夕食のときも妻と話すかもしれないが、よく話すのはやはり朝食後である。夕食後は後片付けを妻がしたり、私がしたりするので、そんなに心の余裕がない。もちろん、今日みたいに妻が午前中に何かの会に行かないときという限定条件があるのだけれども。
日曜日の朝に話をしていたら、妻がときどき誰かとお茶を飲んだりする人は大抵子どもが男の子だという。女の子の子どもを持つ人は娘と何かすることがあり、あまり暇ではないのだという。
妻も子どもは男の子ふたりだったので、結局は同じ境遇の人とつきあうことが多い。
Hさんも、また別の H さんも、Sさんもみんな息子ばかりだという。ふしぎなものだが、自然とそうなっているというから、不思議である。
お母さんにとって娘は成人しても、なにかと接触があるということらしい。息子は成人すると、それなりに独立した存在になる。これは自宅に一緒に生活している場合にでも、そうだというから不思議なものである。
だから、男の子を子どもとして持っている母親は絵を描いて個展を開いたり楽器の演奏をならったり、または書道に専念したりする場合が多いのかもしれない。