物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

もし言葉遣いが変ならば

2018-12-12 09:10:48 | 日記

それはローマ字かな変換のときのトラブルを回避しようとした結果だとかんがえてほしい。もっともそれが誤字脱字の場合には私の単なるミスである。

先日も私の馬鹿さ加減をと書こうとして、bと入力したら、どうもbの後が英語しか出てこなくて、仕方なく暗愚などという言葉をつかってしまった。一日くらいたってから、馬鹿さ加減と書き直してはおいたが、こういうことがままある。

それは間違った日本語ではないかもしれないが、それでもやはりかなりこのブログを読んだ人に奇異な感じを与えるであろう。そのことはもちろん意識をしているが、私にはどうしようもないこともある。

この変換の候補が英語ばかりとなるのは私がローマ字変換入力をしているばかりでなく、素早く文字を打つときだと思う。それでそういうときはできるだけゆっくり文字を打たないとなかなか求める語が出てこないというジレンマがある。

これから打とうとする語を予測してその候補を出してくれるのはある場合には助かるが、変な方向に行くとローマ字かな変換入力を阻害するだけである。そこまでこのシステムを考えた人は考えが及んでいたのであろうか。


そろそろ松山に

2018-12-11 15:59:20 | 日記

帰りたいと思っているが、まだ明日は帰れそうにない。でも明後日は松山に帰るつもりである。

これは「数学・物理通信」の発行を10日前後に予定していたのだが、これがまだ数日遅れるからである。これには東京からの帰還が遅れること以外にある方の寄稿があったのに、それを全く忘れていたのにこのことをここ東京で気がついたのである。

これは寄稿者のA先生にはまことにもうしわけないことをしてしまったが、それでも発行の前に気がついたので最悪の事態は避けられた。

それとこの記事の追加によって、目次が1ページでは足りず、英文目次が2ページ目にはみ出してしまったために1ページづつページ数が変わってしまった。その手直しはここ東京では難しいので松山に帰ってからの仕事になる。

今年は例年に比べてそういうことで、「数学・物理通信」の発行はちょっと難航している。


科学や数学の知識を

2018-12-10 16:50:52 | 数学

科学や数学の知識を発見法的に知ることは現在では出来上がっている教科については意外と難しい。例えば、ベクトルの内積とか外積であるが、これははじめは虚数部だけの四元数の積の中の実数部分と虚数部分に由来するが、現在ではそれはベクトルの内積と外積として天下りに定義される。

だから、ベクトルの外積の成分表示がどこから来たのかを知る人はもう少ない。またそれを知っていたとてなんということはない。それでも四元数まで戻らなくてもなんとか発見法的に理解しようともする人も世間にはいるし、私もそのうちの一人である。

もちろん、正当な普通の教え方がまちがっているとかいうことではない。それらは正しいのだが、発見法的に理解をすることによって、より深く理解したいと思っている。

行列の積の定義は線形代数を学んだ人で知らない人はいないだろうが、それはどこから来ているかと尋ねられて即答できる人は行列の積の定義を知っている人の中で半分以下になるのではなかろうか。

とか偉そうなことをいいながら、私自身がその一つの理由づけを知ったのは最近のことでここ10年くらいのことである。

学生のころにこの行列の定義を聞いて、その導入をされた計算をM先生がやってくれたのだが、なんでそんなめんどうなことをするのだろうと不思議に思ったのを覚えている。まことに浅はかなことである。

そして、その行列の導入のそのしかたを忘れてしまっていた。そして矢野健太郎『代数学と幾何学』(裳華房)の該当箇所を読み直すには数十年(おそらくは50年)前後の年月が必要であった。

これは自分のどうしようもない馬鹿さ加減を白状しているのだが、まったくその通りである。

 


分岐点の説明

2018-12-08 21:21:06 | 数学

を詳しくしている本を見つけた。この本の存在を知らなかったが、この本の存在を知っただけで生きる価値があるという気がしたから、不思議なものである。

もちろん日本語の本ではなく、英語の訳本である。図もたくさん入っていて、読むのは決してやさしくはないが、それでも読むに値する本だと感じた。

本の書名は覚えていないが、問題演習「複素解析」(森北出版)とかのタイトルである。これはある大学の図書館で見た本である。

問題演習書であるが、詳しい演習問題の説明があっていいと思った。


楽しい日が過ぎていく

2018-12-08 20:18:32 | 日記

上京して、今日で1週間経った。夢のような日々と言っていいだろう。

この年齢になって夢のようなというのもないが、それに近い。子どもとか孫に囲まれて生活するのはひさしぶりだ。というか何十年ぶりである。

小さな幼児との生活も子どもが小さかったとき以来だから、ほんとうに半世紀ぶりである。今日はお昼にほかのところに住んでいる子ども夫婦とも昼食を一緒にした。

この子はやさいしい子で、かつ配偶者もやさしい人である。ただ、みんな忙しくしている。


ローマ字入力変換

2018-12-07 22:49:34 | 日記

で最近ちょっと困ったことを経験している。それは変換の候補が変になるのである。

特に早く打つと英語の候補のみが出てきて仕方がない。これでは日本文はなかなか打てない。

ちょっと困ったことである。ゆっくり打てば日本語が出てくるが、これではむしろ変換の妨げにしかならない。

 


Wi-Fi環境で苦戦

2018-12-06 14:39:17 | 日記

している。昨夜からWi-Fi環境でブログを書こうとしているが、なかなか苦戦している。というのは理由はわからないが、パソコンがハングアップしてしまい動かなくなるのである。

仕方なく、再起動をしてまたパソコンを動かしている。それでも理由がわからないのはつらい。

12月10日くらいまで滞在の予定にはしているが、もう少し長くいてもらいたいというような要望をもらっている。

ありがたい話だが、ちょっと自分の都合もあり、どうしようと迷っている。

 

 

 


ある話

2018-12-05 22:05:18 | 数学

これはある人から最近聞いたことである。

行列式の歴史をくわしく書いた本はあまりないということである。これは日本だけのことなのだろうか。たぶんそうではあるまい。行列式とか行列とかは現在では「線形代数」といわれるものである。解析学の歴史をしらべる研究者とか学者は結構いるし、そういう本も出ているが、線形代数についてはあまりその歴史を研究する人はすくない。

第一、私などが大学のいわゆる教養数学として学んだのは「微積分」と「代数学と幾何学」というタイトルであった。

私の高校のクラスで同級であった、京都大学で学んだ友人などはすでに佐武一郎『行列と行列式』(裳華房)で線形代数を学んではいたが、私は旧制高校の教科を受け継いだ教科であった(注1)。

たぶん、線形代数が大学の基礎数学の科目として定着するのは1960年代なばころではなかろうか。

そのころには私はすでに大学院生になっていた。2歳年下の妹なども私の受けた教育とはあまり変わってはいなかったから、1965年までに日本の大学を卒業した大部分の学生はまだ線形代数を教科としては学んでいなかったと思う (注2)。

ということは線形代数が標準的な科目となったのは比較的新しく1960年代半ば以降とするのはあまりおかしなことではないと判断する。

行列はそれは一つの対象であるが、行列式はそれは一つの数であり、対象はとてもちがっている。線形の連立方程式の解法から行列式ははじまったが、方程式の数と未知数とがちがったときの一般論を行列を論じてもいる。だから行列のほうが行列式よりも対象が広いのは当然である。

(注1)佐武一郎『線形代数学』(裳華房)は上に私が書いたように旧書名は『行列と行列式』というタイトルであった。だから、私の学生時代には『線型代数』というタイトルの本はなかったと思う。

(注2)私にとっては1965年は最近のことだと思ったが、よく考えてみると、今年から数えると53年も前のことであり、最近などと言えるわけがない。

 

 

 


ブログは10日ほどお休みにすると

2018-12-05 21:51:05 | 日記

先日書いたのだが、Wi-Fi環境でブログを書くことができるようになった。

もちろん、ラップトップのパソコンを旅行に携帯しているからだが、だいたいパソコンがそばにあるとどうもブログを書くのをやめたいとは思わないのだから困った習性である。

昨日Wi-Fi環境に設定をしてもらったので、gooにアクセスをしている。さすがに昨日はブログを書くという発想を持たなかったが、今日はいま夜になってアクセスをして書いている。

およそ、パソコンの前にいることがなくなって怠け者の気持ちを楽しんでいたのだが、そうもいかなくなった。文明の進歩とはそういうものでもあろう。

私の友人にぼんやりとしていることが好きだというちょっとだけ年少の友人がいるが、彼の心境がすこし理解できた気がしたのだが、もとのも黙阿弥である。

もっとも妻なんぞは東京に出てきても松山から携帯に電話がかかってきて、世話をしている人びとのために松山まで電話をして間をとりもっていた。それで用が済むから不思議であるが、どこにいってもやはり人間と人間の間をとりもつのはやはり人であることを思い知らされる。

 


10日ほどブログはお休みにします

2018-12-01 14:52:23 | 日記

孫に会うために明日から10日ほど上京します。

そのためにブログは残念ながらお休みします。また無事に帰ってこられたら、再開します。そのために12月発行予定の「数学・物理通信」8巻9号と10号も12月10日以降の発行となります。

いまのところ発行の用意ができているのは8巻9号のみで、10号はあまりはっきりとは目途がついてはいません。だが、今の予定では今年中に8巻10号までは発行するつもりです。

来年は9巻1号からの発行で、これは2019年3月になります。少しづづ原稿が集まりにくくなっているので、私の以前に書いた科学や数学に関係したエッセイなども掲載していくつもりにしています。数式が出てくると嫌だと思う人には、息抜きのオアシスかもしれいないなどと思っています。

いま考えている数学エッセイは「逆格子とはなにか」というタイトルです。中性子回折の専門家にちょっと読んでもらったら、逆格子の定義がちがっているといわれたのですが、結晶学での逆格子の定義からはじめて、固体物理学での逆格子に説きおよんでいるのでまちがいはないはずなのですが。

大多数の物理屋は固体物理の逆格子のほうになじみがあって結晶学での逆格子を知らないはずです。もっとも正規化するときの値が1ではなくて、2\piとなるのが固体物理の場合です。

それで、数の逆数との関係が分かりにくくなっているのではないかと思っています。