物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

印象に残る言葉

2019-01-16 10:49:44 | 物理学

『ヴィジュアル複素解析』(培風館)の序文の冒頭につぎの引用文があった。

 よくわかっていることがらに関して、異なる物理的な考え方によって記述されている理論がいくつかあったとしよう。これらの理論は、帰結される予測全体からみれば同等になっているので、理論としては科学的に区別できないことになるであろう。しかし、まだよくわかっていない領域に踏み込んでいくときは、それらの理論は心理的には同じとはいえない。なぜなら、視点が異なれば、異なる種類の変更を思いつかせることになるからである。したがって、まだよくわかっていないことがらを理解しようと試みるときは、異なる視点は、導き出される仮説からみれば、同等ではない。R. P. Feynman (1966)

とあった。これほど徹底した観点からではないが、私もいくつかの違った理解をしようとしてきた。

この序文の冒頭の文章はたぶんに『ヴィジュアル複素解析』の著者が立とうとしていた立脚点であるのだろう。

ところで、この文章の出典はFeynmanのノーベル賞受賞講演にあるという。その訳は江沢洋 訳『物理学はいかにして発見されたか』(岩波現代文庫)に出ている。

 


POD

2019-01-16 10:32:45 | 日記

PODというと、昔の英語好きの少年であった私などは、Pocket Oxford Dictionaryかと思うが、最近ではそういうふうにもっぱら使われるのではない(注)。

PODはすなわち、Print of Demandである。このPODの本を数冊もつような時代とはなった。もっともPODの本は結構高い。

先日、古本で購入した竹内均さんの『弾性論』(裳華房)は1500円であったが、これもPODの古本であって定価は3600円とついていた。

たぶん、現在の私なら、こんなに高い書物を購入するのはためらうであろう。だが、武谷三男の著作を集めてはその目録をつくっている私としては彼の著作集のPOD出版の書の数冊を買わざるを得ないことがあった。これはある程度こういう役目をしていれば、しかたがない出費であった。

(注)英語好きの元少年が欲しがっていた他の辞書はCOD(Concise Oxford Dictionary)であるが、こちらのほうはとうとう手に入れることを断念したが、PODのほうは妻のもっていたものがいまでは私の書棚にある。もっともあまりひいたことはない。

また英語学最高の辞典と言われるOED(Oxford English Dictionary)は高校のころに職員室で見かけたことがあったが、それを誰かが引いているのはついぞみかけなかった。