これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(8)である。
(8) フォン・ノイマン (J. von Neumann 1903-1957)
天才はしばしば短命である。美人がそうであるように。これは神が多分にその才能や美しさを妬んだためかもしれない。原爆製造に関係して比較的若くして亡くなった天才的科学者としてはエンリコ・フェルミとかフォン・ノイマンがいる。イタリア系のフェルミはドイツ語圏世界の科学者とはいいがたいが、ハンガリーの首都ブタペスト生まれのノイマンは明らかにドイツ語世界の科学者である。
ノイマンは数学者であったが、大学でははじめ化学を専攻した。オッペンハイマーとかウイグナーとかいった物理学者もはじめは化学専攻であったそうだから、化学は万学への契機を与えるのであろうか。日本でも、理論物理学者には意外と電気工学出身とか化学出身の人で成功しているが多いのは世界的傾向とまったく似通っている。
ドイツのSpringer社の黄表紙シリーズの中にある“Die Mathematsiche Grundlagen der Quantenmechanik” (『量子力学の数学的基礎』)はノイマンが29歳のときの著作という。十年ちょっと前に数学者のY先生からこの本の内容の手ほどきを受けたことがあったが、Y先生もそのエレガントさにしきりに感心されていた。しかし、この本は私のような数学オンチには簡単に読めるような代物ではない。関数解析、量子力学、ゲームの理論、プログラム内蔵型コンピュータの普及発展等々ノイマンの業績はまことにすばらしい。
ノイマンは驚くほど記憶がよいだけではなく暗算能力にも優れていたという。しかし、その彼が初期のコンピュータENIACのことを聞いてそれにすぐ夢中になったというのはおもしろい。ものすごい暗算の達人だったからこそ、人間の能力の限界をよく知っていたのだろうか。
ノイマンはロス・アラモス(スペイン語でポプラを意味する)の原爆実験場に長くいたために、ガンに侵されたのではないかといわれている。そういえば、ロス・アラモス研究所長であったオッペンハイマーや原爆製造の指導者の一人フェルミ、ごく最近ではファインマンといった人々もガンに冒されて亡くなっている。広瀬隆のノンフィクション『ジョン・ウエインはなぜ死んだか』に述べられているような事実がロス・アラモス関係者に現れるのは当然の結果かもしれない。
今世紀初期のハンガリー出身の優れた一群の科学者たちの出現、例えば、ウィグナー、ノイマン、ガボーア、テラー、シラルドも興味津々であるが、このことについては別の機会に譲ることにしよう。
「ジョニー(ノイマンのアメリカでの呼び名)は本当は悪魔なんだけれど、人間の中で暮らして人間の真似があまりにうまくなったんで、とうとう自分が悪魔であることを忘れてしまったのさ」と数学者の森毅は『異説数学者列伝』のノイマンの項を書き始めている。
(1989.4.15)