物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

子どもが男の子であれば、

2020-10-13 10:38:36 | 本と雑誌
夕食のときも妻と話すかもしれないが、よく話すのはやはり朝食後である。夕食後は後片付けを妻がしたり、私がしたりするので、そんなに心の余裕がない。もちろん、今日みたいに妻が午前中に何かの会に行かないときという限定条件があるのだけれども。

日曜日の朝に話をしていたら、妻がときどき誰かとお茶を飲んだりする人は大抵子どもが男の子だという。女の子の子どもを持つ人は娘と何かすることがあり、あまり暇ではないのだという。

妻も子どもは男の子ふたりだったので、結局は同じ境遇の人とつきあうことが多い。

Hさんも、また別の H さんも、Sさんもみんな息子ばかりだという。ふしぎなものだが、自然とそうなっているというから、不思議である。

お母さんにとって娘は成人しても、なにかと接触があるということらしい。息子は成人すると、それなりに独立した存在になる。これは自宅に一緒に生活している場合にでも、そうだというから不思議なものである。

だから、男の子を子どもとして持っている母親は絵を描いて個展を開いたり楽器の演奏をならったり、または書道に専念したりする場合が多いのかもしれない。


Die Wahrheit liegt auf dem Platz.

2020-10-13 09:41:32 | 外国語
Die Wahrheit liegt auf dem Platz.とい う名言を言ったのはドイツ人のサッカーコーチのRehhag(?)さんだという。このコーチは存じ上げていないのだが、昨夜のNHKのEテレの「旅するドイツ語」の最後に紹介されていた。

Die Wahrheit liegt auf dem Platz.の直訳は「真実はフィールドの上にある」であろう。このコーチはどこかの国のサッカ-チームを率いて全ヨーロッパだったかの選手権に優勝したコーチだという。この意味は定かではないが、厳しい練習をすれば、ゲームで勝てるとかいうことであろうか。

der Platzは普通は広場であるが、ここではサッカー場を意味しているのであろう。普通はder Marktplatzという語として使われる。

ヨーロッパの町はキリスト教の教会を中心にして町が発展したので、町の中心に教会があり、その広場で週に何日か市場が立つ。それでMarktplatzと言われる。日本人にとってもよく知られているのは、たとえばフランクフルトのR"omerbergであろうか。それとミュンヘンのマリエンプラッツMarienplatzであろうか。

もう20年以上前のことだが、数週間の南ドイツの旅行の最後にフランクフルトでそれこそ20数年ぶりにこの広場R"omerbergのアイスクリーム屋さんの前の椅子にすわってアイスを食べながら、中年のご婦人とお話をしたことを覚えている。

なんでも前日にゲーテに関係したお祭りの儀式があり、ゲーテのお母さんがお里帰りするという劇で馬車に乗って広場を出るというシーンがあったのだという。

そのときにはじめてKutsche(クチェ)というドイツ語を耳にしたが、たぶん馬車のことなんだろうなと想像した。レーマベルクR"omerbergの近くにはゲーテの生家Geburtshausがある。

広場としては、他にはミュンヘンM”unchenのマリーエンプラッツMarienplatzとかベルリーンBerlinのアレクサンダープラッツAlexander Platzとかが有名である。