坂村真民の詩集『タンポポ』(郁文社)につぎのような詩がある。独文の対訳があるらしいが、それを私は知らない。
真民の前書き
朝鮮に渡り、女学校の教員となった。チョークの箱の裏に『死して生きよ』ゲーテの詩の言葉だった。敗戦により、引き揚げ、教員を続け、生徒たちが私にゲーテとあだ名をつけた。
ドイツのゲーテを訪ねた、そのときの詩
1
かつての純真な若者たちが
わたしにゲーテという綽名をつけた
そのゲーテの家に来て
落ち葉を拾う
ゲーテから何よりもの贈りもののように
2
ゲーテの愛用の机の上に
持っていったゲーテの詩集を置く
ああ何よりの想い出
5
ゲーテの家を訪ねた記念に
・・・
タンポポを一株持って帰る
タンポポよ
因縁の不思議さを語り合う
(注)このゲーテの家がどこにあるのか知らない。私も一度フランクフルトのゲーテの生家を訪ねたことがある。しかし、たぶんここではあるまい。もっともここには中庭があったと思う。
ゲーテと縁の深い町としてはライプチッヒLeipzigとか他の町がある。ここはいわゆる東独であったので、1989年以前はいまほど簡単には行けなかった。
ドイツ再統一後にはドイツのどこにでも簡単に行けるようになったが、私は東独だった地域へは、昔の東ベルリーンを除いて、行ったことがない。