物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

「数学・物理通信」8巻4号、5号の発行

2018-06-09 17:58:56 | 日記

長い間、発行ができなかった「数学・物理通信」8巻4号と5号を先刻ようやく発行した。

今回はどういうものか発行がすんなりとはできなかったので、どうもイライラがつのった。だが、それも今日で肩の荷が降りた。今回も2つの号とも30頁前後のフルの頁数になった。

30頁を超えないようにと思っているが、なかなか短かったり、長かったりすることもある。今回は表紙の頁を除いて31頁にうまくおさまった。こんなに計ったようになることは珍しい。

自分の都合で発行が遅れるのなら仕方がないが、どうも他の理由で発行が遅れるときにはなんだかストレスがたまる。でも今日は6月9日なので特別に発行が遅れたわけではないのだが。

しかし、本来6月のはじめに発行できてもよかったはずである。それが1週間ほど遅れたのはしかたがないのだが、仕事が片づかない感じがして困った。

やはりかなりの時間を5月中に使っているので、6月が来ればすぐに発行したいという気持ちが強いのである。つまりはそれまでにどれくらいの時間を使っているかが、問題となるのであろうと考える。そこらあたりが自分一人でやっているわけではないので、他人との間で調整が上手くいかないことがあるのが原因である。


唯物史観

2018-06-09 12:29:23 | 日記

唯物史観とは何か。いままで調べたこともなかった。

辞書を引いてみると、「社会の進化、歴史の展開の原動力を、物質的、特に経済的生活関係の中に求める立場」(岩波国語辞典第3版)とある。広辞苑の第5版には「マルクス主義の歴史観。物質的・経済的生活関係をもって、歴史的発展の究極の原動力と考える立場。これによれば、社会的、政治的および精神的生活一般は、究極において物質的・経済的生活の生産様式によって規定され、しかもこの物質的基盤そのものは、それ自身の弁証法的発展の必然性に従って展開されるものとされる」とある。

こんなことが気になったのは今日の朝日新聞に載っていた、柄谷行人さんの「カール・マルクス」という書評欄の記事が発端である。柄谷さんはマルクスの『資本論』(岩波文庫)とか、宇野弘蔵『社会科学としての経済学』(ちくま学芸文庫)とかマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』(平凡社ライブラリー)を上げておられる。

宇野弘蔵は「唯物史観も社会主義もイデオロギーであるが、『資本論』は科学である」という考えであったという。その説明として柄谷さんは書いている。宇野は「資本主義経済が決して避けることができない欠陥をもつことだけは承知しておけ、という。すなわち、産業資本が「労働力商品」という、必要だからといっても増やすこともできず、不必要だからといって減らすこともできない、特異な商品に依拠している」という。

マルクスは「生産に対して交換を重視する。交換は共同体と共同体の間で生じた。それは見知らぬ不気味な相手に交換を強いる「力」なしにはありえない。マルクスは商品の価値を、それに付着した物神、つまり、一種の霊的な力だと考えた。貨幣や資本はそれが発展したものである。資本主義経済は宗教的な世界である」

と柄谷さんは書いている。そしてそのマルクスの思考の発展であるような「ものの見方」を柄谷さんは見出したと書く。