物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

米津玄師さん

2020-02-17 17:15:32 | 日記
米津玄師さんはシンガーソングライターだと知った。

いまNHKのみんなの歌で歌われている「パプリカ」の曲を気に入ったので、その歌詞を一部でも私のブログに載せたいと思ったのだが、歌詞のあるページには届いたのだが、その歌詞はコピーができなかった。当然か。

そして、昨年の大晦日の紅白で玄師さんが歌ったというLemonという曲を2回か3回youtubeで聞いた。実は昨年の年末はまったく紅白を見なかった。

彼の学歴とか経歴とかもインターネットでの紹介でみた。人とのつきあいがうまくいかなかったらしいが、やはり才能のある人なのだろう。

こういう人は自分が育つまでゆっくりと側で見ていてあげる人がいるという見本みたいだと思う。人とのつきあいがうまくいかない人は世間には多いと思うので、そういう人にも希望を与える一人の候補だといってもよい。

米津玄師はYonetsu Kenshiと読むらしい。相当な年齢の人と思ったが、そうではなくて結構若い人である。大成を祈る。

米津さんは徳島の人であるから、やはりエヒメ県人である私はなんだか親しみをもつ。1991年の生まれだというから、30歳ちょっと手前くらいであろう。歌声も若々しい。



ダークマターと量子コンピュータ

2020-02-17 11:52:16 | 日記
2月の物理学会誌にダークマターの解説が出ていたがまだ読んではいない。しかし、久しぶりにきちんと読んでみたいと思っている。

それと今朝の朝日新聞に量子コンピュータの解説が出ていた。それで、その重要性をはじめて知った。

この二つが当面の私の関心の的である。これらのホットなトピックとは別に私の当面の仕事の関心はつぎのことである。

高校数学から、大学初年級の程度のe-Learningの私のつくったコンテンツで三角関数の章が欠けているので、これを補充して書きたいと思っている。これとの関連で、三角関数のことを書いた『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)を読んでいるが、これと関係して思い出したのは振動と波動との関係である。

三角関数の重要性は、いうまでもなく波動とか振動とかを記述するからである。三角比の測量との関係での重要性もあるが、最近ではこれはあまり重要視はされていない。

振動から波動に移って行けば、この説明のためにはグラフの平行移動の問題を説明しておく必要がある。

これについてはその関連についてはあからさまに言及してはいないが、そのことを念頭において「グラフの平行移動」というエッセイを「数学・物理通信」に書いてある。

普通にはグラフの平行移動は2次関数のグラフの平行移動が例に出ているが、私個人の意見では振動から波動に移っていくのは、三角関数のグラフの平行移動が役立つという考えである。

そして、その応用として、三角関数の還元公式の導出にもそのグラフの平行移動は使うことができる。そういうことに数学を教えている人がどのくらい気がついているのだろうか。もっともこの考えは大学の元の同僚であった K さんが強調されていたことであった。

あまり物理とは関係ない人のために一言つけ加えれば、波動とはある場所での振動がそばの媒質に伝わっていく現象である。それをどう数学的に表すかが波動の一番基本的な内容だと思っている。

波動の数学的表現についてはいつか「数学・物理通信」に書きたいと思っている。これは私が大学の振動と波動の講義で教えていた、いわば、お好みのテーマでもあった。

さらにさかのぼると、私が波動の数学的表現について高校生のころ物理の授業を聞いてあまり理解できなかった箇所だったからである。

波動の数学的表現について「フィジックス」という雑誌が以前に出ていたが、それのどれかの号で説明があって、それを読んで、ようやく理解できたことでもあった。



加法公式(定理)の導出

2020-02-15 17:49:14 | 日記
私の関心がこのところ倍角公式と半角公式にあったのが、「加法公式(定理)の導出」へと移ってきた。

これは倍角と半角の公式のエッセイをほぼ書き終えたからである。以前に加法公式の導出法として示したのは4つの方法であったが、それよりも数が多いことがわかっている。

高知高専の数学の先生がその加法公式の導き方をまとめた論文を書いているらしいが、それを見るチャンスはまだない。

しかし、宇沢弘文先生の本には私の見たことがなかった導出法の紹介がある。まだそれを理解してはいないが、これはアルキメデスによるものだという。

それに秋山武太郎『三角法』にもまた別の導出法がある。すくなくとも6つの導出法がある。それにトレミーの定理というのが、やはり加法公式の導出と等価だとどこかで読んだ。それがどういうものかはまだ知らない。

けっこう多くの方法で加法公式を導くことができるらしい。こういう知識を集めて前のエッセイを改訂したいと考えだしている。



気分が変わってきたかも

2020-02-15 11:45:43 | 日記
気分が変わってきたかもしれない。

昨夜、11時過ぎから『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)の弧度法の章を読んでいて、まったく書ける気がしていなかったe-Learningの三角関数の項を書きたいという気がしてきた。

いままで、そういう種類の三角関数についての文献とか本とかを読んでみたり、眺めて見たりしていたのだが、どうも書けるという気がしてこなかった。

どう書きだしたらいいか見当がつかなかったのである。それだから気分の変化に自分で気がついた。こういう気分になるというのは久しぶりである。

その直接の原因がなにかはわからないが、どうも三角関数の還元公式を上記の本では度数で表しているのが、気に入らなかったように思う。

上記の本の著者の坂江さんは高校で長年教えておられるから、弧度法に入る前に度数で教えることを一度されている。

角度を度数で教えるのはたぶん中学とか、小学校の時代の算数や数学の内容のためにしかたがないところもあるが、私のつくっているe-Learningのコンテンツは高校生から大学生の初年クラスのためであるし、それも理工系の学生のためということもあるので、できるだけ早い段階で弧度法に移ったほうがいい。

そういう考えが起こったから、三角関数の章のはじまりを書きたい気分がわいてきた。

もう、1年以上この三角関数の部分の章を書きたいと思って来たのだが、どうしてもその気にならなかった。それはどうしてなのかはわからない。もっともまだ十分に新鮮な感じの三角関数の部分の章の構想ができているわけではない。

もっとも私がすでに書き溜めてきた、三角関数についてのエッセイも15くらいはある。それでもそれらをもとにして三角関数の章を書こうという気が起こらなかった。

少しづつだが、気分は新しくなりつつある。

Viertel vor drei, drei, Viertel nach drei, halb vier

2020-02-14 12:40:44 | 日記
音で聞いたら、ああ時刻のことだなと分かったと思うが、ドイツ語の簡単なパズルを文字で見たので、なんだかわかるのにしばらく時間がかかった(注1)。

それも最後のhalb vierのvierはパズルで空所になっていて、vierを入れると正解である。drei, Viertel nach drei,のところをどうしたものかdrei Viertel nach drei(3時45分)とまちがって解釈をしたためにhalb vierをなかなか推測できなかった(注2)。

どうも答えはvierらしいと見当はつけたのだが、どうしてそれが正しいのかわからなかった。しかし、これがViertel vor drei, drei,Viertel nach drei,ならこれはhalb vier以外にはない。

なぜなら、3時15分前、3時、3時15分なら、つぎは3時半(halb vier)しかない。

私もよく間違ったのだが、3時半には dreiはまったく入らない。halb vierとは4時に向かって30分という意味であるから、これは3時半のことである。

もう何十年も前のことだが、halb zweiを2時半だと言ったら、側にいた日本語のわかるドイツ人に1時半だと訂正されたことがある。これはあるドイツ人と会うことになっていて、その時刻のことであった。

(注1) これはNHKのラジオの「まいにちドイツ語」のテクストにあったクイズである。

(注2) drei Viertel nach drei(3時45分)といういい方は普通はしない。なぜなら、これはViertel vor vier(4時15分前)というのが普通だからである。

図がうまく入ったが、

2020-02-14 10:59:29 | 日記
図がうまく入ったが、今度は文章がよくないことに気がついた(注)。

十分に推敲したはずだったが、そうなっていなかった。元の本の通りに入力するのならなんてことはなかったのだが、やはり話の筋を分かりやすくしたいと変更したがいけなかった。

いや、話の筋を分かりやすくするのは悪くないのだが、どうもうまく整理されていなかった。ということで原稿は元の木阿弥となった。

なかなか難しいものである。実は宇沢さんの本を読んでその話の筋が分かりにくいと思ったのだった。

だから、話の筋を明らかにしたいと思ってそのために文章を書き換えたつもりだったが、どうも重複があったりしてあまりよくないということを発見した。

なんでもなかなかうまくいかないものだ。

(注) これは「倍角公式と半角公式」のエッセイの文章のことである。



Stillwasser

2020-02-13 12:14:11 | 日記
StillwasserとはMineralwasser ohne Kohlens"auleだという説明を聞いたことがある。

もっともドイツ人にとってはMineralwasserとはMineralwasser mit  Kohlens"auleだとドイツ人のR氏などはいう。

Mineralwasser ohne Kohlens"auleはフランスから入ってきたものであり、ドイツ人の子どもにとって、炭酸の入っていないミネラルウ―ォターなど考えられないのだという。

だが、最近Stillwasserという語が炭酸のないミネラルウ―ォターに使われると聞いた。

Stillwasserを辞書で引いてみたが、出ていない。もちろん、辞書にないから、ドイツ語にはないなどと即断することはできない(注)。

先日、このブログでも書いた、Brackwasserでも「汽水」という意味では聞いたことがないとR氏は言っていた。停滞した水という意味ではBrackwasserを知っていたとのことである。

(注)郁文堂の独和辞典にはこの語が載っている。この辞書は11万未満のドイツ語を収録している。だが、8万くらいの語彙数の辞書なら載っていないことはあるうる。

これはどうもオランダ語起源の語であるらしい。もっとも「汽水」という日本語を知らない日本人などたくさんいるであろう。







Tikzでの図の入力

2020-02-13 11:53:42 | 日記
Tikzでの図の入力ができるようになって、以前と比べて図の入力が容易になったことはまちがいがない。

だが、それでも図の入力のときには構えてしまう。それで昨日はかなり心を決めてTikzでの図の入力を一日中した。

もっともどうしたものかなかなかミスがなくならなくて困ったが、いろいろ試行しているうちに思ったこともないコマンドを入力していたことがわかった。

それでそれを修正したら、図ができた。このエッセイは「倍角公式と半角公式」というタイトルである。

本文はかなり手を入れたので、そろそろ図の入力をと考えていた。昨日、2つほど描いたので、もう一つ残っている。

今日中にもう一つも描けるであろう。つぎは旧稿の「Eulerの公式」の図を描きかえるつもりである。

昨日は休日だが、私も休んでしまった

2020-02-12 10:09:37 | 日記
昨日は休日だが、私も休んでしまった。

「そんなの当然だよ」という声が聞こえそうであるが、定年後は基本的には祝日は休まない。それでもときどきは休むことが全くないわけでもないが。

昨日は実は『朝永振一郎著「量子力学」の研究』という本のコピーのコピーをしていたのである。およそ530ページの大著である。

それでほぼ一日がつぶれた。午後3時ごろにはコピーが終わったので、こたつに入ってテレビだったか、本を読んでいるうちに昼寝をしてしまった。

けっこう長い時間寝てしまったのだが、それでもやはり夜は別に不眠症にもならないから不思議である。

自分自身はすでにコピーを持っているので、自分自身に必要なコピーではなく、このブログの読者からの要望があったためである。

私のブログの記事を読んで、これを読んでみたいとか、国会図書館にそのコピーを寄贈したらどうかという提案が読者からあった。

『朝永振一郎著「量子力学」の研究』という本のコピーを私だけのものにするというつもりは全くなかったのだが、そういう風にとられたかもしれない。

ともかく、コピーは余分に1部だけできた。長年ブログを書いていると思わぬ反応がある。これはある意味、楽しいことである。


『ピタゴラスからオイラーまで』

2020-02-10 11:21:07 | 日記
坂江正『ピタゴラスからオイラーまで』(海鳴社)を読んでいる。

ちょうど500ページの大著である。一番終わりの12章から読んでいる。ここはおよそ読んだので、他の章も読んでいる。かなり昨日の日曜に読んだ。

三角形と三角関数について書いた本であるが、対数関数と指数関数の章がちょっと三角関数と縁が薄いがそれでも、まったく関係がないわけでもない。

それで500ページとは三角関数だけでも書くことがあるものだ。この本を読んで他であまり読んだことがないなと思っているのは、三角関数の積を和に変えたり、逆に和を積に変えたりすることがどこで使われているかということである。

三角関数の積を和に変えるのは三角関数の積分のところで使われており、和を積に変えるのは三角方程式を解くときに使うという風である。

三角関数の積を和に変えるのは三角関数の積分のところでといったが、たとえば、フリーエ級数の係数を求める積分のところなどである。

こういう指摘はあまりほかの本ではみたことがない。これは、この本の特色といっていいであろう。

倍角と半角の公式のエッセイ 2

2020-02-08 12:34:36 | 数学
昨日、図を除いてだいたい本文の入力ができたかと思って自宅に帰って文章を見直したら、気になるところが出てきた。

それに朝方の夢うつつでいくつかの文章の改良点を思いついた。細かなことであるが、そういうことが気になる性分である。しかたがない。

いつも血圧の測定と薬をもらう、私のホームドクターのところに行ったとき、待合室で待ちながら、\cos ^{2} \alpha +\sin ^{2}\alpha=1の導き方を文章に付加したほうがいいと思い出した。

数学のよくできる人なら、笑ってしまうようなことである。これは私が数学ができないことの証でもある。

また、簡単な連立方程式の解法もつけ加えることにした。これは私のようなとバカなやつの轍を踏まぬようにという親心からである。

というのはラングというアメリカの数学者の書いた本にはこの計算だって私のよりもとてもうまく書いてあった。

つまらないことに精出して人生を棒に振っている感もあるが、それが止まらない。
人生なんてだいたい無駄ばっかしであるという覚悟が必要である。

モーリーの定理

2020-02-07 12:35:43 | 数学
モーリーの定理というのは初等平面幾何の定理だが、面倒な定理であるらしい。それの簡単な証明をしたというメールをたびたび数学思想史家の武藤徹先生から送ってもらったことがある。

ところが、これを「数学・物理通信」にいままで掲載していなかった。これは平面幾何の図をどうやってlatexの文書に取り込むかがわからなかったからである。

武藤先生からはきれいに書かれた図のついた文書をいつも送っていただいただが、結局この図の取り込みのところの問題が私にクリアできなかったためである。

今回また、新しい簡明な証明ができたというので、送っていただいたのだが、やはり同じところにクリアしなければならない、難点がある。

今度はこの点がクリアできるかどうかは私にもわからないが、なんとかクリアしたいとは考えている。

2月の俳句

2020-02-06 17:50:44 | 日記
2月もはや6日となった。

毎月その月の子規の俳句を紹介している。今年のカレンダーに出ている2月の俳句は紹介しておこう。

 栴檀(せんだん)のほろほろ落ちる二月かな
 February
   the satinwood berries
   are falling
satinwoodとは「しゅすぼく」と平かなで辞書には訳がついていた。それが何かは知らない。

いま国語辞典を引いてみたら、栴檀は落葉樹で香りのある材だとあり、「栴檀はふたばより芳し」ということわざが書かれていた。


M. R. さんのこと

2020-02-06 11:45:51 | 日記
M. R.さんとは私の小学校時代の同級生だった女性のことである。

この人は優秀な人で小学校時代に級長とか副級長を務めただけではなく、学業成績も優秀な人であった。

中学校とか高校も同じだったが、そのころはクラス数が多かったから、一緒のクラスにはなることがなかったと記憶する。

ただ、高校1年生のときに生徒自治会の会計係にこの M. R. さんと私が国語の N 先生の推薦で会計委員に選ばれた。

そのときに N 先生の記録された会計記録を会計簿に書き写すという仕事を一緒にした覚えがあるが、それくらいしか接点はなく、私の印象は小学校小時代の印象しかない。

しかし、高校を卒業するときには男子生徒では私の小学校時代からの友人であった、Y君であったか、または中学校時代のクラスメートのK君とが最優秀賞をもらったが、そのときに女生徒では断然この M.R. さんが最優秀賞をもらわれた。

この M.R.  さんは優秀な人ではあったが、大学には進学しなかった。 M. R. さんのお姉さんは私の兄と同じ学年だったと思うが、大学に進学された。

M. R. さんのお父さんは戦争か何かですでに亡くなれていたと思うので、 M. R. さんが大学に進学されなかったのは家庭の経済的な事情を考慮されてのことだったろうと推測している。

とても頭のいい方であったので、自分の希望をお母さんに言えなかったのだろう。

それから高校の同期会でも、小学校の同じクラスの同級会でも一度も出会ったことはない。

私にしてもそういう M. R. さんのことを思い出したことはない。だが、まだ大学に勤めていたころ、放送大学の聴講生でとても熱心な女性の方がおられると聞いたことがある。名前まで聞かなかったかと思うが、ひょっとしたらこの M. R. さんだったのかもしれないと思っていた。

それはだいたい年齢が私の年齢ぐらいだったらしいことを聞いたことがあるからであった。放送大学の愛媛大学にあるセンターの職員に大きな印象を与えるほど熱心な人などそうそうはいないだろうと思った。

もっともそれが M. R. さんであったかどうかはこれは個人情報にもあたるのだろうから、知ることはなかった。





倍角公式と半角公式のエッセイ

2020-02-05 11:57:25 | 数学
倍角公式と半角公式のエッセイを昨日から書き始めている。

それでいろいろのことを考えたのだが、私はできるだけ先人の知恵を大切にしたいと考えている。

それで、いつもエッセイを書くときには、それを私がどの文献から知ったかを参考文献を挙げて書くようにしている。

ところが、あまりにもその知識に慣れてしまっている場合にはそのことを忘れてしまいそうになる。しかし、いかに慣れ親しんでしまった知識でもできるだけ私がそれを知った文献を挙げて先人の知恵に感謝をすべきであると思っている。

私の書くエッセイはいわゆる論文ではないと明確に意識をしている。しかし、先人の知識や認識をあたかも自分の認識であるかのごとく書くことはやはり先人に対する尊敬の念がたりないのではないか。

もっともなかなかそうはいうもののそのことを十分に実行できているわけではない。そこはまだ十分に注意がたりないかもしれない。