もともと経済学者の安定したインフレへと導く金融政策は一時的な効果しかないということは通説として知られた話らしい。ところがそれはそれで一時的な効果しかないのにそれをもっと長期的なものとして考えていたということがあるだろう。
それも4,5年は続くと考えていた円安はそれほどは続きせず2年くらいで力尽きてしまった。そのあいだに産業構造とかを変える政策を強力にとるべきであったのに、その効果も出ないというか、そういう努力が政府において政策としてされたのかどうかも定かではない。
株価も1年半くらいは2万円くらいの高値が続いたが、現在では1万5千円前後らしい。もっとも一時的に株価を高めるという効果はあったのだからそれでよしとすべきかもしれないが、それを補強する政策をもっていない。
ドイツではなんとか4.0という技術革新を促す政策がとられている。省エネ産業、ロボティクッス、人工知能、ビッグデータ、その他の方策をとるように考えられているという。
ロボティックスは私も少し調べて本として著したことがある、四元数の出番がある世界である。それも産業用のロボットや介護ロボットなど幅広い応用がある。
人工知能は人間の仕事を奪うかもしれないが、その研究に成功すれば、また人間の生活に新たな地平が開けるかもしれない。
産業としての介護、医療、教育はそこをおざなりにすると知的生産の行われる「もと」をなくしてしまうので、おざなりにはできないはずである。
教育でも小学校、中学校の先生方の仕事は少なくならない。特に教えること以外のクラブ活動を教員が顧問の教員として背負っていることはなかなか日本特有の事情かも知れないが、おかしいと思う。課外スポーツは学校の先生ではなく民間の有志の指導者のもとにされるべきだろう。
最近ようやく日曜日の一部を民間のスポーツ指導者に委ねるという考えが出てきているが、それに教員がたずさわるという基本的な構図はまったく変わっていない。
それから全国規模のテストの問題も教育界にはある。「その成績を挙げよ」と知事が政治課題として提出するとそのために教員は過去問のテストを繰り返す。そうすれば、確かにテストの成績はあがるが、実際には生徒の学力は落ちるという現象が起こるのである。こんなことは小学校や中学校の先生方の間では常識になっているが、それでも知事レベルの政治家には単に自分の県の順位が上がれば、事がすむ。
実態はその反対のことが起こっている。要するに時間をかけて学ぶべき内容を理解させたり、習熟させたりすべきなのに全国テストの対策のために根本的な学力の育成をおこなう時間をとられてしまう。
いつのまにか、リフレ政策の話のつもりがあらぬ方向に行ってしまった。現状ではこういうことしていると誰もが希望の持てない社会になってしまう。知恵のある人は日本にはもういないのか。