というと特に日本ですごいことをしていたかと言うと、実は今からみると大したことをしてはいない。ウラニウムの連鎖反応の可能性がどうかを検討していたり、U235を濃縮する方法として遠心分離法を使ったらよいとかその程度のことであった。
とても爆弾になるようところまでいっていなかった。ところが加藤哲郎さんが書いた、『日本の社会主義』で武谷三男が日本の原爆研究に従事していたというので、どうも道義的に責任があるとでも言いたそうである。はっきりとはもちろんそう書いてはいない。
戦争中はいまとは違って行動の自由が大幅に狭められていた。そういう時代であったら、口実をつけて自分の身を守るということは許されてしかるべきであろう。
その辺が原爆研究と聞けば、道義的な問題がすでに惹き起こされているような段階まで進んでいるかのごとく思うのはどうかという気がする。
最近、岩波講座の『現代物理学』に書かれた武谷・豊田の「原子炉」をちらちらとみているのだが、1944年くらいの段階では上に述べたような段階である。それは原爆研究の初期の段階にはちがいはないのだけれども、これはまた原子炉にもつかえるるくらいの初歩である。
それらの研究することから日本でもドイツでも原爆や原子炉の研究をはじめたのである。それはアメリカでも最初は同様であったろう。ただ、アメリカでは優れた研究者を大勢動員できたし、経済力とか技術力もあった。そこがドイツや日本と違うところであった。
とても爆弾になるようところまでいっていなかった。ところが加藤哲郎さんが書いた、『日本の社会主義』で武谷三男が日本の原爆研究に従事していたというので、どうも道義的に責任があるとでも言いたそうである。はっきりとはもちろんそう書いてはいない。
戦争中はいまとは違って行動の自由が大幅に狭められていた。そういう時代であったら、口実をつけて自分の身を守るということは許されてしかるべきであろう。
その辺が原爆研究と聞けば、道義的な問題がすでに惹き起こされているような段階まで進んでいるかのごとく思うのはどうかという気がする。
最近、岩波講座の『現代物理学』に書かれた武谷・豊田の「原子炉」をちらちらとみているのだが、1944年くらいの段階では上に述べたような段階である。それは原爆研究の初期の段階にはちがいはないのだけれども、これはまた原子炉にもつかえるるくらいの初歩である。
それらの研究することから日本でもドイツでも原爆や原子炉の研究をはじめたのである。それはアメリカでも最初は同様であったろう。ただ、アメリカでは優れた研究者を大勢動員できたし、経済力とか技術力もあった。そこがドイツや日本と違うところであった。