私の年齢になると自分が自分の足で立つことなど当然とも思えようが、若いときにそういうことはとても難しいと思われた。
「そんなおかしなことを言うなあ」とお思いの方、ちょっと話を聞いてください。昨晩、ドイツ人の R 氏からドイツでは学位(博士号)をとるには自分で論文についての仕事ができなければならないと突き放される、という話を聞いた。
日本でそれもいい時期のある大学の大学院で学んだ、私などはちょっと思いもつかない厳しさであるらしい。確かに、博士号をとるということは他人任せでは取れないことはこれは日本でも同じだろうが、しかし、私など議論してくれる指導者もいたし、そしてそれにつけてもいいタイミングでのアドバイスももらった。もちろん、自分が努力しなければ何も達成できはしないのは博士号くらいになれば当然ではあろう。
ところがドイツではもっと厳しそうである。そのアイディアからそれを達成する手続きまで、すべて自分でやれないと博士号など認められないという雰囲気であるという。いかにも冷たいという感じがする。だが、そうらしい。
日本ではいろいろであろう。冷たい雰囲気の大学もあれば、学生に比較的やさしい大学もある。もっとも東京工業大学の科学史のコースにおられる知人から伺った話では日本科学史学会発行の雑誌にその論文の掲載が認められるのはなかなからしいから、博士号の修得は簡単な話ではない。知人も数回この科学史研究への論文の掲載に挑戦しているが、なかなか掲載にならないらしい。
ちょっと、学会の基準が厳しすぎるのではないのかと私などには思われるのだが、どうもその掲載の基準は科学史学会で暗黙に決められたものなので、外野の私がとやかく言うことはできない。ただ、はた目にはもうちょっと幅広い判定基準をもたせられないのだろうかと疑問に思わないでもない。