物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

情報がわからないときには

2015-07-01 11:48:58 | 日記
苦労性なのであろうか。

昨日、新幹線の中でもある人の焼身自殺の報道があったときに、どういう人が自殺したのか情報がまだ十分なかったときに、自分のこどもが自殺したのではないかと気になって妻に電話を子どもにかけさせた。

これはかなりの苦労性だが、やはりいつでも子どもことを気にかけておかなくてはならないという気持ちを持っている。

これは自分自身に自信がないことがはなはだしくて、外から見たら、おかしい話だろう。私は自分が十分理性的だと思っているので、それだと私の子どもだって十分に理性的であるだろう。

だから、もし自殺をしなければならないと思い詰める前にまだ親である私たちが生きている現在では相談があるだろうと理性的には考えられる。だが、それでももしかして自分の子どもの苦境を察してやれないことがあるのではないかと気にしている。

しかし、幸いなことに子どもが本当に苦境におちいったら、相談があると思っている。


表現のしかた

2015-07-01 11:20:19 | 日記
表現のしかたについて気がついたことがある。

これはマスコミ等の使い方である。昨日新大阪行の東海道新幹線の車両の中で焼身自殺した人が出たが、これについての報道で一人の男がという報道であった。

もちろん、そういうある種の罪を犯した人でなければ、女性とか男性とか性がつく。性がつけば敬称なのかどうかはわからないが、そういういい方が定着しているということに気がついた。

これは前からそういう使い方をするのだなとは思っていたが、ことさらに気をつけてはいなかった。人は事情によって自殺することもあるのだが、自殺するにしても人に迷惑をかける方法ではよくない。もっとも公衆の面前で自殺をすれば、世間がかまってくれるということを期待するという気持ちがあるのだろう。

その気持ちはわからないでもないが、それで他人を巻き込むとなればそれは御免こうむりたいと感じるのは私だけではないだろう。

それにしてもそのことではなくて、表現のしかたがあるということにようやく気がついた次第である。