで大水害が起こった頃、転勤された。いまはどこにおられるのかは存じないが、まったくそういうふうに独自気風の方であり、かつ音楽等の造詣も深い方だという。それで朝日新聞やその他の出版物に音楽関係の記事も書かれたりしておられる。
大学では何を専攻されたかは存じあげないが、「あしたのジョー」の結末だという、『燃えて燃えて燃え尽きて、真っ白な灰になる。ちんまりしたおとなしい幸せを拒絶する。世人ではない。「Sein zum Tode 死へと向かう存在」(ハイデッガー)として生きる』と先日の記事で書かれており、これまた格好のいい、もののいい方である。
近藤さんはさらに深読みをする。「かっこいい。かっこよすぎるとは、かっこ悪いことなんじゃないか?」この深い洞察には参ってしまう。
ちなみに上に出てきたドイツ語「Sein zum Tode 死へと向かう存在」はハイデッガーのものらしいが、最近ではSein zum TodとTodeのeが落ちるようになっていると思うが、これはまだ慣用句としてeが残っているのかもしれない。似た例にnach Hauseがあるが、現在のドイツ人はnach Hausという人も多いだろう。Dativ(3格)のeは最近では「落ちるよ」とはもう50年近く前に聞いた、フライブルクのゲーテ・インスティツートの先生の言である。
今回の記事も彼の生い立ちの一部が漏れ伺われたりする、興味深いものである。近藤さんにまたメールをして見ようかと思っている。
(注)いまちょっと前に書いた原稿の手直しをして、「とうさつ」と入力したら、「盗撮」としか変換されない。中学校の国語の先生に「洞察どうさつと読むなよ」と口を酸っぱくして言われたのに、現在では「どうさつ」と入力しないと「洞察」とは表現されない。まあ変われば変わるものである。