物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

無実と有罪の間

2019-01-09 10:36:46 | 日記

日産のゴーン前会長が拘留されて取り調べを受けていることはテレビのニュースや新聞報道で耳新しいことである。

ここでは、彼が有罪だとか無罪だとか議論したいわけではない。いずれ裁判になるのだろうが、その決着はどうなるだろうかという話である。

いずれにしてもその有罪か無罪かのスペクトルはこの間に存在することは確かである。これは現実にどうであったかということもあるが、それだけではなくて、裁判としてどうなるかということでもある。

もし、有罪が地方裁判所で宣告されると、これは被告側としては当然上告されるだろうから、最高裁判所まで争われることになろう。そうすると、彼が生きているうちに決着がつく可能性は少なくなる。

一番簡単な結果は無罪判決が出ることだろうが、今度は検察側が承知ができないかもしれない。いずれにしても面子と面子の激突である。

社会の常識としては裁判が無罪と出れば、責任なしであり、有罪であれば、責任ありということになる。どういう結論に判決としてもっていくのか難しいことになろうか。


安ければ、あまり価値がないか

2019-01-08 16:15:52 | 数学

ちょっと手前みそな話なので、もしそういう話が気に入らない方はこのコラムの読むのを止めてもらいたい。

私のいままでに書いた本は3冊である。

第1は『数学散歩』(国土社)(品切れ中)であり、これは定価2,500円+税である。

第2は第1の抄刷版である、『物理数学散歩』(国土社)である。これは定価1,200円+税である。ページ数も111ページと薄いが、定価も安い。だが、貴重な内容の書であると実は私自身は思っている。ところがこれが全く売れない。売れた冊数は200冊に満たないのではないかと思われる。

第3は『四元数の発見』(海鳴社)である。これも定価は2000円+税であるから、安価である。実は四元数に関係した本は日本語でもいまでは4,5冊あるが、私のほど安価な四元数の本はない。

だから、内容もつまらないかというと実は一番オリジナルな本ではないかと思っている。それでも誰からもあまり褒められたことはないのだが、球面線形補間でもたぶん日本人の読者が理解できるように書かれた最初の本ではないかと思っている。

実は球面線形補間については、DunnとParberry(松田晃一訳)『ゲーム3D数学』(オライリ・ジャパン)定価3.400円+税が比較的詳しく書いているが、これが私にはなかなか理解できなかった。

それとこれは本ではなかったが、インターネットで見た金谷一朗さんの『ベクトル・複素数・クオータニオン』がある。ところが、これの球面線形補間の説明が私には理解できなかった(注)。

それらを解きほぐして書いたのが、私の本の第10章「球面線形補間」である。これには義弟からの教えもあり、たぶんこんなにわかりやすくなれば、だれでもわかるので、これを読んで球面線形補間が難しいと思う人はもういないであろう。

たぶん、Wikipediaにも説明があると思うが、あれは、わかる人にはわかるが、わからない人にわかるようには書かれていない。

『四元数の発見』はこの4年間で1500部ほど売れたらしい。しかし、このところ売れる部数は年間に70部程度だという。それで版元にまだ500部を超えて残っているとのこと。それで完売になるとしても最低で7,8年かかる見込みだという。

この本の改訂も考えてはいるが、それは私の現在の年齢を考えると望みがなさそうである。

(注)金谷一朗さんの先駆的な、四元数の紹介の文献は一生懸命に学ぼうとした人には役立ったのだろうと思う。私の頭が単に悪かっただけであろう。

(2019.1.10付記)本の定価がもしその価値を反映しているのなら、定価がほぼ2000円の『四元数の発見』は価値があまりないことになる。

ところが実は本の定価が低くなっているのは、実は私がlatexで入力したものを印刷製本されたから、安価に本ができたためであり、本の価値がないからではない。

そこのところが読者にわかってもらえているかどうかは疑わしい。そういう評価はアマゾンでもほかの書評でも言及されることはいままでのところない。

こんなことをブログに書くのは躊躇されるのだが、すでに1度は数年前のことだったが、そのままの形でいわゆる海賊版が出ていたり、今年になって、正月明けにネットサーフィンをしていたら、私のいままでの著書や「電気電子工学科ミニマム」などもpdfの文書として無料で配布するというサイトがあったりした。

それでそれをもう一度確かめようとしてもう一度検索してみたら、検索に引っかからなくなっていた。どうも春先の初夢でも見たような感じであった。

『四元数の発見』を除いてはほかの本は品切れのような状態であるから、あまり腹もたたなかったが、少なくとも私の著書を意味あるものとして評価できる人がしたことだと思われる。

 


「数学・物理通信」8巻10号

2019-01-08 15:54:53 | 日記

の編集ができた。著者に点検をお願いをしてもらっている。その点検が済んだら、そのご数日をおいてから、発行となる。

発行までもうしばらくお待ちいただきたい。それでも来週早々には発行することになろう。何度もこのブログで述べているようにこの8巻10号で持って通巻75号となる。

100号まで出すことができるかどうかは神のみが知る。こういういい方は先日ここで書いた、「戦場のピアニスト」でドイツ軍の将校がユダヤ人のピアニストに言っていた言葉でもあった。

大学を定年退職した後では、私のしていることは3つある。

一つは数学・物理通信の発行、二つ目はこのブログである。3つ目は月に一回やっている雑談会である。

どれも私的にやっていることであり、誰からも強制されたことではない。しかし、それらの3つともが私の生きがいとなっている。

まったく関係がないことだが、小著『四元数の発見』(海鳴社)のインターネットにでている書評が5つになった。

最近、アマゾンコムの書評が一つ増えた。好意的な書評を頂いてちょっとはにかんでいる。


メールのソフトと閲覧ソフト

2019-01-07 16:45:43 | 日記

がversion upされて使い勝手がわるくなる。どういう思想でこれらのソフトを設計しているのかがわからない。

その思想がわからないから、使い勝手がわるくなる。どうもマイクロソフトは自分勝手にversion upしているように思える。

これではユーザーからの支持は得られまい。妻などに言わせるとおとなしくしている私のほうがいけないというが、それには承服しがたい。

以前にマイクロソフト8だったかが不評であった。それはつぎのversion upでは改善されたかとは思うが、とても使い勝手が悪かったのは事実である。

ソフト技術者の横暴も実際にはあると思っている。


日曜に休んだので

2019-01-07 11:18:40 | 日記

十分に休養がとれた。もっともそのせいで夜がなかなか寝付けなかった。

今朝の5時ごろにエアコンを20度くらいに下げたら、少し寝ることができた。そして夢を見た。

大学で私の講義の受講届を出していない学生に単位を出したとかいうことを、単位を出した当の学生から聞くというような夢である。私と同じ姓の別の先生の単位とごちゃになったのではないかという話が学生の方からあった。もっともそれだと話があまり合理的ではない。

まあ、夢だから別に合理的ではなくてもかまわないのだが。

しかし、現実にそういうことがあったかどうかはわからないが、ありそうな話ではある。


「ラメの定数の導出」

2019-01-05 16:04:25 | 日記

「ラメの定数の導出」のエッセイがほぼ完成した。今回は最後までやり抜くつもりではあったが、なかなか難航した。なにせ計算が面倒なのである。

もちろん、すでに計算を何十年も前にしてはいるのだが、それをチェックして間違っていないことを確かめなくてはならない。それに式の番号を入れるのに苦労した。一度紙にプリントして式の番号を確認した上で文章中の式の番号を入れる。それでもどこがどこだったかわからなくなる。

そういうことで、とうとう年末には片がつかず年を越した。これを「数学・物理通信」8巻10号の原稿にしようと思ったからである。

それも完全に出来上がったというわけでもないが、まあほぼ終わった。やれやれ。これでようやく8巻10号の編集にとりかかることができる。

(2019.1.15付記) 地球物理学者だった竹内均さんの『弾性論』(裳華房)を古本で購入した。ラメの定数という語はこの本の中にはないが、ちょっとちがった導出が述べられていそうである。

まだまったくこの点については読んではいないが。

  • (2020.1.14付記) 「ラメの定数の導出」は実は岩波講座『現代物理学の基礎』の古典物理学のIだったかIIだったかに載っている豊田利幸さんの書かれている内容を逐一フォロウ―したものである。
  • 私のオリジナリティはまったくない。しかし、ここまで「ラメの定数の導出」を追ったものはないであろう。テクストにはこういうことは書くことができないから。

ルビンのツボ

2019-01-05 14:35:03 | 日記

「戦場のピアニスト」のブログを書いたとき、もう一つ書きたい話題をもっていたのだが、それが何か思い出せなくて困っていた。

それが雑誌「窮理」第11号の中に載っていた「ルビンのつぼ」という語で思い出した。これは最近NHKの「まいにちドイツ語」講座で講師の田中雅敏さんが話の前景と背景というコンテクストで言及していたことである。

話のトピックは背景(場面設定)であり、その主題についてのコメントは、見る人・聞く人の意識に訴えかけてくる前景である(聞き手にとっての「新情報」)

という説明であった。

こんなところでルビンのつぼに再会するとは思ってもいなかった。ルビンのツボとは黒地のところをみていると白地のつぼに見える。ところが、背景を白地のところだと見ると黒地のところは二人の人の顔が向かいあっているように見える。要するに二義的に見える絵である。

私がそのことを知ったのは物理学者の渡辺慧さんの岩波新書を読んだからであった。この著書の題名は忘れてしまった。『情報とパターン』であったろうか。渡辺さんはこの心理学的な絵を量子力学の波動性と粒子性との二重性の説明に使っていた。

田中雅敏さんはドイツ語の文頭におかれるのは文の主題がおかれるという。その文で言おうとする内容や場面設定が行われるという。

例として次のような文をあげられている。

Gestern war es kalt, aber heute ist es sehr warm.

(昨日は寒かったが、今日はとても暖かい)

英語とちがって文頭に主語が出てくる割合はドイツ語では少なくなる。それでも主語も文頭にくることも多いが、それはそれが文の主題となることが多いからであろうと田中さんは言っておられる。

ちなみに田中さんは私の出た大学の同窓生ということである。


日本の将来

2019-01-05 08:54:04 | 日記

を悲観する人もいる。

先日もらった年賀状で、日本の将来を悲観している方の感慨が書かれてあった。それで、私などはその人の話を聞いて見たいと思ったのだが、妻は拒否反応を起こしたようだった。

この方は法律家であり、原発反対運動を行っている方でもある。その方がどなたかの本を読んでその中に「日本の経済は四流で政治は六流」とあったと書かれていたという。

確かに、現在の日本は大学も学校も先生方にはひどい状況である。大学では運営交付金が年々削られていき、研究するどころではなくなっている。また小、中、高の学校では先生方は加重労働で教え方の研究にはほとんど時間をとれなくて、書類づくりや親御さんへの対応やまたクラブ活動の指導に明け暮れている。

年金生活者の私たちは今後の生活がうまくいくのか不安を抱えているし、若い人は十分な定職につけない人も多い。いわゆる非正規雇用者である。

そのくせ少子高齢化社会で働く人が減ってしまうなどと心配もしている。また、70歳を超えても働かなくては生活ができない人もいる。

確かに、近年ノーベル賞の受賞者を少なからぬ数だしてはいるが、これは数十年前の日本の遺産の結果であり、現状からすると数十年先には中国ばかりが、ノーベル賞を独占するという時代がくるのであろう。

そういうまったく希望のない時代に生きている私たちが活路を見出すことができるにはどうしたらよいのか。

また、防衛費はだんだん増えていき、平和国家とはもういえない状況になりつある。そういう悲惨な状況ではあるが、どこかに活路を見出さなければならない。そう考える日本人はもういないのか。

妙案はあまりないのかもしれないが、それでもなんとかする方策を見つける努力をしなくてはならない。


戦場のピアニスト

2019-01-04 10:32:54 | 日記

という映画の最後の終わりのほうの一部をテレビで見た。前にも見たことがあったはずだが、覚えていない。これはポーランドの話で第二次世界大戦中のことらしい。

ユダヤ人のピアニストがどこかに隠れて住んでいるわけだが、それがドイツ人の将校に見つかる。だが、なんとか見逃してもらえて戦後に生き延びるという話である。

この将校がピアニストを見つけて声をかけるところを見た。ピアニストは空腹で缶詰を開けようとしていたときにこの将校に見つかるのだ。

将校:何をしている。Was machen Sie da ?

ピアニスト:・・・

将校:職業はなんだ。ききとれなかったが、たぶん Was sind Sie von Beruf ? 

(注: Wovon nehmen Sie ? と言っているらしい。何度も予告編を聞き返したが、わからない)

ピアニスト:ピアニストです。Ich war Pianist. (直訳すれば、ピアニストでした)

将校:こちらへ来い。Kommen Sie her !

将校はピアノのあるところまでピアニストを呼ぶ。

将校:なにか弾け。Spielen Sie (et)was !

ピアニストはなにか曲を一曲弾く。遠くで大砲の音がする。

ピアニスト:あれはなんですか。Was ist das ?

将校:ロシア軍が近くまで来ている。もう1週間くらい生き延びればいいだろう。(ここらあたりのどういう風にいったかは聞き取れなかった。勝手にドイツ語訳をつくれば、Die Russen sind schon nah. Vertragen Sie noch eine Woche oder so. )

将校:何という名前だ。 Wie heissen Sie ? 

ピアニスト:シルヴァーマン (??)Ich heisse Silvermann. (名前はこういったかどうか Sylvermannとでも綴るのであろうか。彼は実在の人物で、高名なピアニストであったという)

そのあとで、またこの将校はピアニストの隠れているところへやってきて黒パンをくれたり、ソーセージをくれたりする。また自分たちが撤退するときには、自分の着ていたコートまでピアニストにやる。

これは実話だったのか、さらにピアニストは長生きをして、戦後も活躍するが、将校はソ連の捕虜収容所で1952年に病気で亡くなったという。

日本語の映画のタイトルは「戦場のピアニスト」であるが、原題はThe pianistであった。

(2019.1.11 付記) 昨夜ドイツ語のクラスがあったので、R 氏に聞いてみたが、Wovon nehmen Sie ?ではドイツ語としては意味が通らないという。それでまた上の話しは振り出しにもどった。

(付記) R 氏に見てもらったところWovon leben Sie ?と言っているということであった。この言い方はこの場面ではいいかもしれないが、ほかの場面では理解しにくいとのことである。

  

 

 

 

 

 

 


立体角の定義

2019-01-03 12:32:14 | 数学

「立体角の定義」について兵頭俊夫『電磁気学』(裳華房)に詳しく説明が載っていた。この本は実は31日に近くの薬局に歯磨きペーストを買いに行ったついでに、その近くのbook-offを覗いたときに物理の本が2冊だけあり、それがそれぞれ定価200円だったので買って帰った。

ところが、立体角の定義の前に平面角のラディアンでの定義があるのだが、立体角の定義は平面角の定義の拡張であるとの言葉がない。もちろん、そのことは著者は十分知っていると思われるのに。

手前みそだが、小著『数学散歩』(国土社)では「立体角の定義は平面角の定義の拡張である」として言葉で書いておいた。また、「立体角は平面角のラディアンでの定義の一般化である」と、沢新之輔、小川英一、小野和雄『エース電磁気学』(朝倉書店)にも亡くなった沢先生が書かれている(注)。

私が頭が悪いせいだろうか、ここまで言ってくれないとわからない。

「立体角は平面角のラディアンでの定義の一般化である」ということを私は本で読んで知ったわけではない。そのことを自分で思いついて、ようやく立体角について了解できたと思うようになった。

そして、このことを愛媛県数学教育協議会の会誌「研究と実践」(愛数協)に書いたのは1989年のことである。『数学散歩』は2005年の発行なので、その間に沢先生の書いた説明を読む機会があったのだが、『エース電磁気学』の発行は1998年のことであるが、沢先生は長年にわたって電磁気学の講義をされてきた方なので、単に私が知ったのは1998年であるが、ずっと以前にこのことをご存知であったに違いない。

沢先生とは同じE大学工学部の同僚教授として面識があったが、このことで話をしたことはない。そして、『エース電磁気学』が発行になったときには沢先生は大阪府立大学工学部の教授であり、もうすでに同僚の教授ではなかった。

並べて書いてあっても、立体角の定義は平面角のラディアンの角の一般化だとあからさまに書いてあるのは沢先生たちの本と私の本でしか私は知らない(注)。

(注)失礼しました。西條敏美『単位の成り立ち』(恒星社厚生閣)にはちゃんと「立体角は、平面角の考え方を立体に拡張したものです」との一文が入っていました。さすがは西條先生です。

(2019.5.20付記) 最近、インターネットを検索してみたが、ほとんどの立体角の説明は平面角のラディアンの一般化であるとか拡張であると書かれている。少し昔にはそういうことを書いたインターネットのサイトはほとんどなかったと思う。

どこから、そういう知識が一般になったか知らないが、結構なことである。ただ、私はもしそういう知識が自分に既知でなかったのならば、それをどこから手に入れたか、どこから知ったかということを参考文献として必ずつけている。

だが、この日本では、一般の人はそういう知識の出所を明示することは少ない。その辺はいつも残念に思う。

(注) この沢先生とは長い間、先生が大阪府立大学に移られるまでE大学で工学部での同僚であった。もっとも沢さんがおられたころには沢さんと同じ学科になったことはなかった。

(2021.9.21付記)「立体角の定義」について、このブログに数回アクセスがあったので、文章に少し手を入れた。しかし、本質的な変更は行っていない。

あけましておめでとうございます

2019-01-03 11:55:54 | 日記

本日から再活動です。

12月30日は年賀状を書くことで過ぎ、31日は風呂場の掃除でした。トイレも掃除は本来は私の役目ですが、昨年末は年賀状を書くのが遅れたので、トイレの掃除は妻がしてくれました。

それで31日の夜は紅白は全く見ないで、第九の演奏とかその後の平成の音楽の振り返りを12時近くまで見て過ごししました。紅白を全く見なかった年末ははじめてだったかもしれません。

1日は I 市の兄の家に行って正月の宴会をしましたが、もう体が弱っている兄がちょっと体が回復したので、いくらでも飲みたがって困りました。

ちょっとでも体をいとえとでもいおうものなら、「長生きしてどうするんだ」といって、酒やワインを飲みたがるのです。孫たちが帰省してくれてうれしかったのでしょうが。

2日の昨日は妻と二人でこたつで居眠りして過ごしました。本をいくらか取り出してきて読んだりもしました。

鶴見俊輔『回想の人びと』(ちくま文庫)の私の関心のあるところを再読しました。安田武、武谷三男、羽仁五郎、奈良本辰也等の回想を読みました。奈良本さんのところがよかった。

いずれの人も党派を超えたよさをもっている人たちだったようです。武谷三男の回想は何回も前に読んだことがあるせいか、あまり感銘を受けませんでした。

余計なことですが、奈良本さんは旧制松山高校の出身だということを知りました。