これは雑誌『燧』という雑誌に「ドイツ語圏世界の科学者」というタイトルで掲載したものの(6)である。
(6) クーラント (R. Courant 1888-1972)
ロベルト・ユンクの『千の太陽よりも明るく(Heller als Tausend Sonnen)』は原爆の製造へと巻き込まれていく現代の原子科学者の運命を描いた優れたノンフィクション作品であるが、この本の前半にはガウス以来の伝統ある大学都市ゲッティンゲン(Goettingen)のアカデミックで生き生きした様子が描かれている。
日本ではドイツの観光の目的地としてはハイデルベルク(Heidelberg)の方が有名で三木清、大内兵衛、羽仁五郎らの学んだ大学町として知られている。ハイデルベルクは戯曲『アルト・ハイデルベルク』や古城および美しいネッカー河によって旅行者をひきつけている。だが、私にはゲッティンゲンのほうがより懐かしいものに思われる。
なんといっても量子力学はこの地ゲッティンゲンで最初に生まれたのであった。先月取り上げたボルンがハイゼンベルクやヨルダンと量子力学の論文を1925年に書き上げたとき、それを理解するのに役立つ数学のテクストがタイミングよくすでに出版されていたことは驚きと言ってよい。それがクーラントの著した『数理物理学の方法(Methoden der Mathematischen Physik)であった。この本は一般にクーランーヒルベルトという名で知られている。クーラントは1920年代から1930年代初頭にかけてのゲッティンゲンの黄金時代の立役者の一人であった。彼はそこに数学研究所を創設した。その後、彼の親友であったボルンやフランクと前後してクーラントがナチの手を逃れてゲッティンゲンを去ったとき、栄光あるゲッティンゲンの時代は終わりを告げたのであった。
しかし、クーラントは再びニュー・ヨークで新しい数学研究所をつくりあげ、多くの優れた数学者を育成したのである。数学界の不死鳥と呼ばれる由縁である。(1988.12.21)
(2023.1.24付記)『千の太陽よりも明るく』はその翻訳が文芸春秋社から出されていたが、いまでも平凡社文庫か何かで読めるはずである。文芸春秋社版は学生だった頃に出たので一気に読んだ覚えがある。ユンクは晩年スイスに住んだと思うので、スイス人かと思っていたが、どうもドイツ出身のジャーナリストであったようだ。