昔の江戸時代に職業では士農工商といって商売をする人々が一番下の階層に属していた。
しかし、現実は武士も商売をする人からお金を借りたりしていたから、商人が必ずしも実質的な階層が一番下にあるわけではなかった。
そのせいでもあるまいが、妻は日ごろものを作る人よりも売る人の方がえらいといっている。
どういうことかというと、何かちょっとした工作物をつくってもつくる人はごまんといるが、それを売って金に換えられる人は限られるというのである。
別に大きなものを売っているわけではない。ちょっとした買物の籠をつくってそれを使っていると、それに感心した人から、同じものつくってほしいというような注文が入るのである。
そうやって友人がつくったポーチだとか籠だとかをある時はちょっとした売店の店先でうってもらったり、自分で注文を受けたりしているという次第である。
これはだから利潤を得るというような仕事ではないが、友人たちをそういう風に作業に引き込んで、作ってくれた作品のいくらかの売却益をその人たちに還元している。
今朝も朝食後の話しの中で出てきたのだが、彼女は自分がつくったものがいくらか売れた場合にはそれを医療生協の支部活動の特別会計に組み入れている。だからそのことでは彼女は一つも私的な利益を得ていない。
もちろん、年度末の支部の旅行の費用の一部とか会議でちょっと豪華な昼食の代金の一部になっている。でもそれはもちろんあまりの贅沢ではない。
医療生協の支部活動も妻が支部長をしている支部は他人から財政が比較的豊かだとか噂されるのはそういう日々のちょっとした努力の積み重ねである。
支部活動は楽しいことばかりではない。月々の支部会報の配布とかも支部連絡委員という7,8人くらいの人の集まりが引き受けての手配りである。
いわば、郵送料を節約してそれを年度末の自分たちの会合の昼食代等にしているのである。
こういうふうに考えると本を書く人よりもその印刷された本を売る人(出版社)のほうが苦労をしているので、偉いということになるであろう。いやあ、私なども出版社さまさまである。