「ドイツ語世界の科学者」の(1)である。これは雑誌『燧』という雑誌に掲載したものの(1)である。
オットー・ハーン (Otto Hahn 1879-1968)
今月から、毎月一人ドイツ語世界に関係の深い科学者を紹介しよう。
ここ数十年の間、ドイツ語圏の科学者が脚光を浴びることは少なかったが、ごく最近になって、いくらか往年の科学界における栄光をヨーロッパ、特にドイツ語圏の世界がとりもどしつつあるように思われる。
ところで、ハーンと聞いても「はてな」と首をかしげる人が大部分だろう。近ごろのような「反原発」運動が盛んになっても一般の人には原子核分裂(die Atomokernspaltung)の発見者としてのハーンの名をご存じないかもしれない。この発見は1938年末にシュトラ―スマンと共になされ、1944年ハーンはノーベル化学賞を受賞する。ハーンのこの画期的な発見はほぼ60歳のころであったことは注目すべきである。
ハーンはそ率直で謙虚な人柄で知られていた。原子爆弾が広島・長崎に投下されたという報を聞いたときに、彼には何の責任もないにも拘らずしばらく口がきけなかったという。
「科学者の社会的責任」という概念に深刻に直面した科学者の一人であったろう。彼の発見は原子爆弾の開発への端緒を与えはしたが、爆弾そのものとは「春風が吹けば、桶屋が儲かると」といった体(てい)の関係しかない。(1988.9.13)
(2023.1.23付記) 核分裂と核融合との違いとかは物理屋しかわからないだろうが、その説明はここでは省略する。一時期だが、こういうことも大学での講義で教えていたことがある。これは私の上司のA先生が行っていた講義の一部を受け継いだためではあるが、そのうちにそういう講義はしなくてもよくなった。それでもそのときの講義ノートは今でも私の手元に残っている。