物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

今日は中秋の名月か

2020-10-01 16:52:13 | 本と雑誌
今晩は中秋の名月だったか。昨日がそうであったのか。わからない。

昨夕、月が満月に近かったような気がするが、定かではない。子どが家にはもういないので、私たちのためだけに妻も月見だんごをつくったりしない。

それに今日からまた冬学期Wintersemesterのはじまりであり、今日からドイツ語のクラスが始まる。Zoomによる夏学期Sommersemseterは少し遅れてはじまったので、10回で止めてもらった。

というのは徳島科学史会の雑誌への投稿論文を書く時間が取れないと考えたからである。それもなんとか今日原稿をインターネットで送り、郵便でプリントしたものを送ってひとまず終わった。

もっともあまり推敲の時間がとれなかったので、もしかしたらミスが多いかもしれない。


銀林浩さんの死去

2020-10-01 10:46:26 | 数学
数学者・銀林浩さんが8月18日に亡くなられていたことを雑誌「数学セミナー」のお知らせで知った。93歳だったという。

銀林さんには何十年か前に一度だけ高知で夏の数教協大会でお会いしたことがある。私自身は人見知りする方なので、他の大会に参加したことはない。ちなみに世間で有名なだった数学者の森毅先生にお目にかかったのもこの大会であった。

「数学セミナー」には数学教育の専門家とあったが、それにはまちがいがないのだろうが、私にはvan der Waerdenの『代数学』(東京図書)の訳者としてのほうが印象としては強い。そのほかいくつかの本の訳者でもある。

水道方式といわれる「数の計算の体系」をつくったご本人でもある。

「数の計算の体系」の銀林さんの功績は大きい。

最近では銀林浩・純の父子が編纂された『数・数式と図形の英語』(日興企画)にお世話になることが多い。こういう本はあって当然なのだろうが、意外とすくないのが現状である。

ご冥福を祈る。

(2023.10.17付記) 銀林さんはハンサムですらりとした貴公子然とした方だった。東大の学生自治会だったかの委員長をされていたことがあったとかで停学の処分を受けられたことがあったとか。だから個人的に話をしたことはなかった。彼との出会いはホテルの浴室であった。

その数日後だったか森毅さんとも出会ったが、森さんの方は気さくな方であった。銀林さんが気さくでなかったということを言いたいのではなく、銀林さんの人柄を知らないというだけである。