物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

佐藤幹夫さん逝去

2023-01-17 15:32:40 | 数学

佐藤幹夫さん逝去という記事が朝日新聞に出ていた。

 私自身は佐藤さんのことをよくは知らない。しかし、非線形波動の解法で広田の方法を考えられた広田良吾さんがE大学での集中講義で「僕は天才などいるとはまったく思わなかったが、佐藤幹夫さんは天才ですね」と言われておられたのを聞いたことがある。

 広田さんにそれくらい深い驚きを与えた数学者はどんな人なんだろうかと崇敬の念を抱いていた。日本は偉大な数学者を失ったことになろう。その独創性が群を抜いた人であったことはまちがいがない。

 何十年も昔のことになるが、京都大学の数理解析研究所の研究会に出たときにちらっと佐藤さんを見かけたのではないかと思ったが、定かではない。研究会を行っている会場の後ろに知らない方が姿を見せたことがあった。今から考えるとその方が有名な佐藤先生であったように思われる。

 残念ながら、有名な佐藤超関数がどういうものだか存じ上げていない。佐藤超関数を解説した本があるらしいのだが、それらのどれもまだ読んだことがない。いつか読んでみたいという気持ちはもっているけれども。

 

 

 

 


マックス・ボルン

2023-01-17 13:44:17 | 物理学

これは「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで雑誌『ひうち』という雑誌に掲載したものである。その中の第4回である。

ご参考までにこのブログに掲載する。

 

(4)マックス・ボルン(Max Born) 1882-1970

 10年以上も昔になってしまったが、ドイツのマインツ大学に留学していたころ、住んでいたMainz-Gonsenheimの近くの森の傍のバスの終点に、M. Bornとのみ記された(小さな)石碑があった。そこになぜ、マックス・ボルンの名を記した石碑があるのか、由来を書いたものが見当たらなかったので結局わからずじまいであった。

 日曜などに子どもをつれて森を散歩するついでに、よくそこへ立ち寄ってボルンに思いを馳せたものだ。ボルンといっても、たいていの人はそんな名前はご存じないにちがいない。

 しかし、彼こそハイゼンベルクやシュレディンガーやディラックと並んで「量子力学」の創始者の一人なのだ。特にハイゼンベルクの独創的ではあるが、荒削りの洗練されていない論文から数学的に構造のはっきりした量子力学の理論を抽出したのはまさに彼とP. ヨルダンであった。彼らの量子力学は行列の形で表されるために行列力学と呼ばれている。

 また、量子力学における状態関数は、粒子がある場所に見い出される確率と関連するという確率波解釈を提唱したり、またボルン近似といわれる粒子の散乱によく用いられる近似法を考案したのも彼であった。ハイゼンベルクの先生の一人であるにもかかわらず、哲学的立場がハイゼンベルクと異なるためか、その評価においていくらか彼はないがしろにされる傾向にある。

 例えば、ハイゼンベルクがノーベル物理学賞を1932年に受賞したときに、共同受賞したとしてもおかしくかなったのに、ボルンのノーベル賞受賞は1954年であり、ハイゼンベルクの受賞より22年後のことであった。

 因みに「量子力学」(Quantenmechanik)という語はボルンによるものという。ユダヤ系ドイツ人であったために、1932年から1954年まで、イギリスに亡命生活を余儀なくされた。1954年に帰国し、1970年にゲッティンゲン郊外のバート・ピルモントで亡くなった。私の好きな学者の一人である。(1988.11.20)

 

(2023.1.21 注)Quantenmechanikは英語ならだれでも知っているQuantum Mechanicsである。発音が難しいのでカタカナでつたなくだが、つけておくとクヴァンテンメヒャニークと発音する。ドイツ語をご存知の方はカタカナの発音は無視してください。