これは私が以前に『燧』という雑誌に掲載した「ドイツ語圏世界の科学者」という記事の(7)である。
アルバート・アインシュタイン (7)
最近出版された笹本駿二の『スイスを愛した人々』(岩波新書)の第2章はアインシュタインを取り上げている。アインシュタインは1879年3月に南ドイツのウルムで生まれた。しかし、笹本によれば、アインシュタインとウルムの縁はかなり薄いようだ。そのせいかどうかは知らないが、私が昔参加したフンボルト財団招待のドイツ国内旅行にもウルムは入っていなかった。
また、ミュンヘン近くの強制収容所跡ダッハウの見学も入っていなかったので、同行の日本人の同僚の間から不満の声が出たのを覚えている。「ドイツ人は過去のことを隠したがっているのではないか」と。しかし、このことは残念ながら私たち日本人には自分たちのこととしてすぐ跳ね返ってきてしまう。例えば、南京の大虐殺とか大連での残虐行為といったようなことを隠したがったり、そんなことはなかったと強弁したりする人が跡を絶たないからである。
それはともかく、アインシュタインが20世紀の最大の科学者であることは言うまでもない。科学に少しでも関心のある人たちなら、中身は知らないまでも「相対性理論」という言葉は聞いたことがあるであろう。アインシュタインの名は相対性理論と共にまさに不滅である。この相対性理論は大きくいって特殊相対論と一般相対論とに分かれる。20年ほど昔には物理の学生にとって特殊相対論はぜひ修得しておくべき科目だったが、一般相対論はそれほど必要ではなかった。ところが現在では、これも必修となってしまった。
アインシュタインといえば、相対論という連想があまりに強く働きすぎるためか、彼が量子論に対して行った貢献の大きさがともすれば、見過ごされがちである。初期の仕事である光量子仮説や固体の比熱の量子論はまさに量子論への重要な寄与であるが、それにとどまらず量子論におけるいわゆるコペンハーゲン解釈と言われるものの確立に、それについての疑義を提出する人としてアインシュタインは重要な役割を果たした。すなわち、ボーアの量子力学の解釈はアインシュタインとの論争の結果として、確立したのである。
「神はサイコロをふりたまわず」という彼の信念は20世紀の物理学者の大部分に、古くさくあまりにかたくなな古典的な因果概念の固執に見えたので、彼の晩年は学問の主流から外れた道を歩むものと考えられた。さらにアインシュタインは量子力学を理解できなかったとまで言われた。
しかし、この点についても彼の晩年の研究の中心であった統一場の理論に対する評価と同様に、現在の時点で再度関心を集めていることは歴史の弁証法的な意味でのくりかえしのようでもあって興味深い。
湯川秀樹は晩年よく「アインシュタインの一般相対論のような構想をいかに素粒子の世界に生かすか」に苦心していると語ったが、湯川の意図は十分ではないとしても現在の素粒子の超弦理論の構想に引き継がれているのではあるまいか。凡人から疎んじながらも自らの道を行くといったところにやはりアインシュタインとか湯川とかハイゼンベルクとかいった天才の真骨頂をみる思いがするのは私だけだろうか。(1989.1.22)
(2023.1.20 注)ちょっと現在の私の感じと異なっているところもあるが、昔書いたところを尊重して、文章は変えなかった。時代錯誤の表現があるかもしれないが、ご寛容をお願いする。その後、1997年だったかにウルムを訪れたことがある。