高橋源一郎さんが沖縄を訪れての記事「歩きながら、考える」が朝日新聞に載っていた。
その中に鶴見さんの文章の引用があった。それを私もどこかで読んだことがある。鶴見さんがアメリカに留学中に アナーキストとしての疑いで留置所に入れられていたときに、日本とアメリカの間で戦争が起こった。
敵性外国人であるので、日本に戻るかと聞かれて戻ると答えた。鶴見は戦争をしようとしている日本に反対していた。それでも戻ろうとした。
「同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だち。それが「くに」で、今、戦争をしている政府に私が反対であろうともその「くに」が自分のもとであることにかわりはない。(中略)この「国家」は正しくもないし、かならず負ける。負けは『くに』をふみにじる。そのときに自分も負ける側にいたい、と思った」
これと似た心境の言葉を私はハイゼンベルクの自伝で読んだことがある。彼も戦争前にアメリカに移住しないかと勧められたのにドイツへ帰って行った。
やはり鶴見と似たような考えだったに違いない。人はすべて利己的に考える人ばかりではない。すべてにわたって自分に不利だとか都合が悪かろうが利己的な道をとらないことがある。ただ、それだって後からもそのときも必ずしも自分にとって都合がいいわけではないのに。
ハイゼンベルクが戦後に彼はナチを信奉していただとか悪口を言われた。またそれは身内が迫害を受けて強制収容所で亡くなったような人から言われてもしょうがないところもある。そういう自分には不本意な点を知りつつもやはり自分だけの都合では生きない人がいる。
その中に鶴見さんの文章の引用があった。それを私もどこかで読んだことがある。鶴見さんがアメリカに留学中に アナーキストとしての疑いで留置所に入れられていたときに、日本とアメリカの間で戦争が起こった。
敵性外国人であるので、日本に戻るかと聞かれて戻ると答えた。鶴見は戦争をしようとしている日本に反対していた。それでも戻ろうとした。
「同じ土地、同じ風景の中で暮らしてきた家族、友だち。それが「くに」で、今、戦争をしている政府に私が反対であろうともその「くに」が自分のもとであることにかわりはない。(中略)この「国家」は正しくもないし、かならず負ける。負けは『くに』をふみにじる。そのときに自分も負ける側にいたい、と思った」
これと似た心境の言葉を私はハイゼンベルクの自伝で読んだことがある。彼も戦争前にアメリカに移住しないかと勧められたのにドイツへ帰って行った。
やはり鶴見と似たような考えだったに違いない。人はすべて利己的に考える人ばかりではない。すべてにわたって自分に不利だとか都合が悪かろうが利己的な道をとらないことがある。ただ、それだって後からもそのときも必ずしも自分にとって都合がいいわけではないのに。
ハイゼンベルクが戦後に彼はナチを信奉していただとか悪口を言われた。またそれは身内が迫害を受けて強制収容所で亡くなったような人から言われてもしょうがないところもある。そういう自分には不本意な点を知りつつもやはり自分だけの都合では生きない人がいる。