どうしたらよいか。というのは大学とか研究所のポストが少なくなってきており、若い研究者の勤め先があまりないからである。
国にもっと大学の教員のポストを増やせと要求するのも一つの手段だが、どうも今日の情勢を考えるとそれもかなり難しいという気がする。
それで自分で可能な方法というのはどういうものがあるかを考えてみた。現在、研究者を目指していて、非常勤教員で、5年間の期間を過ぎて雇止めとなった人たちには過酷な判断だが、しかたがない。
まずは教育関係の職を目指すことがあろうか(注)。それももう大学ではポストがほとんどないのだから、高校とか中学校ということになろう。それはまず第一の選択肢であろう。
第二は、塾の講師とか予備校の講師となることである。しかし、これも若い人の人口が減ってきているので、なかなかむつかしいかもしれない。
第三は、プログラマーとかのIT企業に勤めて、余暇に研究をするということである。
第四は、農業に従事することである。これだといろいろ技術的なことにも関わられるかもしれない。その余暇に研究を推進することが可能かもしれない。
第五は、作家になることである。作家といってもサイエンス・ライターとかである。それなら、生活に困窮するかもしれないが、うまくいけば余暇に研究ができるかもしれない。
大体、私の考えつくところはそれくらいである。
要するに研究が楽しくて、研究をしたいのだが、もうそれで生活できる時代にではなくなってきている。もっともそれだって戦後の研究者はみんなそういう時代を潜り抜けてきている。いまに始まった話ではない。
私などはまだ幸運であったが、それだって紙一重のことではあった。教職の単位をとっていなかったので、もし職がなかったら、もう一度大学に帰って高校の教職単位を取る必要があったかもしれない。
ある方を大学に紹介し、職をあっせんしてくれないかとの依頼を受けたのだが、私にはそういうコネはまったくない。優秀な研究者がつぶれていくのを見るのはとても忍びないのだが。
(注)教育と研究とは同じではないが、それでもつながっているという判断がいくぶん私にはあることが理由である。
(2019.1.25付記) このブログを書いたせいかどうか、昨日のアクセスが400を超えた。かなり研究者を目指している人にはきついことを書いたので反発があってもしかたがない。しかし、私自身だったらどうするかという視点は捨てていないつもりである。いずれにしても、研究することが好きな人は結構多いと思っている。それだから、そういう人が研究者として、もしか現実にやっていけるならば、それをおめでとうと祝福してあげたい。
しかし、残念ながら、多くの研究者を目指す人にはそういう幸せな境遇にはないと思われる。そういうときにどういう判断を自分で下すか。それは大事なことである。
昨日のブログの中に「外国で研究する」という項目が入っていなかった。それは項目に入れてもよい。
ただ、数年にわたってみると、それもなかなか難しいだろうと判断している。これは研究者となる環境は外国でも同様に厳しいと思う。いわゆるPDF (Post Doctoral Fellow) となることはそれほど難しくはないのかもしれない。だが、それから、研究者に実際になるのはかなり難しい。
その時点で多くの研究者志望の人は一般の会社に勤めるとか他の多くの可能性を求めているのだと思う。
もし、このブログを読まれた方で、実際の研究者を目指していた方がおられれば、コメントをしてほしい。
このブログがそういう方々の一つの議論の場となることはいいことだと思う。ただ、自分に都合のいい、一方的な考えだけではなく、自分のおかれた環境を冷静に議論していただけるのであれば。
それくらい、一般の研究者を目指す人々は過酷な環境におかれているのだと思う。