物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

朝永振一郎

2023-01-31 13:36:44 | 物理学

これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(13)である。

 

(13) 朝永振一郎 (Sin-itiro  Tomonaga  1906-1978)

 朝永振一郎と見たとたんに「ええっ、どうして朝永さんがドイツ語圏世界の科学者なの」と不思議がる読者の顔が思い浮かぶ。その通り、朝永は日本の科学者であって、ドイツ語圏世界の科学者ではない。しかし、この一連の記事では表題の意味を広く解釈することにしている。その一例はオッペンハイマーであった。

朝永とドイツ語圏世界とのかかわりは1937年の彼のライプチッヒ留学に始まる。当時すでにヒトラーはドイツの政権を掌握していた。当時、理化学研究所の仁科芳雄博士のもとにいた朝永は日独学術交流事業の一環としてライプチッヒのハイゼンベルクのもとへと研究にでかける。

 ライプツィッヒの日独学生寮に住み、日本語、日本文学専攻のドイツ人学生とのつきあいながら、原子核物理学の研究を続ける。そのときの滞独日記は現在では『朝永振一郎著作集』(みすず書房)に収められているので、読まれた方も多かろう。そのトーンはその当時の政治情勢を反映してかなにか陰鬱で、センチメンタルでもある。ハイゼンベルクの下にも、ほとんど優秀な学生は残っていなかった。しかし、彼の助手で、後に空軍に入り偵察飛行に出たまま帰ってこなかった、共産主義者のハンス・オイラーは優秀な若い学者として将来を嘱望されていた。ハイゼンベルクもオイラーの才能とその早すぎた死を悼んで自伝『部分と全体』(みすず書房)でオイラーについて一章を割いている。

 朝永の滞独日記にもこのオイラーに彼の論文をほめられたとある。このころのハイゼンベルクは「白いユダヤ人」と言われ、ナチへの非協力者として当局からは白い眼でみられていたらしい。ハイル・ヒトラーと挨拶して大学での講義を始めなければならなかったので、あいまいに手を振って挨拶をするハイゼンベルクを何度も見たと朝永は述べている。

 さて、「滞独日記」は決して明るいものではないが、その陰で朝永の懸命な研究生活がつづく。ハイゼンベルクの物理的思考法やフィーリングを着実に吸収している。そしてその成果は帰朝後の1943年の超多時間理論、1947年のくりこみ理論へと結実する。敗戦直後の日本で朝永は一躍世界の研究の最前線に躍り出て、アメリカのシュウインガー、ファインマン、ダイソンといった若い天才物理学者と競い合う。そのころ、ハイゼンベルクはくりこみ理論の論文を読んで、あなたの「生きているしるし(Lebenszeichen)」を見たと朝永に書き送っている。

 朝永の著した量子力学のテクスト『量子力学I, II』(みすず書房)は不朽の名著だが、特に『量子力学I』は何度読んでも感銘を受ける。純然たるテクスト風の書籍でこんなに感銘を受けるものが他にあっただろうか。

 私には朝永の講演を何回か聞く機会があったが、もっとも印象に残っているのはなんといっても、第二回科学者京都会議の直後に広島市公会堂で行われた「平和を創造するための講演会」での彼の講演であった。このとき彼はPugwash会議の歴史と現状について話した。

 「このごろPugwashが“平和のために努力する”という意味の動詞として使われ、pugwash, pugwashed, pugwashedと規則変化します。みんなでpugwashしましょう」と朝永が話を結んだときの会場中の笑いとどよめきと深い余韻は今も私の体の中に残っている。(1989.8.30)

 

(2023.1.31付記)

朝永さんについて30年を経たいま何か書き加えておこうかということが思い浮かばない。その後にも朝永さんの講演は聞いたことはあったのに。まったく何も考えが思いつかなかったか、それともいろいろと思ったことがあったのだが、忘れてしまったのかは今ではわからない。その後、朝永さんは科学者の原罪みたいな思想を説くようになられたと思うが、その思想にはあまり賛成ではない。

(2023.2.1付記)

朝永さんの著書に関係したことでは『スピンと角運動量』(みすず書房)のPauliマトリックスの導出の箇所をフォローして「数学・物理通信」にエッセイを書いたことがある。量子力学を学んだ人でPauliマトリックスを知らない人はないが、これはあまりにも有名なのだが、その導出までは知らない人も多いかと思って書いたメモである。

『スピンと角運動量』では他の本ではあまり見ない取り扱いも一部あり、その点で長い間わからなかった点があった。頭のいい人に尋ねてみたいと思いながら、それを果たせず、結局自己流に理解して、Pauliマトリックスの導出を説明したエッセイを書いた(「数学・物理通信」9巻10号(2020.2.3)20-30)インターネットで検索すれば、見ることができる)

もとより量子力学では角運動量の一般論を学ぶので、その一般論で角運動量の大きさが1/2 \hbarであると特定して、Pauliマトリックスを導くのも一つの方法ではあるのだが。

(2024.1.12付記)
上の付記を書いてからほぼ一年後の今思うことは朝永の岩波新書『物理学とはなんだろうか』下巻のIII章(2 熱と分子、3  熱の分子運動論完成の苦しみ) を読んで私の熱力学の認識を少しでも深めたいという気持ちが少し起って来ている。そういうことが私にできるのかどうかは実際のところはわからないが、そういう気持ちがちょっぴり起っていることだけは確かである。