ベクトル解析を私はどうして難しく感じるのか。これが私にはわからなかった。
志賀浩二さんの『ベクトル解析30講』(朝倉書店)を読んでいて、いろいろの変換に対して不変な数学という話がこの本の「はしがき」に書かれていた。そして、そういう数学から多様体論へと至ると書かれている。
しかし、微分積分学は何かの変換に対して不変な数学ではない。フラットな平面や直線上で定義された関数とか直交空間での微分積分学から、空間曲線や空間曲面上の微分積分学になるところが、ベクトル解析が難しくなる原因だとわかった。
それなら、どういう風に状況が一般化されるのかを、はじめにベクトル解析の本のはじめの方のどこかで述べたほうがいいのではないか、という気がするようになった。
微分積分学の本でも溝畑茂先生の本『数学解析』上、下(朝倉書店)などはそういうことを書いてあるようだが、一般にはそのことが明らかには書かれていない。
そういう話抜きに空間曲線だとか、空間曲面だとかの章がベクトル解析の本にはある。
それと微分形式だとかテンソルだとかもベクトル解析にどういう文脈で出て来たものかという説明があればもっといいのではないかと思える。
そういう見通しをもってベクトル解析の本も書いてほしいという望みはないものねだりだろうか。
もう一つ数学を専攻するものではない者にとって大学数学の最終目標はベクトル解析であると言われている。それについての説明もほしい。
こちらの方は森毅さんのgay mathシリーズに『ベクトル解析』(日本評論社)とか倉田令二朗さんの本『数学と物理学との交流』(森j北出版)には森ダイアグラムの説明がされているから、まったくそのようなベクトル解析の書がないわけではない。
テンソル解析とかベクトル解析の本についての、雑学家さんのアマゾンコムの長い書評に詳しい見通しが書かれている。この書評を読んで助けになる人は私も含めて少なくないにちがいない。
(2020.10.14付記)
昨日何かで読んだところでは微分形式で、ガウスの定理やストークスの定理が証明されたのは1945年でエリー・カルタンによってであると書かれあった。
エリー・カルタンは、日本の有名な数学者であった、矢野健太郎氏のフランスでの先生である。微分形式のガウスの定理やストークスの定理の証明が意外と現代に近かったことを知った。
1945年は私が5歳か6歳のころである。第2次世界大戦が終わったのはこの年である。それは私には空襲があり、また、なくなった年でもある。