武谷三段階論の評価をどう考えるか。これは武谷「技術論」も同じようところがある。
私の現在の評価は以下に述べる。
この二つとも詳細に調べると、論理がきちんとしていなかったりするが、それはある程度しかたがないのではないかと思う。
武谷は哲学者ではないし、経済学者でもないからその論理に不整合があったりするのはしかたがない。
そこは大目に見て、それでも新しい概念を提唱するのは難しいことだと思うので、そこを見ないで細かな論理が首尾一貫しないとかいうのはやはり正しい評価ではないのではないかと感じている。
ただ、神様のように心酔するのは間違っているし、人間としても同様である。
武谷の提唱した新しい概念はあくまで方向を与えるくらいに考えておくべきであろう。それを生涯を哲学に捧げた人の哲学理論と同じように考えるのはまちがいだということであろう。
これは遠山啓の「量の体系」などでも同様である。中学数学くらいになると遠山の提唱した「量の体系」はその適用が矛盾を含んでくるとしても、それが有効に使われる領域があれば、それでいいのである。
そして、そういう考えを提唱できたことはやはりすばらしいのである。だれでも新しい概念を提唱することは極めて難しいことに留意しなくてはならない。