N高校の同期生で私も含めて3人が物理学の研究者になった。 そのうちで生き残っているのは私だけである。
N君はH大学に長年勤めていたが、ちょっとしたスキャンダルを起こし、大学を辞めたが、その後病気だと思うが、亡くなった。彼はもっとも卒業は松山の有名高校である、H高校の卒業生であるので、卒業は私と同じ高校ではない。
いまは I 市の一部となっている瀬戸内海に浮かぶ大島という島があるが、N君はそこの出身である。いつだったか妻とこの島のある博物館を訪れたときに彼が寄贈した、ある有名な物理学者の記念する品があったので、彼のことを思い出して懐かしかった。このときには彼は存命だったと思う。彼とは高校一年まで同じ N 高校に在学していたことは確かである。そのころ私はおちこぼれの生徒の一人であった。
もう一人の同級生で物理学を専攻し、研究者になったのはK君である。彼は本当に秀才であった。K君とは中学校も同じで同期であるのみならず、クラスも何回か一緒になった。
大阪の公立大学に勤めていたが、定年後に病を得て、不帰の人となった。私も出席した高校の同期会で彼を見かけたのが最後となった。
こういう風に考えると長生きするのがいいのかどうかわからなくなる。
それこそサルトルが言ったかという、「親が子どもにしてやれる一番いいことは早く死ぬことである」という言葉が意味をもってくるような気もする。