物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

仁科芳雄書簡集

2009-01-13 11:28:08 | 本と雑誌

「仁科芳雄書簡集1,2,3」(みすず書房)が2007年に発行されている。しかし、これが1冊15,000円をこえる値段で3冊だと4.5万円を越える。

買いたいけれども懐具合を考えたら、買うことができない。内容を見ていないので、4.5万円の価値があるのかどうかはわからないが、これだけの値段がついたということはそれだけの価値があるのであろう。それに関係者の努力といえばこの値段では引き合わないに違いない。

ある有名な力学の本の訳を私を含めて3人でやって、やっと2月に下巻の発行予定までにこぎつけたが(上巻は3年前に発行済)、これに払った労力は膨大なもので、これをもし時給500円で換算しても、私一人の分でも百万円のオーダーは優に突破する額になるだろうからである。

それぐらい長時間の労働の結果できたものである。いわゆる金儲けではこんな仕事は絶対にひきあわない。これの印税は8%で3人で分ければ、ちょっとしたタバコ銭ぐらいにしかならない。もっとも私はタバコをまったく吸わないが。

そう思えば、本当は4.5万円の書籍の値段は高くはないのだろう。しかし、やはり年金生活の私には高すぎる。だが、一度見てみたい気がするし、このごろはこういった高価な本は大学図書館も購入しないようだ。

(2011.11.17付記)  その後古書としてインターネットで購入したが、それでも全3冊で3万円くらいはしたのではないかと思うが、もうその価格は覚えていない。

購入したときにざっと眺めて後は書棚に入れてそのままである。もっともいつでも見ることができると思うと安心をする。図書館に脚を運ぶ手間をなかなかとれないので、それだけでも助かる。


古本の処分

2009-01-12 13:20:27 | 日記・エッセイ・コラム

庭に10年ほど前につくった書庫もかなり一杯であるから、古い本を処分しようと思って昨日の日曜日の書庫を開けて見た。長男が高校の頃に本を読んで空手の格好を練習していたのでそういう本が数冊あるが、これはいらないだろう。それに岩波の物理学講座のうちの友人がもらってくれなかった数冊が残っている。これは私ももっているので売り払ってもいいだろう。

そういう風にして選んだ書物を30冊ほど取り出してきた。ある程度子どもたちの思い出になうような本は自分たちで処分するまで残しておいてやりたい。ところが、その中に「詩人のための物理学」があった。これは残しておこう。

これは妻が買って読んだ本だが、沢木耕太郎の「深夜特急」3がある。これは一度自分で読んでから売り払おうか。それと応用数理学会と金属学会の機関誌が少しあるが、これらはもし買ってくれるところがあれば売りたい。要するに場所を空ける必要があるのだ。


safety net

2009-01-10 11:24:47 | 社会・経済

safety netが必要だ。3月末までに85,000人の派遣労働者が職を失うという。企業は業績が悪化すれば、派遣労働者の首を切ればすむが、社会としてはそれではすまない。小泉改革の内幕がこんなに不人情のものであったのはこの頃では社会全体の周知の事実となったが、政治として問題なのはそういう事態に備えたsafety netがまったく考えられていなかったことだ。

これは政治の責任でそれを放置した自民党は責任をとらなければならない。しかし、どうみてもその責任をとろうとはせず、2兆円の給付金でごまかそうとしている。それが不人気なのは自民党の政治家の多くもわかっているらしいが、それを率直には認めようとはしない。

科学的な論争に負けたときにはそれを率直に認めるということを私は科学者に必要な資質と考えているが、それをもっている人はすくない。もちろんこのこととはまったく矛盾するが、一度言い出したことはそれを容易なことでは撤回しないというのも科学者に必要な資質である。

社会の識者の間では資本主義が行き過ぎたことはもう十分に認識されてきてはいるが、まだそれを認めたがらない人たちも多い。また、資本の論理はあくことなき利潤の追求であり、そのためには人がどこかで餓死をしようが、またガザで起こっているような砲撃によって一般の人が死亡することも辞さない。人はどこまでも非情なものである。


ミウラおり

2009-01-09 11:33:06 | 物理学

「ミウラおり」とは宇宙空間で広げることができる「おり方」である。二男が高校生だったかのころに宇宙航空研究所にいた三浦功一(?)さんが考案したものである。それが新聞に出ていたのを見てそれを二男が新聞ですぐに折っていたことがある。

息子自慢で申し訳がないが、私にはそういう記事を辛抱強く読んでそれを理解して、それを実際に折って見るというような才能はない。ところが二男はそういうことを苦もなくできるというところがあった。

この折り方は多分宇宙にロケットを打ち上げるときにはかさばらず、かつ宇宙空間では太陽光線だったかを十分取り入れることができ、かつ開くのにエネルギーが最小ですむという折り方を三浦さんが考えたという。それで新聞種になったのである。

もちろん、それを考え出した三浦さんが一番偉いのであって。それを新聞記事から再現した息子はそれほど偉いわけではない。だが、一般の人にはそれすらも面倒なのだ。それが一般のその他大勢の実情なのだ。それを考えると私の息子自慢はもちろん親馬鹿ちゃんりんではあるが、理由がないわけではない。

その、新聞で折った三浦おりの実物はしばらく保存していたのだが、どこかへ見当たらなくなった。そのうちにひょっとでてくるかもしれないが、たくさんの書類とかごみの中に埋もれてしまった。でもこれは物理のいい例なのでそのときの新聞の切抜きが残っていれば、一緒に大切に保管をしておきたい。


平方根の近似値2

2009-01-08 13:49:00 | 数学

「平方根の近似値」の求め方をまとめようとしている。インターネットを探せば、いろいろの求め方があることがわかる。まずまとめているのはNewton法による近似値の計算法である。

大学時代の物理実験で手回しのタイガー計算機で平方根の近似値を求めた方法とかいまきちんとまとめておきたいという欲求がある。

また試験のときに必要ならば、どうやって近似値を求めるのか、二項展開で近似値を求めるの方法もまとめておきたいし、普通の中学校で学ぶ計算法ももちろんまとめておきたい。

それにつけ加えて、もちろん平方根の意味をどう教えるのかも再考してみたい。

しかし、こういう作業をできるだけ早く卒業して、もっとオリジナルなことをやらなければならないのだが、どうもそこまで手がまわらない。

(2012.2.8付記)  現在までに二つほど平方根の近似値の求め方についてのエッセイを書いているが、それをどこにも発表していない。また、その平方根の近似値の求め方の方法がいくつあるかもまだ十分にはわかっていない。現在は四元数が私の当面の関心なので、平方根の近似値のレビューはもっと先に残された課題である。

(2014.6.18付記)愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」に3回ほど報告を載せた。 だが、大々的なレビューをしたいと考えてはいるが、なかなかそういうことには手がつかない。 


自然対数の底、再論

2009-01-07 12:41:19 | 数学

「自然対数の底、再論」という数学エッセイを昨日仕上げて、愛数協の事務局に送った。

これはおなじみの自然対数の底を以前に連続複利法から導入した方法とは異なる、いくつかの導入法をレビューしたものである。

また、以前に「数学散歩」(国土社)に書いた、自然対数の底の近似値の漸化式による計算を改良したものも述べた。

これらは何れも私のオリジナルではないが、いくつかをまとめたところに新味があるであろうか。

そういうこともあって昨日はブログを休んでしまった。ブログより関心のあることが出てきたら、ブログを書くことがおざなりになることは仕方がない。

これらの構想は前からあって原稿を一年以上前にほとんど書き上げてあったが、図が描けないのでそのままになっていた。それが最近GRAPESのお陰で図を描くことが大分楽になった。

しかし、まだ十分に慣れてはいないので意を尽くしたものにはなっていないかもしれない。しかし、bmpでもlatexに取り込めることがわかって図の問題がある程度解決した。

エッセイはもう完成と思ったが、文章を5日の晩にもう一度見直したら、気になるところが出てきてかなり直した。しかし、もう自分ではこれ以上のものを当面は望めそうにないので脱稿とした。

「グラフの平行移動」の数学エッセイは妻に見てもらったら、1次関数の平行移動について付加すべきことが出てきたので、脱稿は延期した。

あと、「超幾何関数」と「最大公約数の求め方」とはまだ部分的な草稿があるだけである。「平方根の近似値(1)」も図を描くことの問題で止まっているから、これも少し先へ進めることができるだろうか。


素粒子の宴

2009-01-05 11:42:01 | 日記・エッセイ・コラム

私の仕事はじめは今日1月5日である。長かった年末年始のお休みも終わり今日から仕事を再開する。1月2日に兄の家に行き、親戚とひとときを楽しんだ。

年末には今まで何年かたまっていた古い年賀状を裁断機にかけるように仕分けをした。それでもかなりの古い年賀状が残っているが、これは私の先生等からの私信を含んだものであり、保存しておきたいものである。

南部陽一郎さんとPolyzerの30年ほど昔の本「素粒子の宴」の新装版を読んだ。これは以前に購入したのだが、友人の家に置き忘れたので、それは友人に寄贈したので自分ではもっていなかったものである。

この本は二人の対話と編集者の南部さんへのインタビューから成り立っているが、南部さんがRegge pole モデルにはそれほど期待をかけていなかったことを知って意外な気がした。

南部さんの思考法は同じような法則が成り立つときにはそれに共通な実体があるだろうというものだそうで、これは実は坂田昌一氏の得意とした思考法でもある。式の計算等もそれ南部さんは上手なのではあろうが、彼の特色はそこにはなくむしろ「形の論理から物の論理へ」といった坂田流の思考が特色らしい。

ただ、この書は1979年に発行されたもので、さすがの南部さんもその当時は小林、益川のCPの破れの論文はあまりご存知なかったようである。この当時の彼の日本の物理学会の評価があまり高くなかったような雰囲気が感じられる。