物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

歯の点検

2020-10-20 16:51:15 | 本と雑誌
歯の点検に行った。半年ごとに来てくださいとは言われているが、そうはいっても半年ごとには行けない。それでも2月に前には行ったと思うので8か月ぶりくらいである。

治療した虫歯はあるし、どうしても抜かねばならなかった歯もあるのだが、それでもまだ自前の歯が多いほうだと思う。

8020とかいうが80歳にして上下だともちろん20本以上の歯が残っている。

先日、ドイツ語のクラスのときに歯のことを聞かれたが、年の割にはまだたくさん残っているほうである。

そのときに本来なら、下の歯が18と上の歯が18あると言われたが、36本全部はもちろん残っていないが、上下で抜かなければならなかった歯は4本ぐらいだと思うのでそれだと32本くらいは残っているのではないかと思う。

目の方は放っておくと緑内障で目が見えなくなるので、そうなると大変と思って、ほぼ1月に1回は眼科に通って診てもらっているし、眼圧を下げる目薬をほとんど毎日挿している。

J'enseigne, donc je suis

2020-10-20 09:50:35 | 本と雑誌
J'enseigne, donc je suis. (ジャンセイニュ、ドンク ジュ スィ)というプラカードを掲げている写真を朝日新聞でみた。

これはもちろん有名な哲学者のデカルトの言葉Je pense, donc je suis(ジュ パーンス、ドンク ジュ スィ)をもじったものである。Je pense, donc je suisは「われ思う、ゆえにわれあり」という意味である。

それに倣えば、J'enseigne, donc je suis.は「私は教える、だから私は存在している」とでも訳せようか。

これは先ほどパリの中学校のある先生が授業中に イスラム教の聖者の風刺画を見せたというので、イスラムの狂信的な信者(?)に刺されて亡くなったことと関係している。

この先生は毎年この写真を見せて言論の自由か何かについての講義をされていたそうであり、今年も前もって気分が悪くなる生徒があるかもしれないので、その場合には教室を出てもいいと生徒には指導されていたらしい。

それでもその授業をされたことがどこかから漏れて今回の惨事となった。

そういう授業は始めからしないのがいいのか、そうではなくて、授業はするがきわめて大きな配慮をするのがいいのか。私には早急に結論を出すことはできない。

(注)
「je esnseigneは j'enseigne(ジャンセイニュ)となるべきではないかと思うが、写真をよく見ていないのでしかとは言えないが、je esnseigneとあったように思う」と書いたが、夜に自宅に帰って再度新聞の写真を見たら、ちゃんと j'enseigneとなっていた。思い込みで書いたのはわるかった。