物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

2の平方根の求め方

2012-09-14 12:22:00 | 数学

昨日、数学教育協議会の「研究と実践」誌を送ってもらった。それを見ていたら、対数の概数の求め方とか2の平方根の求め方をいくつか書いてあった。

これは高校生にどう教えるかの実践報告だから、実際に私たちが近似値をほしいときの計算方法ではない。それはもう私たちのように二項展開を知っていたり、微分を知っている者のためではない。

それで、私ならどういう風に考えるかとちょっと考えてみた。それは(1+x)^{1/2}の二項展開を使って近似値を求めたら、どうだろうということであった。実際にコンピュータの中でどうやって2の平方根を求めているかは知らない。

森口繁一先生の「数値工学」(岩波書店)にどう書いてあったか覚えていない。それで二項展開で2の平方根を求めるというエッセイを書いてみようかと思っている。

本当は今月は忙しくてそんな暇はないはずだのに、因果なことである。

すでに、平方根の近似値の求め方1、2というエッセイを書いて、これは愛媛県数学教育協議会の会誌「研究と実践」に発表した。これらは一つはニュートン近似法ともう一つはバビロニア算法であった。それらに加えて二項展開を使う方法を新しく書こうという試みである。


おもしろい反応

2012-09-13 10:48:36 | 日記・エッセイ・コラム

数学・物理通信を発行してメールで送っている。ごく最近も2巻4号を発行したばかりだが、奇妙なことに気がついた。

それは私がよく知っている人はあまりどなたも受け取ったというようなメールを呉れないのである。それに反して面識はあるが、少し心理的に距離のある人とか、まったく面識がない人からはきちんと受け取った旨の返事のメールがくる。

いや別に怪しからんと怒っているわけではない。事実を述べているだけである。面識もあり、心安くしている人は「あいつはまた趣味に走っているな、ご苦労なことよ」とか、「誰も読まないのにな」とか思っているのであろうが、別に来た文書を迷惑メール並みに、すぐくずかごに直行すればいいだけであるから、何も言って来ないのであろう。

私の友人・知人にはもともと筆不精な人とか、多忙を極めている、人も多い。それだから腹など立てているわけではない。そういうものだろうなと思っている。

そうかと思えば、N先生の友人のS大学名誉教授で面識のないAさんはいつもパソコンの前に座っているのではないかと思われるくらいすばやく受け取ったとのメールを下さる。

統計をとったりはしていないので、また統計をとるほど多数の方に、この数学・物理通信を配布はしていないので、一般的なこういう傾向があるということを述べた。いつでも例外があるのは当然である。

また、私の子どもたちにも参考のために送っているが、難しいから送らなくてもいいともやさしすぎるのではとも、なんとも言っては来ない。そういうものであろう。

なんか変なことを言って、父親の気持ちを逆撫でしたくないと思っているのだろうか。


一日一描画

2012-09-12 10:46:33 | デジタル・インターネット

「一日一善」という言葉があるが、「一日一描画」はそれを真似した言い方である。

一昨日に「四元数と回転2」の図を昨日一つだけ描こうと思って昨日午前中に仕事場にやって来て、午後4時前になんとか一つだけ描いた。それで柳の下に泥鰌がもう一匹というので、今日も一つ図を描きたいと思っている。

予定している図は全体で4つで、そのうちの2つを描いたことになるが、今日は3つ目に挑戦したい。一日に一つの図を描くので精一杯である。

いつも言っているように、picture環境で図を描いているので、図を描くのはいつも試行錯誤である。ひとつコマンドを入れてはおかしいかどうかを見ている。だから、とても時間がかかる。でも出来上がり図は一応満足ができるものである。

他の図を描くソフトとかもあるようだが、結局新しいものに慣れるのが面倒なので、picture環境を使っている。曲線は2次のベジェ曲線をつなげて、円なども描いている。円だって、それを8等分すればその部分、部分は2次のベジェ曲線でなんとか描ける。円を描くコマンドがあるのだが、どうしてだかわからないが、半径の小さな円しか描けないからである。

もっとも2次のベジェ曲線がどのくらい近似がよいのか、または悪いのかはまだ調べたことがない。いつか調べてみたいとは思っているが果たせていない。

4次のベジェ曲線が使えるとlatexの奥村本には書いてあるが、私の使っているlatexではまだ4次のベジェ曲線が使えないからである。それで悪戦苦闘している。


WKB近似

2012-09-11 12:45:01 | 物理学

数学・物理通信に投稿された原稿の内容が、このWKB近似である。投稿者は「トンネル効果」とタイトルをつけているのだが、実はこの原稿のテーマはWKB近似の問題なのである。

それで生まれてはじめてWKB近似について勉強をはじめた。

もちろん大学の量子力学でこの近似については教わったが、このときはその本質が何かはよく考えなかったので、接続公式が云々ということしか頭に残っていない。

きちんとWKB近似を学ぶにはKembleの量子力学の本をどうしても読まなければならないという風に思っていたようである。

これはSchiffの量子力学の本にKembleが引用されていたことと、量子力学の講義をしてくださったS先生がWKB近似をきちんと知るにはKembleの本を読めと口に出して言われたからである。

ところがそのWKB近似の本質は同じなのだろうが、もっている量子力学のテキストを出して調べてみると書き方はいろいろでかなり書き方は違っているような気がする。

それで、いま戸惑っている。投稿された原稿はおよそのところはやっと最近になって理解できたと思うようになったが、それで十分なのかと。

そういえば、いま思い出したのだが、一度だけランダウ=リフシッツの量子力学の訳書のWKB近似の箇所を読んでノートをつくったことを思い出した。多分、カタストロフィー理論の応用として何かいいものがないかと探していたときだったのであろう。

トンネル効果の理解にはWKB近似はあまりいらないと私は思っている。なぜなら、粒子の一般のポテンシャル・バリヤーの透過確率はポテンシャルの大きさが一定のときの類推でWKB近似で得られた式に触れたのでいいから。

だから30年以上工学部で量子力学の講義をしてきたが、一度もWKB近似の話をしたことがなかった。トンネル効果の話は毎年必ずしたけれども。

もっとも新しい学問をつくる立場に立てば、もちろんWKB近似のことをきちんと学習することは大切だが、それは必要ができたときに勉強すればいい。

昨日、TEDカンファランスでの教育学者のKen Robertsonの講演についてJyoi Ito(伊藤穣一)さんがinterest-driven learningの大切さを強調していたが、それと同じ観点からである。

(2012.9.12 付記) Kembleの量子力学のテクストは少し古いもので私ももっていない。最近アマゾンコムで検索したら、こういう古いテクストで学ばない方がいいと書評に出ていた。そうかもしれない。

(2013.9.11 付記) WKB近似の解説論文が数学・物理通信3巻3号に掲載されている。

これは森本安夫さんの書かれた労作なのだが、それもわかりにくいというので私が補足をつけ加えた。ところがその補足の議論が正しくないところがあり、N先生からご批判を頂いた。

いつかちゃんとした議論をしたいが、なかなかその機会はなさそうである。だが、WKB近似についての数学・物理通信3巻3号の解説はいくぶんでも今までの文献の足らないところを補うのではないかと考えている。

『数学・物理通信』は検索をすると名古屋大学の谷村さんのサイトにリンクされているので、容易にアクセスできる。谷村さん、いつもありがとうございます。

(2023.6.14付記) いろいろ問題点はあろうが、WKB近似について森本さんの書かれた論文は意味があると思うので、関心のある方はぜひ参照ください。私の書いた補足も見てみてください。間違っているとの指摘も受けているのでそのことを考慮しながら読んでみてください。

蒐集された切手の処理は?

2012-09-11 12:03:04 | 日記・エッセイ・コラム

義理の姉が蒐集していた切手のシートがたくさんあったが、これの始末のしかたがわからない。どこかに売却しようにも買ってくれるところなどなさそうなのだ。

額面にしてもその計算をしたくないほど多量にある。金券ショップにもっていって買ってもらえないようなら、ゴミとして出すとか妻がいっているが、それはちょっと惜しい気がするが、処理に困っている。

シートの一部を使ったものは妻が郵便を出すときに使うというので、それだけは分けたが、強烈にある。もちろん、趣味として集めているような人には別に新しい切手があるわけではないが、それでもゴミとして出すのはやはりちょっと惜しい。

とはいっても同好の士がいれば、格安に分けるのはいいと思うのだが。そういう面倒なことは妻はする気がない。多分額面でも数十万円にはなるであろう。百万円のオーダーに達するかもしれない。本人がなくなってもう20年以上になるので、もちろん、昔のものしかないが、なんとかなる方法はないのだろうか。

これとは別にはがきがあったが、これは郵便局に妻がもちこんで、1000円切手に代えてもらえそうになったが、これも20万円くらいになるので、郵便局からOKが出るかは微妙である。もし切手に代えたら、金券ショップが買ってくれるという。


雑学家さん

2012-09-10 12:48:26 | 本と雑誌

アマゾン・コムの書評で最近感心した書評がこの雑学家さんの書評であった。たまたま出くわしたのだが、なかなか鋭い人であり、かつ勉強家らしい。

私が感心したのは「相対論の数学的第一歩」の書評であった。プロファイルによると大阪在住の数理経済学を専攻していた人らしいから、数学には相当自信のある方だと思う。

何に感心したかというと、数学者とかは厳密さということをいうので、書いたものを私たちが読んでも(著者本人はよくわかってはいるとしても)私たちには直観的にどういうことをいいたいのかがわからないことが多いが、雑学家さんは直観的に直裁に数学を理解をされているらしいことである。

どれくらいの年齢の方かはよくはわからないが、ひょっとすると私と同年齢ではなかろうか。それは線形代数の書籍が佐武一郎さんの本以外に自分の学生時代にはほとんどなかったと書かれていることから判断したのである。

その後あまりにこの「相対論の数学的第一歩」の書評に感心したので、他の書評をも読んでみた。

本の評価で点が辛いのはすぐにわかったが、定評のある本でもご自分がよくないと思った本には容赦なく、星二つとか三つをつけている点でなかなかできることではない。

ここ数年の間にアマゾンコム・コムにたくさんの書評を書かれているので、これはいままでの読書の結果をここ数年にまとめて出されているのかと思うが、どのように書かれているのか興味がある。一般にはこれほど短期間にこれほど多量に書評などできるものではない。

いつか、上の書評をこのブログでも少し手を加えた形で紹介できたらいいなと考えているが、世の中には勉強家がいるものだと舌を巻いてしまう。

ゴルゴ十三さん以来の、私の感心した書評家である。


観潮船

2012-09-10 12:03:26 | 日記・エッセイ・コラム

今治沖の来島海峡は潮の流れが速いことで知られている。それで鳴門海峡と同様に潮が流れるときに渦を生じている。

毎日、その観潮船が出ているのかどうかは知らないが、少なくとも土曜と日曜には出ているらしい。今治市大島の下田水(しただみ)港から医療生協の仲間とその船に乗って潮の流れと渦を見に行こうと妻が考えて11月に出かける予約を入れた。

ところが、その前に小さなグループで前もって様子を知るために観潮に出かけたいという。それである知人に声をかけたら、大潮でないと行っても面白くなかったといわれた。それでいつ大潮と小潮になるのだろうと朝食後に話題になった。

私はあまりこういうことに疎いのだが、満月のときが大潮になるのではないかと言ったが、あまり自信がない。それで岩波の「科学の事典」第2版を引っ張り出してきて、調べたら満月と新月のときが大潮で、上弦と下弦のときが小潮であった。だから月におよそ2回大潮と小潮がある。

しかし、観潮は大潮よりは干潮のときが関係するのではないかと思った。満潮だと潮の流れが止まってしまうからである。一方、干潮だと潮が退いていくので、流れが速くなる。

それで、もう一度先刻の知人に妻が電話を入れたら、やはり大潮か小潮ではなくて干潮か満潮が関係するという話であったらしい。

もっとも大潮のときは潮の引き方が大きいので、海草をとりに行くときは大潮のときがいいというのが知人の話だったらしい。

私は魚釣りを趣味にはしないので、よくは知らないが、大潮のときがやはりよく釣れるのではないだろうか。ドイツ語のクラスの仲間のOさんが魚釣りを趣味とするので一度聞いてみよう。


2巻4号の発行

2012-09-08 12:31:10 | 数学

先日予告した数学・物理通信の2巻4号を今朝発行した。私の知り合いや友人にメールの添付で送る作業である。

それだけのことであるから、アドレスをコピーして発送するだけである。だが、この作業が済むとなんだか虚無感というか脱力感にいつも襲われる。

編集作業は2日ないしは3日のことであるが、その前の段階が長い時期がある。個々の原稿に関与することもあるし、ほとんど関与しないこともある。

実は自分のエッセイであるかのように勝手に手を入れるものもあれば、著者の書いたままに出すものもある。本来は著者の投稿原稿がそのまま載るのがすじではあるが、編集者がお願いした原稿の場合に投稿著者はあまり投稿したという意識がなく、編集者の手で文章を推敲したり、脚注をつけたりして読みやすくする。

これは本当は越権行為ではあるが、しかたがないこともあるのだ。誰からもそれほど感謝をされたこともあまりないが、それでも嫌がれたようでもないので、ほっと胸を撫で下ろしている。

一日、二日のリラックスの後、つぎの仕事に取り組もうか。


節電余話

2012-09-07 12:03:30 | 日記・エッセイ・コラム

今年の夏は電力が不足が心配されたので、私の家のエアコンの温度を1度だけあげて、27度に設定していた。例年は26度に設定していたのに。これは一般に推奨される28度では暑くて、あせをかいてしまうからである。

ところが、8月の終わりごろから両腕がかゆくて、たまらなくなった。それでしかたなく皮膚科に行った。大体私は皮膚に問題をよくもつのでところどころがかゆくなるのが普通であるが、この4年ほどは皮膚科に行くことがなかった。ところが今年の節電に少しでも協力しなくてはという気持ちからこういうことになった。

もっともテレビで14時頃が電力の使用量が最大だと予想されていたが、エアコンをつけるのは16時以降であり、普通は17時以降が普通であった。

これは夕方に風がなるとそれまで吹いていた海風が止まって暑く感じるからである。

それはともかくこれも節電余話ということになるであろうか。ということでケチった節電のせいで皮膚科のお世話になることになった。

皮膚科ではアレルギーを抑える薬を処方されたが、これを飲むとかゆみは確かにぴたりと治まるが、眠くてたまらない。

それで朝食後にはこの薬を飲まないことにしたが、それでも夕食後と就寝前には薬を飲んだ。しかし、朝なかなか目が覚めない。こういう効果があった。


数学・物理通信2巻4号

2012-09-06 13:06:48 | 数学

数学・物理通信2巻4号の発行にこぎつけた。今日 N さんから、一箇所だけ番号の付加を忘れているという指摘があったので、いま修正をしたところである。

著者の許可が得られそうなので、自動的に2日後の9月8日に発行するつもりである。なぜ、2日も時間をおくかというと私はいつもそそつかしいので、そのそそつかしさによる凡ミスをしないようにとの配慮からである。

編集者としては原稿がいろいろな人から投稿され、また多くの人の協力によって、途切れることなく発行が続けられていることがうれしい。

別にこのサーキュラーの発行で利益を得ようとしている訳ではないし、文化貢献というか単なる自分の満足のための数学・物理通信の発行である。購読料はいらないが、このサーキュラーの配布を受けるためには、私となんらかなのコンタクトがなければならない。それでなければすでに読者のなっている人からの紹介か、またはこのブログのコメント欄への申し出が必要である。

もちろん、インターネットでの検索によって、名古屋大学の谷村さんのサイトで最新号までのバックナンバーがいつでもアクセスできる。

原稿は変でなければ、誰からでも受けつけるが、原稿はlatexで入力されていることを必要とする。ワード入力された原稿をlatexに変更するのが(特に図があると)手間がかかるので、いい内容でもお断りすることがあるかもしれない。基本は編集者があまり余分な手間をかけなくても原稿が掲載できるということである。

その辺の事情は編集者の勝手ともいえるが、あまりに編集者に負担をかけないという覚悟が投稿者にはほしいと考えている。いままでのところ編集者のあまりに余分な献身が必要とされることはなかったから続けられて来た。

上に述べたことが原則ではあるが、編集者からの依頼原稿は上に述べた原則から外れるのは当然である。というのは依頼原稿の場合にはそれなりの覚悟を編集者が前もって予期して依頼をしているからである。


数学散歩の読後感想

2012-09-05 13:35:42 | インポート

「数学散歩」で検索したらK_Shimさんという学生さんが

「微分をして積分を求める」の内容が目的で読んだ本。これ以外にも立体角の話など、少し読んだだけで理解が深まるような話がいくつもあった。これからは数学関係の本もちょくちょく読んでみよう。

という短いが読後感想が出ていた。

実はもう「数学散歩」は品切れで書店では売っていない。たった一人かもしれないが、私の思いを受けとめてくれる人が出たことは著者としてはうれしい。

理工系の大学生用に編集した「数学散歩」の縮約版を「物理数学散歩」として同じ国土社から出している。こちらの方はまだ十分に在庫があるはずである。

こちらは1、260円ととてもお求めやすくなっている。


私のフランス語修業19

2012-09-05 12:58:29 | インポート

岩波書店のPR誌「図書」9月号の表紙にLa grande querelle du m'enage(ラ グランド クォーレル デュ メナジュ)という題の版画が載っている。

夫婦で一足のズボンを取り合っている図である。この版画では夫は棒を振り上げており、妻は糸巻き棒を振り上げている。La grande querelle は大喧嘩とすぐにわかったが、du m'enageがわからなかった。

それで表紙の裏側を見ると宮下志朗さんの訳があり、夫婦喧嘩だとわかった。もちろんこれは版画を見れば、わかるはずのことではあったが、安易な方向に流れてしまった。

faire le m'enage(フェール ル メナージュ)というのは「掃除をする」という熟語であるので、こちらは知っていたのだが、m'enageに夫婦という意味があるのを知らなかった。いま仏和辞典を引いてみて、「家事」のつぎに「夫婦」という訳があるのをようやく知った。

こんな風で何十年もフランス語の修業をやっているとはどうもお恥ずかしい次第である。

この版画の背景にはもちろん宮下さんが説明しているようにporter les culottes(ポルテー レ キュロット)「ズボンをはく」という言い回しが「夫を尻に敷く」「家の実権を握る」という意味をもっていることから来ている。これは類似の表現が英語にもあると聞いているから、ズボンは男性の衣服という意識が普遍的であったということだろう。

もっとも、このごろではちょっと街に出かけてみたらわかるように日本ではスカートやワンピースを着ている女性などは少なくなっている。それは女性が活動的であることをも意味しており、いいことである。

話はこの版画からはなれるが、最近認識したのはfruits de mer(フルュイ デュ メール)は「海の幸」と訳されるが、このfruits de merは貝やえび・カニを指し、魚は含まれないということであった。これはNHKの毎日フランス語で藤田裕二先生が強調されていたので、ようやくそういうことを知った。

日本ではもし「海の幸」といえば、もちろん魚を含むと思うので、訳だけからではフランス語の理解が十分ではないことになる。これはいま、やはり仏和辞典の当該の箇所にやはりカッコ書きで注意がされてあるが、私は何十年も魚も含まれるように思っていたと思う。

ちなみにfruit(フリュイ)は果物フルーツのことであることは英語からの類推でもわかるだろう。

すべて、カタカナの音はフランス語を知らない人のために便宜的につけたものであるから、フランス語を知っている人には間違った発音を表していると思われる方もおられるだろうが、ご容赦をお願いする。


パソコンの前に座ると

2012-09-04 11:31:07 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜は岩波のPR誌「図書」の9月号が来たので、それを読んでいたら2時過ぎになっていた。それで床についたのだが、なかなか寝付かれない。

それで、今日ブログに書くテーマについて、いろいろ思いをめぐらしていた。そのときは明日はたくさん書くテーマがあって、困るなと思っていたが、いざいまパソコンの前に座ると何も思い出せない。

こういう経験は今回に限ったことではないので、同じような経験を前にもブログに書いたと思う。

「図書」の表紙の絵についてのフランス語だったことをいま思い出したが、これは明日にでも書くことにしよう。というのは当の雑誌をもってくるのを忘れたのである。絵の題は「夫婦喧嘩」とあって、昔のフランス人の夫婦がお互いにズボンをとりあっているという絵であった。

この表紙の解説を書いている宮下志郎さんはいつかNHkのテレビのフランス語講座に出演しているのを見かけたことがある。

少なくとも現代の日本ではズボンは男性の衣服という観念はもうなくなって久しいが、それでも家で権力をもつのは主人か奥様かという話とこのズボンとが関係しており、ズボンをはくということが家庭の実権をもつという言い回しに残っているらしい。

その話はしかし明日以降のテーマとしよう。


七輪焼き

2012-09-03 13:50:13 | 日記・エッセイ・コラム

今治の大島に下田水(しただみ)というところがある。大島は今治市の向かいにある瀬戸内海の島である。

今では来島大橋が今治市近見から島に向って架かっている。その来島大橋を渡ってすぐの出口で出ると下田水港がある。そこで七輪焼きをしているというので、次兄夫婦と私たち夫婦で出かけた。

テントが張ってあって、その下で七輪の火で貝やいか、たこ、さかな等を焼いて食べることのできるようになっている。また鯛めしの弁当も300円で売っており、その七輪焼きを目指してかなり多くの人が来ていた。

私たちも海の幸に舌鼓を打ち、かつ鯛めしの弁当を食べた。駐車場にはあまり県外の車は認めなかったが、はじめに駐車したときには横に福山ナンバーの車が止まっているのを見た。

食事が終わってみたら、隣には滋賀ナンバーの車が止まっていた。その運転手が車に帰って来たので、今治に親戚かなにかがあるのですかと尋ねたら、親戚があるのではなくて、四国八十八箇所巡りで今治の近くだけ来ていなかったが、こんどやって来てようやく満願成就したのだという。

まあ、ともかく下田水の七輪焼きを体験していない方は一度お試しあれ。


長兄の蔵書の処理

2012-09-03 13:26:59 | 本と雑誌

17年前に亡くなった長兄の住んでいた家を取り壊すというので、次兄から土曜日に電話があって、長兄のもっていた本を今治に見に帰った。

長兄は長年中学校の理科の教師をしていたので、専門書は多くないが、中学校の理科を教えるのに必要と思われる、数学とか理科の書とか彼が生前に読んだ小説とかがかなりの数あった。

そのうちの数十冊は昨日持って帰ったが、彼の蔵書の全体はそんなに簡単に片付くような冊数ではない。彼が生前研究をしようと思っていた、宮沢賢治の全集もあったが、昨日はそれにはまったく手をつけなかった。

岩波の岩波ジュニアー新書は彼の生前に出版されたものは多分全冊そろっているのであろうと思われた。河出書房新社から出された現代科学シリーズの新書はそのうちの1冊だか彼が誰かに貸して帰って来なかった本をまた買い揃えていたらしく、50数冊がそろっていた。

また、いつか私が古書で購入を検討したことのある、ガモフの全集もそろっていたので、これは持ち帰った。

いつかこのブログでも触れたが、個人の集めた蔵書はその方が生きている限りは有用な資料である。だが、本人が亡くなるとこれは多分に処分の対象になる。これは私の蔵書も同じ運命であろう。かなりの経費を投じて、集めた武谷三男の著作も多分に私の子どもには猫に小判で困ったゴミとなる。

だから、そういうことのないように散逸しないような措置を講じておきたいが、どうしたらいいものかその対策はわからない。というのは県とか市の公共図書館もはたまた私が足かけ37年にわたって勤めた、愛媛大学でもその図書館の書庫が狭くて、どんどん蔵書を処分しているくらいだからである。

もちろん、個人で保管しておくことなどなかなか財政的にも、またその保管場所の問題にしてもままならない。私が著書を収集している、武谷三男にしても彼の死後その蔵書の一部が古本屋に流出したと見えて、東京神田の理工学古書店として有名な明倫館で武谷の署名の入った、古本を見つけて購入したことがある。

それからこれはどこで購入したのかは覚えていないが、ある武谷の初期の著作を古書で購入したときに、これは武谷が都留重人さんに寄贈した本であったが、多分都留さんがやはり書籍の置くスペースに困り、処分したものの一部らしかった。

話は飛ぶが、鶴見俊輔さんがどこかで書いていたことだが、都留さんは叙勲をなんとかして、うまく辞退をしたらしい。彼は自分が望めば勲章などは簡単に手を入れられただろうに。世の中にはそういう人もいるのだと知った。

いや別に勲章をもらうことを否定しているのではない。大抵の人はそんなに抵抗感を感じることなしに勲章をもらうのであろう。