物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

星野芳郎の文化大革命の評価

2015-12-05 17:39:32 | 日記
前に西村肇さんが書いた星野芳郎さんの追悼文で、星野さんが文化大革命を評価したことを誤りだったと西村さんは書かれている。

このことについていまとなってはそうなのだろうが、その当時はどのように評価すべきか迷ったという経験がある。そのへんが西村さんの態度がしっかりしているところなのだと思うが、私の先生方もその少し前に中国に行かれた方もあったが、評価はあまりはっきりとしたものではなかった。

だから、西村さんが正しい情報を手に入れていたのかもしれないが、初期のころには文革を評価するという考えはあったのではなかろうか。文革の終りの方で毛沢東の権力闘争という側面が出て来て日本のなかでもあまり評価しなくなったという側面はなかったろうか。

星野さんはある程度情報通であったとは思うのだが、その辺はどうなのであろうか。

いまでは永続革命というようなキャッチフレーズは笑われるだろうが、その当時はそういうこともあるのではなかろうかと推測をされたと思う。

なんでも毛沢東は正しいという考えを私もとるわけではないが、そこらはどうなのだろうか。数学者の遠山 啓の毛沢東観は良くなかったことが彼の書いた文章からわかっている。

記事が短くなっている?

2015-12-05 14:24:35 | 日記
最近はブログに書く記事が短くなったことに気がつかれているかもしれない。

これは書いているうちにインターネットの接続が切れてしまうということが続くのでできるだけ短い記事を書いていることが原因である。私の体調が悪いために記事が短くなっているのではない。

もしかして、いろいろな考察を私のブログからされていた方がおられたとしたら、ちょっと私の書く内容が単純になって物足らないという方もおられよう。インターネット環境がどうにかして元に戻らない限りこの改善はできない。

日本の文化度

2015-12-05 11:56:16 | 日記
をいろいろ測ることができるだろうが、私は明治時代以来の知識の蓄積を第一に挙げたいと思う。

三角法の本を探して大学の図書館のOPACとかを探せば、結構古い本がまだ残っている。それらをすべて探索する気はないのだが、こういうものが残っているということは日本の素晴らしさだと言っていいと思う。

日本で現在ノーベル賞を受ける人が出てくるのは広い意味ではそういう反映ではないかと思う。もっともそれが30年後にはいまのようであるかは甚だ疑問である。多分少しもノーベル賞なんてものに届かないという時代が遅からず来るであろう。

どうもノーベル賞の受賞者をオリンピックのゴールドメダリストか何かのように思っているフシがあるのはおかしい。促成栽培は特に学術分野ではありえない。

写真

2015-12-05 11:36:50 | 日記
鶴見俊輔さんの特集番組をNHKが企画していることに関係して、鶴見さんと武谷三男のツーショットの写真とか『思想の科学』の7人の創立同人が勢ぞろいした写真の存在を知らないかという問い合わせを知人から受けたが、そういう写真を見たことがないとメールで返事した。

自宅に帰っていろいろ書籍を見てみたが、あまりそういう写真が残っていない。それで思ったのだが、意外と武谷だとか鶴見だとかの書いた文章とか書籍は多いのだが、写真が意外に残っていないという気がする。

これからは意識してそういう写真をこれから残していかないといけないのではないかという気がした。ところがそのことをブログに書こうと思って来た日にインターネットでブログに接続しようとしたら、どうも接続ができないということが起こった。

テレビは画面あっての番組であるので、そういう写真がほしいというのは理解ができるが、写真を意識的に残していかないといけないと強く感じている。

『思想の科学』の創刊号に書いた武谷の論文についてこれを大いに評価する向きが多いのだろうが、どこかでこれを批判する論文を読んだ気がするのだが、それがどこだったか思い出せない。もしそれがどこにあるかを思い出せば、『他人から見た武谷三男』に収録したいと思っている。


広重徹の「科学史の方法」

2015-12-04 12:42:48 | 日記
という論文をパソコンに入力している。これは前から私の行っている「他人から見た武谷三男」の中の一つの論文として再録をしているのだ。

この論文では、武谷三段階論をこっぴどく批判している。それで考えたのだが、私はもう科学の研究はしていないくて、むしろ教育に関係したことに関心がある。それでそこで使っている方法は徹底した比較検討である。

武谷の三段階論などという高尚な方法を私はあまり使ったことがないことに気がついた。それで、この徹底した比較検討という方法は科学の方法の一つではあろうが、どれほど有効なものか。その成果を知りたいという気もするが、あまりこのことに気を使ったことが教育内容ということに関してもないような気がするがどうしてなのだろうか。

認知症になった夢を見た

2015-12-04 12:34:54 | 日記
昨夜、認知症になった夢を見た。

夢の話である。

テニスのクラブで忘年会かなにかの会をしたのだが、そのときの世話人の I さんだか S さんだか名前を思いださない。どこかの教会かどこかの宿泊施設でその会食をしたのだが、どの部屋かテーブルで会合をしているのかわからない。それで代表者の名前を思い出そうとしているのだが、その世話人の二人の名前が思い出せないというのであった。

それで起きて朝食の時にその話をしたのだが、I さんと S さんの名前は思い出せた。もっとももう一つ私の関わっているドイツ語のクラスのメンバーの名前を忘れてしまっていた。世話人の O さんの名前は忘れてはいなかったが。

なんでも固有名詞から忘却ははじまる。だから思い出したときに、その記憶を補強するためにいつもその人の名前を頭の中で数回繰り返すようにしている。

ブキッチョってのは

2015-12-03 17:22:23 | 日記
その代わり憶えたらすごいんですよ

と鷲田清一さんの「折々のことば」(朝日新聞2015.11.20)にあった。これは下町の匠の言だという。

これはご自分も旋盤工か何かだった作家の小関智弘さんの「どっこい太田の工匠たち」からとあった。

私もブキッチョの最たるものであるから、このことばは身に染みるが、なかなかブキッチョンの私はマスターになることができない。

この記事をちょっととりあげる時期がおくれたが、それでも取り上げたいと思っていた。この新聞の切り抜きがどこかにわからなくなっていたが、今日ようやくみつけたのでとりあげた。

数学・物理通信を発行したいのだが

2015-12-03 13:49:22 | 日記
「数学・物理通信」を発行したいのだが、5巻9号の編集後記が来ないので発行できない。5巻9号だけでなく同時に5巻10号も発行しようと思ってこちらの方は編集後記も書いた。

もっとも編集後記の到着が遅れているおかげで、自分の投稿する原稿を検討する時間が持てた。ということで昨日最終原稿のつもりでいたのにそれを夜読み返したら、ほとんど全頁に修正が入ることになった。何がいいか悪いかわからないものである。

できたら、5巻11号も年内に発行できたらと思っている。これには今年ノーベル賞をもらったテーマのニュートリノ振動について友人の物理学者のKさんが昔書いた解説を修正して書いてくれることになっている。

ちょっと、いままでにこの「数学・物理通信」を何号発行したか気になって数えて見たが、41号を発行している。

インターネットの環境が変わってしまった

2015-12-03 13:33:47 | 日記
まったくインターネットの環境が変わってしまって、ブログが書けなくなった。それでしかたなく別の方法をつかっているというわけである。

ここ数日だからフラストレイトしている。先週の土曜日にパソコンが重たくてひょっとしたらと思って昔の至急不要のメールを全部削除したたのだが、どうもそれだけではないらしい。

マイクロソフトがウィンドウズ10の一部修正をしたらしい。そのためにブログに接続ができなくなった。いろいろやってみるが、どうもマイクロソフトの戦略にはまってしまったのか。

月曜日にチャプリンの映画を見て、感想を書こうと思ったのにそれが書けない。

ライムライトはチャップリンの最後の映画と言っていいと思うのだが、この映画にはチャップリンの素顔が出ていると言われる。

「人生に必要なものは勇気と想像力と少しのお金だ」というフレーズは何かで見たときにはそれで何と思ったのだが、映画を見た後ではなるほどと納得できるから面白い。