物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昨日は最悪

2013-03-14 11:30:43 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は最悪だった。確定申告の書類を作って税務署にもって行き、それから憲法九条を守る会の会費を郵便局に納めに行き、かつパソコンのワクチンの再インストールをした。

ところが最後のインストールがなかなかうまくいかず、帰宅が8時前になってしまった。妻からは文句は言われなかったが、彼女があまり喜んでいないことはわかる。

それでもかなりの仕事をこなした。友人のSさんの新しい本の紹介をアマゾン・コムにしたりもした。これは文章は前にかいてあったのだが、なかなかアマゾン・コムには書評を出すことができないでいた。

もっとも一番大事な仕事である、友人から宿題にされている論文を読むことなど1行もできなかった。それに花粉症のアレルギーが一昨日に続いてひどい。最悪の日である。こういうこともあるのである。

パソコンワクチンのエントリ-がうまくいかないで昨日帰宅したのだが、今日パソコンを起動してエントリーしたら、うまくいったようである。


パスワード

2013-03-13 12:00:41 | デジタル・インターネット

最近ではパスワードなしではすまない世界となっている。ところがどうもパスワードがとても大きな問題となっている。

というのはパスワードを間違えてなんでもうまくいかなかったり、時間をロスすることが起こっているからである。

私も昨日と一昨日にetaxで確定申告をしようとしてパスワードが最後に間違っているということで書類が提出できないということが起こった。

だから時間にしていうと5.6時間をロスしているわけである。これはパスワードがどこかに記録をしているのだが、それの前のパスワードを使ったために起きた時間のロスである。

はじめにパスワードが違っているよと教えてくれればいいのだが、そうではなくて最後に書類を提出しようとしてパスワードが違っていますよといわれてもロスした時間は戻ってこない。

まちがって5回か6回打ち込むとロックされるということはひょっとすれば、改善をされているかもしれないが、どうも気の重いことである。

先日、フランス語のラジオ講座で3回間違えてパスワードを入れたら、カードがATMの機械に飲み込まれたという状況をやっていた。もちろんそのカードは後で銀行の支店に行けば返してくれると話されていたが、どこも面倒なことには変わりがない。

もっともクレディットカードとかキャッシュカードは他人が簡単にお金を引き出せないようにしてあることが重要ではあるが、なんとかならないものか。

それとは違うが、仕事場の宅急便を受け取るボックスのパスワードを忘れてしまって困ったことが最近あった。管理人さんに自分のパスワードを聞くという羽目になってしまった。


ブログの読者

2013-03-12 12:57:21 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの読者が何人かおられるらしい。だが、いつも書くときにはそういう読者のことはまったく念頭にない。

申し訳ないことであるが、私の自由な発想を面白がって読んで頂いているのなら、変に読者に気に入られるようなことを予想して書いたりしてもかえって気に入られないであろう。

それに何かの折にメール等で「ブログを読んでますよ」と知らせてくださる方もいろいろな方がおられる。その立場によっては私の意見にあまり賛成ではない場合もあろうかと思われる。

ただ、ここでは自分に対して正直というか、率直に自分の感情とか気持ちとか考えを書いているので、読者の皆様がたまたま私と意見とか感覚が違ったとしてもそれはそれぞれの人々の個性だと思う。

人間はそれぞれ別の人であり、だからその個人が尊重されるのである。それは311のような大震災において亡くなった人もそうだから、その家族や友人・知人から亡くなった方はいまでも哀悼されるし、大切にも思われるのであろう。

そういえば、あの日もNHKのフランス語かドイツ語の語の講座を聞いていたら、突如にその放送の途中で地震情報が入り、それでめったに見ないテレビつけて見たら、飛行機からの津波のリアルタイムの放送を見てしまった。

特に宮城県名取市を津波が襲う実況中継は忘れることができない。飛行機が飛んで地震の災害を中継しているその途中に津波が襲ってきて、地上では津波がきたことを知らないで路上で車を運転しているという様子があまりにもヴィヴィッドに見て取れた。

それで、多分中継の映像はその部分を見せないような方向を写したりしていたが、その地上での津波が家や畑や車を飲み込んでいく様子は想像することが容易にできた。

この機会にあの災害で亡くなられたすべての人に改めて哀悼の意を表したいと思う。


ドイツ語もフランス語も遠い

2013-03-11 11:38:39 | 日記・エッセイ・コラム

最近、ドイツ語もフランス語も遠く感じられる。いつもと同じ生活を送っているつもりだが、どうもそれらの学習には身が入っていないということらしい。

どうも数学エッセイを書く方に自分の関心の中心が移っているということであろう。これはそれで仕方がないことである。人はそのときどきに仕事とか自分の関心事が移動する。私などはどうも何かに注意があると他のことがおざなりになったり、ひどいときには忘れたりする。

先、先週のことだったが、歯の治療に行かなければならなかったのにすっかりと忘れてしまった。そしてその夜だったか寝ようとして床についたときにああ今日は歯科に行かなければならなかったのだと思いだした。

もっとも次の日に予約を取り直したのだが、別に嫌味も病院には言われなかったから助かった。

私は手帳を使わないので、手帳になにか予定を記してそれを見るという習慣はまったくない。それでも大抵は会議とかでもその直前には思い出してあまり失敗をしたことはない。

いや、大学に勤めて間がないころに昼から会議があるのを忘れていて、お昼の時間にテニスコートにいて、事務員さんが呼びに来られたことがあり、会議に20分ほど遅れたことがあった。そのとき以来自分がいないと開かれない会議には遅れたことがない。

大学院生のころは会議に行ってもなかなか30分くらいしないと始まらないことがあった。そういうものだと思っていたが、大学ではきちんと時刻通りに会議ははじまる。これは他のメンバーの時間をとることになるのだから、当然であろう。だが、そのことをわかるのには少し時間がかかった。


SU(2)とSO(3)

2013-03-09 14:28:27 | 数学

SU(2)とSO(3)とは今書いているエッセイ「四元数と空間回転4」で出てくるテーマである。

空間回転を四元数の形から、行列に直すのだが、回転を3行3列の行列で表すか、2行2列の行列で表すか。その両方が同値だという。

それを示したエッセイを書き終えたのだが、ついでに群としてこれらの行列のつくる群が準同型(?)であることとかその他のことを付録に触れておきたいと思いついた。

こんなことは誰でも少し学のある人ならば知っていることだろうが、私の四元数のシリーズのエッセイは素人のための四元数シリーズなので(そもそも私自身が素人である)、書いておきたい。

他の部分はほぼ書き終えたのだが、唐突にこんなことをここ数日考えている。

実は最も新しい数学・物理通信3巻1号にエッセイ「四元数と空間回転3」を載せる。その発行は3月11日以降のことになるが、今月中にさらに3巻2号を出せないかと思っている。そして、その中にエッセイ「4」を載せたい。

もっともそれがいま危うくて、できないかもしれない。 それは友人から物理のことで相談を受けているのだが、その論文をまだ全く読んでいないからである。

来週の土曜日には友人が松山にやって来る。来週はそのことに取り掛かっておかねばならない。それに来週はドイツ領事館の領事が松山に講演にやってくる。その講演を金曜日に聞きに行かなければならない。

用事は来るときにはまとめてやって来る。おかしなものである。

(2024.3.11付記)SU (2)とSO(3)とは局所的に見ると同じだが、太局的に見るとちがうらしい。SU(2)は球面上を2度覆っているとか2重被覆だとかいうらしい。詳しいことはまだよく知らないので、きちんと調べておく宿題の一つである。

もっともこのことは学のある方々にとってはよく知られたことであるらしい。
スピノールが4\pi の回転をしてようやく元の空間に点に帰ってくるということと関係があるのだろうか。だからスピノールは空間のある点で2価である。

戦前の武谷三男

2013-03-08 13:20:47 | 物理学

「戦前の武谷三男」ー中間子論を中心にーという題の論文を知人のT.N.さんから送って頂いた。

彼は「坂田昌一の生涯」の著者であり、丹念に資料や文献を調べ、かつ坂田先生の家族とか門下生とかにも話を聞かれて優れた伝記を書かれた人である。

その彼が今回は武谷三男についての上記の題の論文を書かれた。武谷家を訪れて資料、文献をも見せてもらって今回の論文を書かれた。彼らしい立派な論文で感心させられた。

送ってもらったその夜に全文を読んで、メモをつくったので、そのメモを彼に送ろうと思いながら、この数日の当面の用事で忙しくて送ってはいない。

主に武谷三段階論と中間子論との関係とを論じられているが、そのほかの情報もあり、まさに名古屋大学にある、坂田昌一記念資料室に所蔵されている、手紙やはがきとかの資料をふんだんに引用した論文であり、私などにはできない良い仕事である。

これは研究雑誌「東海の科学史」に投稿される予定だと言われているが、原稿が集まらないのでこの雑誌が発行になるのかわからないのだと彼は言っている。ぜひこの論文が発行されることを祈っている。


オンライン授業の衝撃

2013-03-07 12:39:26 | 受験・学校

昨日、今日と朝日新聞にこのオンライン授業のことが出ている。多分明日に3回目の記事が出るのであろう。

学校から離れた教育として最近話題の話がアメリカの有名大学とか新しいタイプの会社のオンライン授業である。

そしてそれが無料で受けられるという。無料だが、検定試験とかもあって、その講座を修了すると優秀な人材だというお墨付きをもらえることになる。優秀な人材を欲している、企業に紹介されるとかでオンラインの講座は無料だが、企業とかへの人材紹介業としてペイするらしい。

どうも何かでオンライン講座を受講するとかで、費用をとろうとするようなことは料簡が狭い。

これはそういう画期的なオンライン講座ではないが、私がe-Learningのコンテンツをつくったときにも大学の壁があり、もちろん特定の大学から入力のための財政支援を受けたりしているので仕方がない側面ももちろんあるが、その普及に壁があった。

open sourceということがコンピュータのソフトでも、その発展には大事なこととなっているが、そういう姿勢が大学もなければならないだろう。

もちろん、どこからも財政的に支援とか資金を得られないならば、そういったオンライン授業もできない相談だが、一方で優秀な人材をほしがっている企業があり、そういう企業は紹介してもらう費用を少し払っても優秀な人材を欲しがっているということであろう。

大学に行くなどということは昔は一部のエリートの特権であったかもしれないが、そういう時代は過ぎ去った。

意欲があれば、最高のオンライン授業を受けることができるいい時代になった。大学にこだわる時代ではないのかもしれない。


数学・物理通信3巻1号

2013-03-07 12:00:49 | 数学

数学・物理通信3巻1号の準備ができた。現在、著者に再度の検討をお願いする段階となった。

まだ、すべての著者からOKは出ていないが、もし出ればその後、数日おいてから発行となる。多分発行は早くても来週の月曜か火曜になるだろう。

今回は早くから投稿をして頂いたTさんとか、いつも投稿をしてくださるNさんとSさんとの連名の論文とかを載せている。それに私の四元数のシリーズも載せている。

いずれにしても結構投稿が多いので、編集者としては幸いなことである。

少しづつ読者も増えてきつつあるらしい。とはいっても圧倒的に少数である。数学とか物理とかいった分野のサーキュラーは維持が難しいものだが、なにせ無料で手に入るのだからそれが利点かもしれない。

興味をお持ちの方はインターネットで「数学・物理通信」を検索していただきたい。名古屋大学の谷村省吾さんのサイトにリンクされている。


七折梅祭り

2013-03-06 13:07:54 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、砥部町七折に梅祭りに出かけた。

空は雲一つなく、晴れて暖かであった。人もかなり出ており、梅の花もかなり咲いていた。ここに入園するのに、300円の入場料をとられる。

約一週間前に来たことのある、妻はあのときはほとんど花が咲いていなかったので、格段の差であったらしい。弁当を持参でいったのだが、別に他のものを買うこともなく、途中で韓国料理のお店に寄って、早目の夕食をとった。

夜は久しぶりにテニスをすることができたので、いい気分で帰って風呂に入った。ドイツ語のNHKの放送を見て早目に寝たら、今朝は比較的早く目が覚めたが、寝室で本を出してきて読んだりした。


latexの再開

2013-03-04 13:39:21 | デジタル・インターネット

昨日、長男夫婦が帰郷してくれて、私のパソコンのlatex環境を整えてくれた。おかげでまたlatexが使えることになり、「数学・物理通信」の3巻1号を編集する環境がようやく整った。

編集作業はまだ数日はかかり、その後に投稿者に原稿の検討を再度行ってもらうので、発行はかなり遅れるが、いくらおそくても3月中には発行のつもりである。

原稿はすべて整っており、編集後記も共同編集者の N さんからすでにもらっている。後は私の作業だけとなっている。しかし、長男夫婦がこの仕事場を宿泊所にしているので、ここ数日は作業が私の思うようにはできない。そういう特別な事情がある。

読者や投稿者にはしばらくお待ちいただきたい。私自身の投稿についていえば、この3巻1号に「四元数と空間回転3」を載せる予定であり、つづきの「空間回転4」を現在書いている。そのあとで「空間回転5」で「四元数と空間回転」は打ち止めの予定である。

四元数そのものに関しては球面補間とかの話題があるので、それを書くのか書かないのかそれが問題である。気持ちとしては書きたいのだが、どうもシリーズが長くなりすぎるかもしれない。

la tex環境に話を戻すと、winshellからエディターの秀丸へと変更がなされたので、また慣れるのにちょっと時間がかかると思うが、以前にla texで秀丸を使っていたように思うので、何年かの空白を経て、もとの秀丸に戻ったということになるのだろうか。

(2018.4.16 付記) 「四元数と空間回転」は 5 では終わらず、6 まで書いたと思う。『四元数の発見』(海鳴社)としてまとめたときには「四元数と空間の回転」というタイトルの章は「四元数と空間の回転3」までにして、後の4-6は四元数とは関係なかったので、独立のタイトルをつけた。ここで、ちょっとPRしておくと2014年10月1日に上記の書を発行した。

 


花粉症の季節3

2013-03-04 13:07:27 | 健康・病気

花粉症の季節である。私もごたぶんにもれず花粉症である。

この季節になると2月10日前後から鼻水が止まらなくなり、目がかゆくなってくる。今年もかかりつけの診療所で花粉症の薬をもらって対策をとってはいるが、先日春一番が吹きまくった日は一日中ひどい花粉症で悩まされた。

花粉症のための目薬は眼圧を毎月調べてもらって眼科でもらっているし、その対策にはおさおさ怠りはないつもりである。だが、このシーズン中にはどうしても数日~1週間くらいどうにも抑えがたい日がある。

後の日はもちろん花粉症は出るのだが、それほどひどくはない。これは多分薬のおかげで最小限の被害で済んでいるからだろう。

Hayfever(英語)とかHeufieber(ドイツ語)とか言われることもあるが、これは確かに花粉症の一つだと思うが、日本の花粉症とはちょっと違う。

Hayfeverは40度近い熱が出て、それが1か月ほど続くのだという。このことは前にも書いたが、昨年の11月に亡くなってしまった元大学の同僚のSさんの話からようやく知ったことである。

Sさんはアメリカ生活が7~8年にも及んだ人でいつも日本語で文を書くよりも英語で書く方が楽だと言われていた。いつだったか、彼の知人の学者だったかそうではなかったか忘れたが、あるアメリカ人の研究者が大学に来られたことがあったが、懇親会の席上で彼ら夫妻と小さい声で話しておられた。

外国語を話ときには明瞭に大きな声で話す人と小さな声で話す人がいる。私は明瞭な大きな声で話す方を好むが、外国語のよくできる人には二手の人がいると感じている。

母語と同じくらいその言葉をよく話すことのできる人なら、お互いに小さな声でもよく聞き取れるからではないかと思っている。まさか自分が上手に外国語を話すことを自慢したくないという気があるからではないだろう。


コンクラーベ

2013-03-02 11:53:30 | 国際・政治

カソリックの法王が2月28日に600年ぶりに生前退位されて、新しい法王を選ぶための会議が開かれるという。

この会議をコンクラーベという。どうも法王を決めるための会議が長く続くので「根競べ」だという日本語の冗談も聞かれる。

いつかドイツ語のクラスでR氏から部屋を閉め切って、つぎの法王を決めるための会議と投票をするとかだと聞いた。そのときの印象ではラテン語でコンクラーベは閉じ込めるというような意味だととった。

今朝、このコンクラーベの綴りを調べようと思って伊和辞典を引いてみたが、見当たらなかった。それで広辞苑を引いてみたら、ちゃんとあった。conclaveであった。

一度、綴りがわかったので、もう一度伊和辞典を引いてみたら、ちゃんとこの同じ綴りで出ていた。それならと思って英和辞典を引いたら、発音はちょっと違うようだが、やはり載っていた。ではと思って仏和辞典を引いてみたら、これにも載っていた。では独和辞典にもと思って引いてみたが、私のもっているいくつかの独和辞典には載っていない。

「閉める」とはイタリア語ではchiud'ereというが、フランス語ではfermerであろう。fermer la porteなら、「戸を閉める」であろう。fermer les yeuxは「目を閉じる」である。どうもconclaveを連想させるようなところはない。

ドイツ語では普通には閉めるはschliessenであり、開けるは"offnenである。もちろん、zumachenとかaufmachenともいう。こちらの方がよく使われる言葉machenに関係していて、日常用語Umgangspracheであろう。

"offnenに対応したフランス語なら、ouvreであろうか。そういえば、Au claire la lune(月の光に)というフランス語の童謡にouvre-moi ta porte, pour amour diex(ウーヴル モア タ ポルト、プール アムール デュウ)という一句があった。「後生だから、あなたの家の戸を開けてください」という意味だったろうか。

ちなみに、コンクラーベの意味を広辞苑では「ローマ教皇選挙会。枢機卿団で構成。元来、選挙期間中の干渉を防ぐために枢機卿団が閉じこもる囲いの意」とある。


もしもピアノが弾けたなら

2013-03-01 12:00:36 | 音楽

「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行氏の歌がある。この曲自身は好きなのだが、一般的に言って私はピアノの音がバイオリンと比べて好きではない。

ディジタルのバンバンとした音が嫌いなのである。そうはいってもピアノの演奏でもそれほど嫌いでない曲もあるし、絶対的な音楽嫌いというわけではない。

これは前にも書いたことがあるが、武谷三男に「ショパンが一番素晴らしく聞えたとき」とかいうピアノ曲が素晴らしく聞こえた時という趣旨のエッセイがある。これは彼が雑誌「世界文化」の同人であったということで、特高に捕まって取り調べを受けていたときのことである。

武谷三男を決して名文家だとは思わないが、彼の書く文章には何か人を惹きつけるところがある。それは彼が経験した思想の冬の時代のせいかもしれないし、彼が音楽や文学や演劇をこよなく愛した文化人だったことにもよるのだろう。

一方では彼は舌鋒鋭い、論争にも強い論客でもあった。彼が悪く言わない、人はごくまれであり、羽仁五郎とか湯川秀樹、坂田昌一とか久保栄とかそれぞれ一級の人物である。

彼に私淑した多く方は彼の論理の潔癖さについていけないとか論のキツサについていけなくなったと感じた物理学者も多かったのだろう。

そこらあたりがよくわからないのだが、武谷には仲間うちの研究者への期待が大きかっただけに彼の論理のきつさがでたのかもしれない。