物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

晴眼者

2013-05-21 12:26:20 | 健康・病気

普通に目の見える人のことを晴眼者(せいがんしゃ)という。

こういう語を普通の人が使うことはあまりない。学生の頃、あるスナックに夜遅く行ったときにそこに来ていた、お客の中年の女性から晴眼者という語を聞いた。

そういう語をそれまでに聞いたことはなかったが、話の前後関係からその意味はつかめたと思う。それにしてもそのときに辞書を引いて確かめたことがなかった。

最近、気になって国語辞書を引いて、確かめた。人は生きていくうちにいくらかの日本語の語彙も得ていくのだが、それにしてもなかなか普通の人が聞いて知る語彙には限りがある。


夢判断

2013-05-21 12:02:33 | 科学・技術

夢判断などというと怪しげな話のようだが、そうではない。

先日、「ニュースで英会話」という番組で、夢を見ている人は頭の脳のどの部分を夢を見ているときに使っているかをNTTの研究所員が研究しているという話である。

将来は考えただけで動くコンピュータができるかもしれないという話であった。特に失語症になった人の脳を観察してその人がどう考えているかとかいうことがわかれば、それは画期的なことであろう。

他にも応用は考えられるであろうが、いま私の思いつくことはない。それにしてもいろいろなことを研究する人がいるものである。

私などもいつも朝方に夢を見ると、私はどこか行こうとするのだが、なかなか行き着けないという夢をみる。そのversionはいろいろ変わるが、基本的などこかへ行きたいのだが、行き着けないという点だけは変わらない。

これなどもこういう脳の働きを研究する人の手にかかれば、たちどころに解明されるのかもしれないが、そういうことをすぐにはわからない方が何らかの考える余地があるような気がする。


死生観には?

2013-05-20 12:54:19 | 日記・エッセイ・コラム

死生観にはどんなものがあるのか。

これはラジオの放送で聞いた話の受け売りである。

ある精神科の医師、名越やすふみさんの講演をラジオでたまたま聞いた。それによると宗教にはいろいろあるが、死後の死生観にはつぎの3つしかないという。

1. 死んだら、天国か地獄か極楽かわからないが、どこか別のところへいく。

2. 死後どこかで生まれ変わる

3. 死んだらおしまいでそれ以後の世界はない

世界に宗教がたくさんあっても死生観はこの3つしかないとは宗教人類学の知見であるという。そして、講師の名越やすふみさんは生きていくには前の1または2が120%でおすすめであるという。

3では心を応援する死生観にはならないという。3を否定するわけではないが、徳を積もうとしていても、人間として努力をして教養を積もうとしても友達に「お前その年でなにをいまさら」と言われると3の死生観をもつ人はひるんでしまうのがオチだという。

死生観としては私は3である。別に私は行い澄ませた高僧でもないし、普通の常識人である。また、「お前その年で何をいまさら」と言われることもほとんどないし、また言われてもひるむことはないだろうと思っている。

確かに、私は仏教徒ではありながら、仏教徒らしからぬところがあるかもしれない。

私も一般の人が1または2の死生観をもつことには反対ではない。だが、私自身は1または2の死生観をもつことはもうできない。

そしてそこが普通の人には理解ができないところかもしれないが、死んだらおしまいとは思っているが、それでも生きている間は自分の向上を目指すのはそれにもかかわらず人間としては普通のことだと思う。

晩年に湯川秀樹博士が輪廻転生の思想に触れて、「死後ブタになるのはかなわんと思っていたが、あれは楽観論なのだね」とどこかで書いていたのは、これはなかなかユーモアに富んだ発言であったと思う。


吉田秀和さん

2013-05-20 12:24:10 | 音楽

音楽評論家の吉田秀和さんが93歳で亡くなってもう一年になる。

それでだろうか、土曜日の深夜にNHKのEテレで吉田さんを回顧した放送の再放送があった。前のときには見た覚えがないので、今回初めてみた。

なかなか優れた音楽評論家であり、また音楽を普及したり、子どもの音楽教育にも熱心な方だったらしい。

世界の指揮者として知られている、小沢征爾氏もその薫陶を受けたということである。いま桐朋学園となっているところが、吉田さんたちがつくられた、その子どもの音楽教育機関の後身である。

フランス語にもドイツ語にも堪能な方だったらしいが、放送の中で出てきた音楽評論の中ではドイツ語としてはSeligkeit(これは浄福という語の訳)だけだった。

どうもそれほど外国語に強くもないのに、たびたびフランス語やドイツ語を引用する私などは恥ずかしい次第である。

彼の全集は24巻かそこいらの大部にわたるらしい。私自身はそれらをほとんど読んだことはないのだが、図書館等で読むことができるだろうか。


蛍光の発光メカニズム

2013-05-20 11:57:41 | 学問

「蛍光の発光メカニズムはまだわかっていない」と少年雑誌で読んだのはもう60年以上も前のことだが、昨日たまたまテレビでチャンネルを変えていた時に放送大学のテレビになったので、しばし見ていたら、蛍の発光メカニズムは化学的に解明されているという話がされた。

その放送は基礎化学の放送だったが、講師の先生の話では日本のノーベル賞受賞者の一人である福井謙一さんの化学反応論でこのメカニズムは根底から解明されているとのことであった。

光が出るときに一般に熱が出るのが普通であるが、蛍の光はほとんど熱が出ない。それが不思議だと昔の少年雑誌で読んだのだが、それも完全に解明されたという。

講師の先生は複雑な化学構造式を図に示して説明をされたが、それをここで再現することはできない。問題はそういうことがすでに解明されたと知っていることが重要なのである。

もし必要ならば、化学の反応論の書を見ればよい。

また、ホタルイカの発光メカニズムは先年のノーベル受賞者下村氏の研究で解明されたことはよく知られている。その医学への応用は広範にわたっているらしい。


正射影とは?

2013-05-18 12:03:17 | 数学

正射影とはなにか。

これが気になりだしたのは岩波書店から出版された、ダニエル・フライシュの訳書『物理のためのベクトルとテンソル』を最近ちょっと拾い読みをしたからである。

これには「垂直な正射影」と「平行な正射影」という言い方をしている。私は正射影とは頭から垂直射影だと思っていたので、小著『数学散歩』(国土社、2005)でテンソル解析の初歩について書いたとき、正射影と平行射影という語を使った。

数学をあまり知らない一般の人に急いで注釈を加えておくと、普通に使われている座標軸が直交している、デカルト座標系を使っている限り、垂直射影と平行射影は同じ結果を与える。

だが、座標軸が直交していなくて、斜めに交わっている斜交座標系を考えると座標系の軸に垂直の射影(垂直射影)と平行な射影(平行射影)とは2次元座標系を考えてみれば、明らかに大きさが違ってくる(昔の数学者はこれらをあるベクトルの反変成分と共変成分と呼んだ)(注)。

あわてて新明解国語辞典と広辞苑とをあたってみたが、広辞苑の方はどうも正射影という語もない。新明解の方には射影のところに正射影の説明が出ていた。

しかし、どうも斜交座標という考えは辞書の編纂者にもなかったみたいで、どうもはっきりとしない。

いま岩波の『数学入門辞典』を引いてみたら、正射影はorthgonal projectionの訳であり、直交射影ともいうとあった。だから私が正射影を頭から座標軸に垂直な射影だと思っていたことは理由がなかったわけではなさそうである。

もっともこの『数学入門辞典』の説明はまったくいただけない。これでは数学のわかる一部の人にしかこの辞典は支持されまい。もっともこのような辞典を買うのはある程度数学を知っている人だからOKなのだろうか。

(注) 射影というと平行光線をある物体にあてて、その影をいう。特に、ここで問題にしているのは影の長さである。2次元の平面を考えて、その平面に斜交座標系を考える。

このときに座標軸に垂直に平行光線をあてるか、座標軸に平行な平行光線をあてるか。ある線分の長さはどちらの平行光線をあてるかによって、その座標軸にできる影の長さは違っている。




cr'emaill'ere

2013-05-17 15:00:31 | 外国語

cr'emaill\'ereという語で私が思い出したのはイタリア語のcremare(クレマーレ、火葬する)である。冒頭のcr'emaill\'ereはフランス語の辞書によれば「(暖炉の中に欠けて鍋などをつるす)自在鉤」だという。

ここでちょっと表記を注意しておくと ’ はアクサンテギュを表し、\'はアクサングラーブを表す。

NHKのラジオフランス語講座で何回目かの国枝さんとパトリスの放送に出てきた。どうも毎回同じところで反応しているのですでに1回このことをこのブログで書いているかもしれない。

Nous serions tr\'es heureux de vous accuiellir pour notre pedaison de  cr'emaill\'ere.

(新居祝いのパーティにみなさんをお迎えできたらうれしく思います)という。このcr'emaill\'ereのcremという綴りに条件反射してしまった。

大学院生のころ、トリノ出身のLivio Allesiという男性に半年イタリア語を学んだことがある。彼がいうにはローマの時代にローマの軍はヨーロッパのどこにでも出かけていた。

そして戦闘があったときにその戦闘で兵士が戦死すれば、楯の上に載せられて帰って来るが、あまりに遠いところでの戦闘では遺体は火葬されて帰ってくるというような話であり、火葬された遺骨はつぼか何かに入れられてやはり楯の上に載せられて帰ってくる。そのときに火葬するcremareという語を教えられた。

その当時に買ったイタリア語小辞典によれば、火葬はcremazi'oneとある。語源としてこのcremという部分が火に関係しているのではないかという連想が働く。

私は言語学者ではないから、その詳しいところはわからないが、そんなことでまたまたブログを書いてしまった。

これはきっと前にも書いたと思うが、prendre la cr'emaill\'ereは「新居祝いのパーティを開く」とフランス語の辞典にはある。


飲酒と事故

2013-05-17 12:00:55 | 日記・エッセイ・コラム

最近、私の近所の側溝に落ちて亡くなった人がいたという話を聞いた。

これは稀なことだろうか。私にはわからないが、飲酒をしてかどうかはわからないが、側溝に落ちて死亡事故を起こしたという記事は新聞によく出る。これらは小さな記事でほんとに新聞の片隅に載るのだが、結構多いのではないかと思う。

私も兄を交通事故で失った。彼も飲酒をしてはいたが、もし車を運転する人が少し注意深ければまだいまでも生きていたことであろう。

私の友人で街で飲酒をした後に帰宅を自転車でしていたときに、側溝に落ちて前歯を数本折ったという人がある。もっとも彼は前歯を折っただけでまだ健在である。

だから、飲酒後に帰宅途中で事故に会う人はそれなりの数があると思う。もちろん、十分気をつければ、いいだけの話ではあるが、そういうことを事故を起こす前に想像することは難しい。

私が大学を卒業する直前にH市の近郊の小さな町の小学校で数学を教える先生を募集したことがあり、それに私が応募したことがあった。それはその小学校の先生が飲酒後に帰宅途中でやはり側溝に落ちて死亡されたので、2か月ほどを臨時の教員を募集したのであった。

そういう風に私のほんとに小さな経験でも飲酒しての帰宅途中で側溝に落ちて死亡するという例はいくつかあると思える。

松山市では側溝はだんだん暗渠となって、少なくなって来てはいるが、それでも全部がなくなっているわけではない。それで不幸なことにこういう事故が起こるらしい。

お酒の好きな方は、そうでない方ももちろん、くれぐれもお気をつけてください。


暗黒物質

2013-05-16 12:01:58 | 物理学

最近、朝日新聞に暗黒物質の間接的な証拠が見つかったというニュースや社説が出た。

いわく、宇宙ステーションでの観測ではエネルギーが大きくなるにつれて電子に対する陽電子の比が大きくなることが観測された。これは暗黒物質の衝突でできた陽電子が多いためだと考えられる。

その観測装置に来た陽電子の方向は等方的だと書いてあったような気がする。

もしある特定の方向からの陽電子の数が多いのならば、それは宇宙にあるパルサーという星が起源となる可能性もあるが、等方的なら暗黒物質の衝突による可能性がある。

もっとも対生成で陽電子ができたのなら、電子も同じように出てくるような気がするが、そこのところはどうなっているのだろうか。

暗黒物質についてニュースでとりあげるのはある程度当然としても、社説にとりあげられたのにはちょっと驚かされた。

それはともかく、そのことをこのブログでも取り上げようと思っていたら、昨日同じ朝日新聞に佐藤文隆さんへのインタビューが載った。

佐藤さんはいう。暗黒物質は前から議論されていたが、暗黒エネルギーということになるとそれは現在の理論と実験の違いを示すことは間違いがないが、これは理論の方を見直すことも考えなくてはならないのではないかとのことである。

暗黒物質と暗黒エネルギーをめぐるニュースはその研究を計画している、科学者のPRの思惑もあるのではないかという。その言をどの程度信用していいかはわからないが、その可能性はあるだろう。

暗黒物質の候補は超対称性粒子だという。私の知る限りではまだそれは実験的な証拠はないと思うが、ずいぶん以前から超対称性粒子の存在は言われてきた。

私はその存在をあまり信じてはいなかったが、最近の話でその存在を少し信じかけている。私もいくつかの最近のニュースに影響されているかもしれない。

ここ数十年の経験から、人間が論理的に可能なことだと考えたことがつぎつぎと発見されてきたりして、ちょっと超対称性のような人為的にも思われることにも物理学者は許容度が大きくなっているように思われる。

その心象が行き過ぎかどうかは今の私にはわからない。行き過ぎであれば、いずれは自然が教えてくれるであろう。


株高、円安、長期金利高

2013-05-15 12:46:38 | 社会・経済

日銀の金融緩和政策で円安、株高までは予想通りだったが、思わぬ長期金利高になった。

これは一時的な現象だとは思うが、国債が売られて国債の価格が安くなったことによるという。

今朝、新聞で知ったとかでそのメカニズムを妻から教えてもらったが、すぐにそのメカニズムを忘れてしまいそうである。

新聞を見ると、その詳しい説明が数字をつけて説明がされていたが、これをもっと図解するとかなんらかの方法でもっと直観的に説明はできないのだろうか。そのことは私の密かな(数学教育上の)課題となった。

その課題は解けてはいないが、長期金利高のメカニズムを言葉で説明すれば、

国債の購入価格は額面ではなく、そのときの市場での取引される量によって額面から上下しているから(実はこんなことも私は知らなかった)(注)、国債の購入によって期待される金利も増減することになる。

国債の価格が額面よりも安ければ安いほど、金利は上がってくることになる。

なぜなら、国債は国債をもっている人に10年後にあらかじめ決められた定額の利息を払うという約束なので、もしか国債の価格が額面よりも安いのならば、金利が上がったことになる。

それを基準にして銀行の長期金利を定めるので、長期金利が上がるというわけである。

それにしても経済はまさに生き物である。

(注) 国債の売り出しのときでも額面よりも低い価格で銀行は日銀から入札により購入しているらしい。


逆襲のシナリオ2

2013-05-14 11:00:49 | 社会・経済

日曜日の「逆襲のシナリオ2」の放送は国家の政策だったが、その技術の中心としては3dプリンターであったが、日本にはモノづくりのknow-howがあるのだから、それと3dプリンター技術の融合をせよというのが眼目だった。

そして、具体的な政策としては

1) 市場をつくれ

2) 研究成果を製品として市場に出せ

3) アジア市場の開拓せよ

の3つであったが、前日の企業の話ほどはインパクトがなかった。

少し細かく述べると1)では介護用ロボットがこれから重要になるだろうとか、制度創造という語が頭に残った。2)では研究・技術発展・製品開発・事業化の4つのプロセスの促進である。3)ではODAの利用とJICAの活用と助力である。

3dプリンター技術はアメリカが進んではいるが、材料の加工等のデータをもっている日本の強みを生かせるとのことであった。

日本だけがよくてほかの国はどうでもいい(これはある種の国粋主義であろう)とは思わないが、日本独自の特色を生かすことは賛成である。


逆襲のシナリオ1

2013-05-13 13:51:36 | 社会・経済

日本の経済が不振に陥っているというのは周知のことだが、それをカムバックさせるには?

というのが土曜と日曜のゴールデンタイムにNHKが放映した「逆襲のシナリオII」である。I の方は見ていないのだが、この2回の放送はとても興味深かった。

土曜は民間企業の取り組みを報道するものであり、マツダ、京セラ、パナソニック、京都試作という企業とか企業連合の取り組みが報道された。

大きな企業では社会または世界の人々の要求しているもの、求めているものを提供するという姿勢から離れて自分たちが提供したいものを提供しようとしていたとの反省から、機動性をもった少し小さな事業部制をパナソニックではとり、世界や社会の要求するものを製造するという姿勢に変えたという。

京セラではアメーバといわれる小さなカンパニーがすべてを企画・開発・製造するという。そういうアメーバの数が多くあるらしい。

だから、一つの企業の中でうまくいかないアメーバがあっても他のアメーバがうまくいくと企業全体では利潤を生みだすし、またうまくいかなったからといってもそこから撤退をして、別のアメーバで今度は成功するという例もあるらしい。

そういえば、巨大なソ連という国家が解体せざるを得なかったのも官僚主義とその計画経済の機動性のなさの破たんであったろう。

それは資本主義の大きな企業でも機動性に欠けると同じ運命が訪れるということであろう。

そして、日本の企業のつくる製品の高品質とその信頼性という点では他国の製品の追従を許さないので、そこがキーとなる概念ではないかという示唆がされていた。

そういえば、朝日新聞で中国に特派されている編集委員の記事に広州の日本のスーパー「イオン」から出てきた中国人の消費者に聞くと日本の食品を安全性の信頼性が中国の食品に比べて高いということだった。

そうするとこの信頼性というキーワードは大切な日本ブランドの要素になろう。中国人は自国生産の食品が安全性の観点からみて、中国人自身も危惧をしており、領土問題のことをあまり気にはしていないらしい。


岩波新書「現代数学対話」

2013-05-11 12:01:02 | 数学

遠山啓の岩波新書「現代数学対話」をもっているが、実は読んだことがない。数日前から遠山の著作目録の作成をしはじめたので、その中にこの本があった。

まだこれを読んではいないのだが、序文だけを読んだ。それによると同じ岩波新書の「数学入門」上、下を書いたときに同じ考えが分野が違うが何回も繰り返し現れることに気がついたと書いている。

しかし、「数学入門」にそのことを書くことはできなかった。それでその同じ思考法がいろいろな分野で繰り返し現れるということを示すために「対話」を書いたという。

パラパラとページを繰っていると拡張への衝動とかいう章でガンマ関数の拡張(解析接続?)のことを書いてあるのに気がついた。まだ腰を落ち着けて読むことはできないが、いつかきちんと読んでおく必要がある。

他のところも「現代数学対話」という書名ほどには難しくはなさそうである。だがどうも書名のせいで読まなかったらしい。

遠山には名著の「無限と連続」を除いて、岩波新書に3部作とも言える、「数学入門」、「数学の教え方・学び方」、それに表題に挙げた「現代数学対話」がある。

私の読んだことがあるのはこの3書のうちの前の2書である。また「無限と連続」は学生のときに読んだが、その後これを通読したことはない。


遠山啓著作目録の作成

2013-05-10 12:49:15 | 学問

先日から遠山啓著作目録の作成をはじめた。これがなかなか大変そうで簡単には完成しそうにない仕事である。

一番はじめの基礎資料としているのは国立情報研究所のciniiのデータだが、それに私のもっている遠山の著作を自宅から持ってきて、それを見ながらデータを補充している。

ciniiのデータと私の著作目録のデータの精度が違うためもあって、なかなか大変である。

長年私が集めてきた、遠山の著書は結構な数だが、それでもまだまだciniiのデータにある300冊にはとても達しない。だが、私のもっている遠山の書も多分150冊を越えているだろう。

最終的には国会図書館に行って調べることをいつかはしなくてはならないだろう。しかし、そういうことをする前に自分でどこにも行かないでもできることはしておかなくてはならない。

それに最近でも遠山の新しい書が出版されているからである。もっともそれは大抵以前に出ていた書の文庫化であったり、再版であったりするのだが。

それらの新しい書も本当は購入すべきなのだが、ポケットマネーの不足のためにまだ十分ではない。

遠山の死後、数十年になるのにまだ新しい書が発行されるのは、遠山の書の魅力があるからなのであろう。

私が著作目録とか業績リストをつくっているもう一人は物理学者の武谷三男だが、彼は2000年に亡くなったので、遠山の死よりは20年くらい後ではあるが、彼の書は「弁証法の諸問題」を除いてあまり新しく出版されていない。

これは日本の社会が忘れっぽいということもあるのであろうが、両者の違いもあるのだと思われる。それが何によるのかは私にもわからない。

ちなみに武谷三男編の「原子力発電」(岩波新書)は最近増刷された。これはデータは少し古くなってはいるが、やはり考え方としては学ぶところがあるというので、福島第一原発の事故がきっかけになって再刷された。


専門家は偉い

2013-05-10 12:01:16 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、洗顔をしていたときに妻が言う。「専門家ってさすがに偉いよね」。

昨日、妻が毎月の健康検診に生協病院に行って血液検査をしたときに、医師に悪玉コレステーロールの値が高いと言われた。

それで「何を食べたから、いけないのでしょうね」と医師の先生に尋ねたら、「ミカンとか砂糖とか」と言われた。

それにはすぐに妻は思い当たった。なぜなら、このところキンカンを知り合いに何回かたくさんもらって、それを多量の砂糖を使って煮込み、ジャムをつくっているからである。

ジャムそれ自身をパンにつけて食べることはそれほど多くはないのだが、ジャムの味がちょうどいいかどうか調べるのに味見をすることは欠かせない。(私の家では朝食にパンを食べることは月に数度しかない)。

妻がいう。私の家に先生が来て私のすることを見ているわけでないのに、まるで何を食べたら、こんなに悪玉のコレステーロルの測定値が出るのかがわかっていた。

これは単なる推理であるが、やはり専門家を馬鹿にはできないといまさらながら、尊敬の念を深くした。

ちなみに妻がつくったジャムは知人、友人に分けてあげているので、大量のジャムをつくるのだが、それらは多くの家族によって消費されており、私の家族がすべてを食べているわけではない。念のため。