あまり学会にも行きたくないし、集会にも参加したくない私が一度だけ数学者の森毅さんに会ったことがある。
これはもう何年のことだったわからないが、1980年代後半であっただろうか。夏に高知であった数学教育協議会の全国大会のある夜に学生さんが企画した行事だった。
題して、「森毅と乱交パーティ」、別に性的なことをここでは意味していない。それはおもしろそうと思って参加したのだが、参加者は件の学生は数人いたかどうか。他の参加者で社会人だったのは森さんをのぞいては私ぐらいだった。
しばらくして、学生さんたちが退散した後も少し森さんと話したが、それとていくら大目に見積もっても2時間未満であろうか。何を話したかは覚えていないが、その数年前に消滅した核力グループについて私は話したような気がする。核力グループの表立ってのリーダーは有名な物理学者の武谷三男である。
もちろん、表向きのリーダーがいるとすれば、陰のリーダーもいる。陰のリーダーはあまりグループ内でも意識されていないのだが、大阪市大に勤めておられた亘和太郎さんである。亘さんは、北大に勤めておられ、最後は京都大学にもどられた玉垣さんとも親しかった。それで核力グループの陰のリーダーとして最適の方であった。
またこの亘さんはかつて広島大学に勤務されていた関係で広島大学のグループとも関係があった。そういうことが彼が核力グループの陰のリーダーでありえた理由でもあるし、何より人柄が温厚で人望があった。
思わぬ方向に話がはずれたが、森毅さんはアルコールを飲まないのにだべることが好きで体力があり、いつまでたっても会を御開きにしたいと言わないとかで有名だったとどこかで読んだことがある。さすがにこのときは相当のお年になっており、そろそろおしまいにしましょうと森さんの方から提案をされたので、お話はおしまいになった。
森さんの数学者らしからぬところは、「気楽に行こうよ」と若者や学生に呼びかけるような感じのところがあり、なんでも決めつけてはしまわないで、余裕をもつというかそういうところが好きである。
一方、数学自身はなかなか厳しい学問である。私が近くで見たことのある数学者で人間的に尊敬できる人はいないでもないが、ピリピリした感じの人が多かったような気がする。これはその人の性格もあろうが、たぶんに数学が学問として本来そういう性格をもったものだろうという風に思っている。