という本を大学の図書館から借りて帰った。もちろん、分岐点の定義と解析接続を調べるためである。もっとも分岐点の方はあまりこの書からは得るところがなさそうである。
解析接続のほうは少し新しいことが得られる可能性はありそうだ。これは訳本で2002年の発行だから、私がまだ在職していたときに発行になっている。だが、あまり読んだことはなかった。
という本を大学の図書館から借りて帰った。もちろん、分岐点の定義と解析接続を調べるためである。もっとも分岐点の方はあまりこの書からは得るところがなさそうである。
解析接続のほうは少し新しいことが得られる可能性はありそうだ。これは訳本で2002年の発行だから、私がまだ在職していたときに発行になっている。だが、あまり読んだことはなかった。
を書こうとしている。もっともこれは新しいエッセイではなく、以前に書いたエッセイを改訂増補したものである。
年をとってくると来年のことももう読めない。今年元気でも来年はどうなるのかそれは神のみぞ知る。いや、神様だってそのことはご存知ではあるまい。
ということで、いままでの自分の蓄積を残る形にしておきたい。そういう気持ちが強くなるのだ。そういう仕事の一環として、昔のエッセイの入力をしている。
この作業は昨日からはじめた。というのも「数学・物理通信」8巻10号を昨日発行したので、時間がとれるようになったから。
題して、「遠山啓の岩波新書を読む」である。これは、むかし、ある雑誌に掲載されたものであるが、現在の時点での書き換えをしようと考えた。もっとも昔書いた時よりもすこしだけ蓄積ができているので、いろいろ書き換えができそうである。
読みが深くなったというよりも、経験をすこしばかり積んだためというのが正直のところである。