物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

しどろもどろのドイツ語

2017-07-21 09:39:52 | 日記

をいつも話している。これは話題がなにになるかはわからない。そのときの自分のおかれた状況とか政治情勢とかによる。そうすると前もって準備することなどできない。

現在自分の知っている語彙を使って、なんとかこなす。これは私たちのグループの人たちは皆そうしている。だから、そういう意味でいえば、ある程度以上のドイツ語力を持っていう人たちだともいえる。しどろもどろになりながらも、なんとか自分の言いたいことの何分の一かを伝える。これは単に「おはよう」だとか、「今日は暑いね」だとか反応するのとはちがう。

つまり、決まりきった定型のあいさつとかはそれを使い慣れれば、なんてこともないはずだ。だが、そこから一歩でもはずれると途端にしどろもどろとなる。だが、そういう訓練を重ねる以外に外国語を上手に話す方法はない。

 


きっかけ

2017-07-19 21:28:15 | 日記

妻の知人が村上春樹の小説を数冊貸してくれた。だが、妻は「ねじまき鳥クロニクル」という小説がなかなか読み進めないという。

ところが昨日 N 市に親戚の葬儀に出かけたが、その K M さんのご両親は戦争終了時に満州の牡丹江というところで、すくなくとも父親は亡くなったということがわかっている。そういう話を葬儀で聞いた妻はたったそれだけのことで読み続ける動機づけができたという。

満州がどうのこうとか主人公が井戸の中にこもるとかいう話でうんざりしていたらしいが、牡丹江で KM さんの両親が亡くなったらしいという話で、いろいろ仮想的な話だったのが、そうではなくて、現実味を帯びた話になったという。

作家はちょっとした知識から、想像を膨らましたり、人の心理を推し量ったりするので、いろいろと話を拡張できるが、普通の私たちにはそのリアリティが乏しいと感じると退屈になる。ところが、知っている人がそれらのことに関係があるかもしれないとなるとがぜん関心がわいてくる。

いつも、温厚でゆったりした人柄の KM さんだったが、そういった悲しい過去があったということに気がついた。そういったことを KM さんが自分で話すことはほとんどなかったが、それでもやはり親戚だから、少しは漏れ伺っていた。

 


グラフの平行移動

2017-07-19 12:32:30 | 数学

について『語りかける中学数学』『語りかける高校数学』(ベレ出版)を書いている高橋一雄さんがどう書いているかということで、『語りかける高校数学』数I編を開いてみた。私が昔書いた「研究と実践」の書き方とは違っていたが、それなりに納得できるものであった。高橋さんはグラフの平行移動の代わりに座標軸の移動に帰着させている。

なかなかこのグラフの平行移動の処方を理解することは難しい。座標軸の平行移動は一つのやり方だが、理解の仕方はそれだけではないであろう(注)。

私は志賀浩二さんの中学高校数学のシリーズテキストとか武藤徹先生のテキストとかを購入して持っているが、それでもすべての私の疑問にそれらが解決をしてくれるわけではない。

なかなかそういう点では初等数学と言えども難しい点がある。意外と初等的な点が難しかったりする。円の一部の「扇形の面積がその中心角に比例する」というほとんど自明の事実をどう納得するかで苦労して、その説明のエッセイを書いたことがある。これはやはり高校数学の学習参考書に出ていた方法でやっと理解したのだが、後で考えてみるとそれほど難しく考えなくてもよかったのにということがわかった。

だが、一度ある程度フォーマルな理解の段階を通らないと、簡単で直截的な説明には私は到達できなかった。だから、私の理解の仕方がちょっとこれは順序が逆なのではないかという気がした。

もっとも普通の人は私が一番最後にたどり着いた簡単で直截的な考えに先に到達しているのだとしたら私の思考構造がちょっといびつなのかもしれない。

 (注)愛媛県数学教育協議会の機関誌「研究と実践」第103号(2009.12)17-22であるが、これは普通の人がこの文献に到達することはなかなか難しいであろう。

グラフの平行移動のときに使われる概念に「流通座標」がある。これはどういうことなのか。数学の先生から詳しく説明を受けたことは一度もないが、その説明を上のエッセイには含んでいる。もっともこれは私の我流の解釈であり、それが正しいかどうかはわからない。

この言葉の説明が数教協の編纂した本の中にあるかどうかをいまちょっと調べたがないようである。

 


K さんの葬儀

2017-07-18 12:55:19 | 日記

祝日でも日曜日以外は休まないのだが、昨日は N 市に遠い親戚の KM さんの葬儀に出かけた。高校の物理の教師を長年されていた方である。N 高専にも非常勤講師として勤められた。

遠い親戚とはいうが、数年に一度行っていた「いとこ会」には毎回出席されていた。幼少時には朝鮮(今の韓国)で育った。それでもそのお父さんはその後、朝鮮から、さらに満州(現在の中国東北部)の小学校の先生として赴任されており、敗戦時にそこでなくなったという。K さんのお母さんも兄弟もそこから消息がわからなくなった。

日中友好条約が締結された後で、中国残留孤児が日本に帰還したケースもあったが、K さんの兄弟の消息は結局わからなかった。そういういきさつをもった方であった。もう時代は K さんの孫の時代にまで移って来たが、95歳で亡くなった K さんは戦争の影響を大きく受けた世代であった。

K さんはご自分では数学はそれほどできなかったと言われていたが、物理実験の名手との評判が高かった。N 市の工業高校に長年お勤めだったが、退職まじかには N 市の進学校として有名な西高に務められていた。昨日、末子の M さんから聞いた話では本当は技術者になりたかったそうだ。だが、なれなくて一生を物理の教師として生涯を終えられたが、物理の実験の器具等も自作しておられたと聞いた。これは私などの一つ上の世代の日本の物理屋のする典型的なことであった。

姪が私の出身地の I 市の西高校で K 先生より物理を学んだと聞いている。


T シャツ

2017-07-15 12:11:41 | 日記

この7月はとても暑いので、T シャツを愛用している。それも布地の厚い T シャツよりも薄めのものがいい。布地が厚いとすぐに汗をかいてしまう。

布地の厚い T シャツと薄い T シャツとをもっている。だが、今の季節なら、薄い T シャツなら着ていて汗が気にならない。布地が厚いと汗が噴き出るという感じがする。

このころの季節なら、エアコンの世話になるのが普通なのだが、妻が気管支を痛めているので、エアコンを夜寝るときにかけることができない。それで、夜中に扇風機をフルに稼働させている。

だから、夜中に目を覚ますことが多い。もともと夜中に一度は目が覚めるのだが、それよりも1回くらい回数が増えた。そのためにちょっと昼中に眠くなる。それはそれでもいいのだが、そのときにはやはりエアコンのお世話になる。

昔の日本の夏は蚊が多くて、そのために蚊帳をつって寝るのだが、その蚊帳が暑くてあまりよく夜に眠ることができなかった。最近は家中に蚊がいても数匹という少なさであるし、網戸があるために蚊帳をつる必要がなくなった。暑さも大分しのぎやすくなっていると思う。


雨が降るわけではないが、

2017-07-14 12:34:46 | 日記

肌がべたべたした感じである。暑いので、汗が出るのであろう。そうするとやはり腕がかすかにかゆい。それでさきほど腕を濡らしてからタオルで拭いた。そうすると一時的だが、さっぱりとする。

北九州地方では何年に一度の豪雨で死者が何人も出た。大分県の日田市も大きな被害を受けた。日田出身の友人が二人もいるので、彼らが心を痛めているだろうと想像する。

一人は大学のころからの知人であるが、現在は長崎に住んでいる。彼は英語英文学が専門である。もう一人は物理学者であり、いまは鹿児島市に住んでいる。この二人は同じ高校の出身で同期生だということは知らなかった。物理学者の K さんから A さんという同期生がいたということを聞いて、彼らが同じ高校の同期生であることを知ったのは、それでも数十年も前のことになる。

A さんには私が物理学者の K さんと知り合いというか友人の一人だということは言っていないから、いつか A さんに年賀状ででも言っておこう。

それに長崎には妻の高校の同期生に美術家の I さんもおられて、彼は仲間と展覧会をするたびに私の家に毎回のことでハガキか封書で通知を送ってくれる。この会にはほとんど行けないのだが、それでも千葉で彼が展覧会を行ったとき、偶然にも見に行く機会があった。そういう偶然もあることはある。

その後は、I さんが N 大学を退職するときに妻とその退職記念の展覧会を見に行くことができた。このときにはあまり暇がなくて旧知の A さんに会う機会を逃した。


直交曲線座標系

2017-07-13 12:47:41 | 数学

についての神戸大学の河合佑太教授の「物理数学補足ノート(直交曲線座標)」の数式のチェックがやっと終わった。これは、インターネットで直交曲線座標で検索したら、見つかった直交座標系を解説した、わかりやすいPDFの文書であった。

もっともそれを理解するためには結構いろいろと補助の計算をする必要があり、あまり計算が得意ではない私はここ1週間くらいそれにかかりきりであった。この文書の計算を補ったり、文章を書き直したりしてもっと読みやすくしたいという気持ちがある。

もっともそれを私のオリジナルとするのは何が何でもはばかられる。一度、河合教授とインターネット等で連絡をとって、ご許可を頂く必要があろう。もっともまだ、この文書のおおよそが理解できたというにとどまっている。それを私流に文章を書き変えたり、数式を補ったりして文書を作成しているわけではない。

それにそういうことなら、他の文献もあたっておかなくてはいけないだろう。それらを私がまだしているわけではない。


インターネットだけですべて

2017-07-12 12:15:13 | 日記

が分かると思っている人がいるらしい。まことに驚きだ。

確かに最近ではいろいろのことを知ることができるが、それでもインターネットだけですべてを知ることなどできはしない。そういうことは少し何かを深く調べることをしたことのある人ならわかっているだろう。

本だって昔の本は著作権が切れていて、インターネットで読むことができる時代ではある。だが、それだってすべてというわけではない。

私は数冊の本を書いたことや翻訳したこともある。そしてそれらが私の死後50年を越えて著作権が守られることをよしとはしていない。

今は著作権の保護は50年だと思うが、それをアメリカ等の影響で70年に延長すると言う話がときどき出ていたりする。この70年への延長は反対だということである。実際には著作権は死後30年くらいでいいのではないかと思っている。しかし、それは現在死後50年であるのなら、それは容認したい。

もっともそうだとしても私の死後に私の子どもや孫がそれで利益を得たりすることは多分ないだろう。これは私が自分の著作に自信がないということではない。そうではなくて、子孫に利益をもたらすよりは一人でも多くの人に著作を読んでもらった方がいいと考えている。

残念ながら、私の書いた本が広く普及しているということはできないが、それでもそれを欲している人が数は少ないかもしれないがいることを信じている。


建前と本音(principle and real intention)

2017-07-11 14:09:52 | 日記

Wenn man in Japan arbeiten m"ochte, muss man unbedingt japanische Denkweise verstehen. Japaner behaupten zwar manchmal das Prinzip, aber wirkliche Meinungen des Japaners sind irgendowo anders. Was Japaner wirklich denken, muss man etwas tiefer suchen.

Wenn er (sie) wirklich die Meinungen des Japaners versteht, kann er (sie) in Japan leicht arbeiten und leben. Wenn er (sie)  ein schwiriges Problem l"osen m"ochte, soll er vorher mit anderen Leuten besprechen, wozu er (sie) sich mit dem Problem besch"atigt, dann kann er (sie) Hilfe von anderen bekommen. (2016.5.19)

この文はドイツ語のクラスで宿題に出たことに対する答えのつもりで書いたらしい。だが、宿題を出した当人の R 氏が忘れたので、それがクラスで取りあげられることはなかった。

文章はちょっと R 氏のようなドイツ人に見てもらってここに挙げるべきかとも思うが、面倒なのでそのままであげた。多分多くのところで間違っているだろうが、気がついたら、修正をするので、ここではご勘弁をお願いする。もし万一、ドイツ語のよくできる方の目に留まれば、修正のヒントをお願いしたい。


O さんの大発見?

2017-07-11 12:15:31 | 日記

Tombe la neige, Tu ne viendras pas ce soir  

で始まるシャンソンはよく知られている。

歌詞の一部をインタ-ネットのサイトからコピーしておく。

    Tombe la neige 雪が降る
 

  Tombe la neige     (トーンブ ラ ネージュ)
  Tu ne viendras pas ce soir (テュ ヌ ヴィエンドラ パ ス ソワール)
  Tombe la neige  (トーンブ ラ ネージュ)
  Et mon cœur s’habille de noir (エ モン クール サビ―ユ デュ ノアール)

カタカナの音は私のつけたものであるから、それは十分にはフランス語の発音を再現できていないことを予めお断りしておく。

先週のドイツ語のクラスが終わった後で、リーダーの O さんがこのアダモのシャンソン「雪が降る」を日本人が歌うとどうも悲しさとかさびしさをもって歌っているようだが、当のアダモが歌うとそういう感じはまったく感じられない、という発見を述べられた。それがO さんは自分だけの感覚なのかそれとも私たち日本人が感じるものなのかをクラスの参加者に聞いて知りたがっていた。

私もアダモの歌ではないが、女性歌手のフランス語で聞いたことがある。あまりにセンチメンタルではなかったように思う。これはアダモの若い時に作曲した歌だとインターネットでアダモ自身が述べていた。その前にこの「雪が降る」はいまでは日本の歌だと思っている人も多いという冗談が言われていた。

これはその後で日本語で「雪が降る」ともうひとつの歌をアダモ自身が歌っていた。若い時にはだどうだったかわからないが、少なくとも現在の年齢ではそういう悲しさは感じらなかった。

だが、これはアダモがすでに老齢に達しているせいかもしれない。いずれにしても、O さんの大発見(?)をイエスだともノーだとも決められているわけではないのだが。

この O さんの疑問を私はこのブログの読者にも開かれた疑問として提出したい。みなさん、いかがお考えですか。


星の生まれない銀河

2017-07-10 11:48:31 | 物理学

というのが発見されたという。

これは銀河と銀河が衝突して星がたくさん生まれた後で、ちょうど同じころに星がたくさん誕生したことによって、超新星爆発の時期もほとんど同じでそれらの超新星爆発によって起こったスーパージェットという強い風で星を誕生させるはずのガスを吹き払ってしまい、大きなガスの存在しない空間が銀河の中にできるという。

昔、物理学を学びはじめのころに宇宙が熱平衡状態になってしまい、宇宙が熱平衡状態で何も起こらない空間になるのではなどと想像したことと、ちょっと似ている。この宇宙の死とも言える状態は実際には起こらないことを知った。これは星間ガスの存在のためである。

ところが、超新星爆破が連発して、星間ガスを吹き払ってしまい、星も何も生まれない空間ができるという話は最新の発見だそうである。これは昨夜のEテレのサイエンスゼロで放送されていた。

ここにゲストとして出演していたのはそのような銀河の発見者でもある、愛媛大学の谷口教授であった。

もっともこういう状態になるには30憶年+40億年=70億年くらい先のことであるという。もちろんのことではあるが、そのころに人類が宇宙に生き残っているはずがない。そういうような長時間でものごとを考えると中東の特に今シリアで起こっている内戦のむなしさを感じるのは私だけであろうか。

もっとも私はそういう宇宙というか自然の現象を知ろうとして知ることのできる人間の不思議さを実感している。そういう時が来るのかどうかを現在の私たちが確かめるすべはほとんどないのだけれども。人間の知の不思議さである。


武谷三男博士の業績リスト(第5版)

2017-07-08 12:27:06 | 科学・技術

を準備中である。それと同時に「武谷三男の著作目録」(第6版)も準備中である。もちろんこれらは大幅に変更されるわけではないが、それでも新しい著作や論文が見つけられている。

いや、もうこれで完璧だなどと威張るつもりはまったくないが、それでも毎回これでおしまいにできると思っている。ところが、ところが実際にはそうではない。

学問に終わりがないように、私のリスト作りもなかなか終わりにならない。武谷思想の研究者の一人である、八巻さんが私のつくったそれらのリストのコピーを持ち歩いていたのにはびっくりした。

まあ、リストなどいうものは人に使われてようやく意味がある。陰に陽に多くの人々のお蔭での目録、リスト作りがある。


気力があまり持続しないので

2017-07-07 11:20:47 | 日記

昨日は夕方になると疲れていつも木曜日の夜に出かける、ドイツ語のクラスに行くのをやめたいと思ったが、結局出かけた。というのは先週お休みしたからである。

先日まではn次元のラプラス演算子に関心をもっていたが、自分で証明できるところは証明した。例によって別の方法を知りたいと思った。だが、それにとりつく手がかりをつかめない。関心があるのは n 次元の直交曲線座標系を述べた文献がないかと思っているのだが、これは3次元の直交曲線座標系の直接の拡張であるのか、私の持っている本にはそういうものがない。

ただ、岩波の『数学公式集 I』にはその公式が書かれているので、それに対応した理論があることは確実である。


オノマトペ

2017-07-07 10:56:49 | 日記

と言って、すぐにオノマトペがなにかわかる人はヨーロッパ系の言語にかなり詳しい人だろうか。「擬声語」と訳される。イヌはワンワンと吠える。ニワトリはコケコッコーと鳴くだとかいうのはオノマトペである。

音楽にもそういうオノマトペに関係した音楽があるらしい。車で仕事場に来るときにNHKのFM放送で音楽を聞いていたら、バンドの音楽の紹介で女性がオノマトペを模した音楽だとか説明していた。

日本語はオノマトペに富んだ言語であるという意見は友人のドイツ人の R 氏の意見でもある。私たちには日本語の特色が何かということはなかなかわからない。


本と本との相互作用

2017-07-06 14:48:14 | 日記

があるか、それともないか。たとえば、私の関心をもつ四元数だが、私が『四元数の発見』(海鳴社)を出版する4か月ほど前に金谷健一さんの『幾何学と代数系』(森北出版)が出版された。しかし、私はこの本を参照する時間はなかった。すでにこの本が出版されたときには私の本の原稿は最終段階であり、テーマとその内容が気にかかったが、『幾何学と代数系』を購入してそれを見たのは、だから私の本が出てしまった後であった。

一方、志村五郎先生の『数学をいかに使うか』(ちくま学芸文庫)は4章に「四元環の重要性」があったので、そこを見た(読んだとはとてもいえない)のだが、私は物わかりが悪いので、あまりよくはわからなかった。ただ、四元数の元1, i, j, kをパウリ行列と結びつけるという話はそこで学んだと思う。その対応の仕方には私の本でも言及した。

一方、今野紀夫さんの『四元数』(森北出版)はおよそ私の本が出てから2年後に出版された。だが、この本は四元数を使ったその応用に重点があり、それに必要な四元数の知識という様相が強い。それと四元数の応用に必要な知識という点でちょっと公式集のような側面もあり、この本が出るまでこのような点にまったく関心がなかったので、なるほどと思わされるものがあった。こういう本は必要であろう。

『四元数』に引用されている訳本も含めて日本語で書かれた四元数関係の本は7冊にもなっていて、私が四元数関係の日本語の本は4冊だと書いたのとはちょっとちがった。もっとも金谷一朗さんの本を2冊私も引用しているから、実は6冊あった。それに今野さんの本を合わせて、今では8冊もあることになる。

もっとも4冊には志村先生の本を数に入れていなかった。これはこの本を四元数の本というふうには理解していなかったからである。少なからぬ影響を受けていたにもかかわらず。