『教育の場における物理』は日本評論社から出版されている、江沢洋選集の第6巻で、これが最終巻である。
この中に
30. あの頃の哲学と物理
という章がある。この文章の中にこんな部分がある。それはいま私が書いている論文の武谷三男にも関係した部分である。
(引用はじめ)
(前略)
武谷先生は『弁証法の諸問題』(1946)をはじめとする論文集や雑誌論文において弁証法・論理・方法論・理論の立体的構造などといったキー・ワードをしかるべき文脈の中で生き生きと働かせた。(中略)さてその文章に一歩ふみこんで考えてみると、どうもわからない。(中略)
どうやら武谷先生は大変に勘のいい人で、勘と勘の間をキー・ワードでつないでいるのではないかなどと失礼なことを考えたこともある。物理の現場を経験したいまでは考えが多少は変わった。ときに立体的論理構造といいたくもなり、弁証法の言葉が使えたらと思うこともある。
(後略)
(引用終わり)
「物理の現場を経験したいまでは考えが」どのように変わったのかは説明がないが、そこらを詳しく知りたいという気がする、今日この頃である。
この本の 4. 科学政策とプルラリズム とか 25. ハイゼンベルク生誕九十年祭 -朝永先生のドイツ留学 とかおもしろい文章が掲載されている。
また、29. 憲法九条と幣原喜重郎 というエッセイも秀逸である。これは憲法への戦争放棄の提案は実はアメリカの提案ではなく、ときの総理大臣であった、幣原喜重郎の提案であったことが記された文章である。これには幣原側の証言と一方の相手のGHQの長だったマッカーサーの自伝での証言があるらしい。