物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

資本主義の終末?

2016-05-19 13:14:54 | 日記
現在の世界の経済情勢や政治情勢を見るとどうも資本主義がもう行くところまで行ってどうにも抜け出られないのではないかと思われる。

国の予算の配分からそのままではもちろんないけれども、そこに唯一の利益を得る点を見出しているなどはもう行くつくところまで行きついている。

こんなに希望のない時代は私は経験したことがない。もちろん、私たちの歴史的な経験としては単純な社会主義は旧ソ連の試みで失敗をしたのであるから、それに復帰することはできないと思われる。

私などが小学生のころにあこがれた北欧の民主社会主義は破たんはしていないものの、そこも結構しんどいことになっているらしい。スウェ―デンもマイナス金利を金融政策として取り入れていると聞く。北欧のようなあまり人口の多くない福祉国家でさえも今後の行く末は疑問符がつく。

現在は企業が非正規社員を増やして昔のようには正規社員を増やさないことに大きな問題があるのだが、そうでもしないと企業が利益を上げられなくなっているとすれば、おおごとであろう。

私にはあまり名案もないが、生協のようなある種の社会主義的政策を政府が取り入れる必要があるのではないかと思っている。生協も経済的にはパート従業員で生き延びているのかもしれないけれど、それでも数人の雇用をほそぼそと生んでいる。

妻が関係している医療生協でもすくなくとも一つの病院で数十人の雇用を確保している。大規模な病院だと100人以上の雇用を生み出しているだろう。

生協職員とその非正規職員の待遇がどのようなのかは普通の企業とあまり変わらないではあろうが、それでもそういう社会運動が必要な時期に来ていると思うのは私だけだろうか。

金融政策としてのリフレは最近の日本では一時的・短期的には成功したと思うが、そのほかの財政政策はあまり成功しなかったと思っている。だとすると、新しい展開が経済政策によって期待できるであろうか。

私たちがここ数年やっている雑談会ではあまり経済の問題を話題にすることはすくないが、政治政策があっての経済だというのが経済学者 N さんの変わらぬ主張である。

昨年の昨日には

2016-05-19 12:51:38 | 日記
心理学者のアドラーという人の説を紹介している。とはいってもそのごくはしりの部分だけだが。

それはどう生きるかは自分自身の問題であり、トラウマというものを存在しないとするか、存在するとしてもそれが主要なものではないという見方である。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という文句に集約してもよい。確かに人に変われというのは言うのはたやすいが本当に変えられるのは自分だけである。

トラウマは存在するかもしれないが、それを乗り越える心がまえがあれば、トラウマ自身はそれほど大きな問題ではないのかもしれない。

自分の心掛け自体は自分で努力すれば変えられるが、他人にその人を変えることを要求して見てもなかなか変わらないものである。

自分の生き方・あり方を変えるという風にしたい。